2006/12/8
先日の「歩こう文化のみち」のイべントに際して「東区文化のみちガイドボランティアの会」が『東区文化のみち あれこれ No4』を発行した。
その冒頭の記事に建中寺の「陳元贇の顕彰碑」が紹介されている。墓は、現在平和公園に移されているが、その顕彰碑があることは知らなかった。載せられている写真を判読すると、碑は、大正二年五月に建てられたもので、題字の「高節千古」は、尾張藩第19代徳川義親の手になる。碑文は、服部拱撰、永井鐡書とある。服部拱は、『老子説』という著書のある漢学者のようだ。永井鐡は調べてみたが不明である。
碑の冒頭は「既白陳先生碑 侯爵徳川義親題額」とある。既白とは、陳元贇の号既白山人のことである。陳元贇の業績を称賛し「いま大正二年没後二百四十二年、旧藩士あるいは名古屋の有志が既白の功績を思いかつその墓が荒れているのを憂えて改葬するとともに墓の南に碑を建てて功績をたたえる」という意味の文章が綴られている。
*徳川宗春の墓
http://silver.ap.teacup.com/syumoku/64.html
*陳元贇 その1 九十軒町
http://red.ap.teacup.com/syumoku/71.html
*陳元贇 その2 日本帰化
http://red.ap.teacup.com/syumoku/72.html
*陳元贇 その3 元贇焼
http://red.ap.teacup.com/syumoku/73.html
*陳元贇 その4 源敬公廟
http://red.ap.teacup.com/syumoku/75.html

建中寺の「陳元贇の顕彰碑」

建中寺三門西の「陳元贇墓所」の碑

「陳元贇墓所」の碑

平和公園建中寺墓地の陳元贇の墓 徳川宗春の墓の横にある。「明国武林既白山陳廣学元贇」の刻字が読みとれる。
その冒頭の記事に建中寺の「陳元贇の顕彰碑」が紹介されている。墓は、現在平和公園に移されているが、その顕彰碑があることは知らなかった。載せられている写真を判読すると、碑は、大正二年五月に建てられたもので、題字の「高節千古」は、尾張藩第19代徳川義親の手になる。碑文は、服部拱撰、永井鐡書とある。服部拱は、『老子説』という著書のある漢学者のようだ。永井鐡は調べてみたが不明である。
碑の冒頭は「既白陳先生碑 侯爵徳川義親題額」とある。既白とは、陳元贇の号既白山人のことである。陳元贇の業績を称賛し「いま大正二年没後二百四十二年、旧藩士あるいは名古屋の有志が既白の功績を思いかつその墓が荒れているのを憂えて改葬するとともに墓の南に碑を建てて功績をたたえる」という意味の文章が綴られている。
*徳川宗春の墓
http://silver.ap.teacup.com/syumoku/64.html
*陳元贇 その1 九十軒町
http://red.ap.teacup.com/syumoku/71.html
*陳元贇 その2 日本帰化
http://red.ap.teacup.com/syumoku/72.html
*陳元贇 その3 元贇焼
http://red.ap.teacup.com/syumoku/73.html
*陳元贇 その4 源敬公廟
http://red.ap.teacup.com/syumoku/75.html

建中寺の「陳元贇の顕彰碑」

建中寺三門西の「陳元贇墓所」の碑

「陳元贇墓所」の碑

平和公園建中寺墓地の陳元贇の墓 徳川宗春の墓の横にある。「明国武林既白山陳廣学元贇」の刻字が読みとれる。
投稿者:masa





