港南住宅の北に私の母校港南中学校がある。小学校の時は遊んでばかりいたが、中学に入学すると勉強することが面白くてしょうがなくなった。最初の英語の小テストで若い女性の先生に誉められたことがきっかけだから単純なものだ。どうもおだてられると一生懸命になってしまうという性格は歳を取っても変わらないようだ。”豚もおだてりゃ木に登る”かな?
中学の南側通用門の前に駄菓子屋があり、日参していた。今はもうない。そこから西に向かうと錦町である。戦前にはこの錦町には、稲永遊郭があったという。稲永遊郭には50軒近い妓楼と200人あまりの娼妓を擁していたらしい。遊郭誘致を巡って、大正2年(1913)に稲永遊郭疑獄事件というのも起こっている。
私の少年時代には、すでに面影はなく、遊郭は港陽町に移転し「港陽園」と呼ばれたという。ちなみに売春防止法が制定されたのが昭和31年(1956)、その2年後の昭和33年(1958)にいわゆる「赤線」が廃止されている。
昭和30年代の稲永には、錦町に公設市場があり、映画館もあった。その真ん中にあった錦神社は子どもたちの集結場所で遊び場であった。錦神社の西隣には、銭湯の「錦湯」があり、よく通ったものである。現在は、「草津湯」と名を変えて営業している。銭湯は、他にも2箇所あり、気分によってあちこち出かけた。母親と一緒に女湯に入っていたのは何歳の頃までだろう?覚えていない。小学校4・5年の頃には男湯に入っていたと思うが・・・。
デビューした頃の背番号3をつけた長嶋選手を銭湯で見ていた記憶がある。プロレスもよく見た。ルー・テーズを破った力道山の頃だ。小学校3年生の頃かな。まだ家にはテレビがなかった。

稲永錦神社。

本殿は小さな祠である。ご神体はなく、毎年お札をもらい奉納しているようだ。

この境内で小学校時代にビー玉やメンコの勝負をしていた。

北側に派出所がある。

錦神社の石標。

西側に昔から銭湯があった。当時は「錦湯」といい私も通った銭湯だ。

錦神社から少し東に行ったところにある古い建物。ここは、子どもの頃は旅館であったが、その前は妓楼であったかもしれない。