甚目寺南大門の南西道路脇に、かつての津島街道をしのばせる道標が二つ残っている。
一つは、安政三年(1856)のもの。建立者の杉屋佐助の名があり、「右つしまみち」「左さ屋まじまみち」と刻まれている。「つしまみち」は、西枇杷島から新川を経て甚目寺に至り、津島に向かう街道で上街道と呼ばれた。「さ屋みち」は佐屋街道で下街道と呼ばれる熱田から桑名へ抜ける街道であった。岩塚、万場、神守、佐屋に宿場が作られた。「まじま」は、馬島(大治町)。馬島を経由して佐屋街道にいたるということであろう。なお、馬島には、眼科で有名な明眼院がある。
もう一つは、享保の年号が読みとれ、享保年間(1716〜1735)という古い時代のものである。碑面は、「従是左さや・・」「従是右・・・」と判別が難しいが、「従是左さやみち」「従是右つしまみち」であろう。

甚目寺南大門の西南角に道標が建てられている。

「右つしまみち」「左さ屋まじまみち」と刻まれている。

「安政三年・・・杉屋佐助」と読める。

「従是左さや・・」と読める。

「享保」の年号が読みとれる。