あくがれありく

 「名古屋なんでも情報」を「憧れ歩く」と改めた。古語では「あくがれありく」と発音する。(『源氏物語』野分の章 夕霧の場面)」
・・・何かに心をひかれ、家を出て憑かれたように彷徨う様子をいう。
 これからこのブログは、テーマを決めずにあちらこちらを彷徨い歩いてみることにしよう。
 「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴らしつつあくがれていく」(牧水)

 

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47 山吹俳壇A

 井上士朗は、慈医の誇り高い井上安清の養子であり、医師としても世評がよく、産科、婦人科の特技もあり、藩医推挙のこともあったが辞して受けなかった。
 こんなわけで、その庶民性は師暁台をしのぎ、その大きな邸宅の一部は、まさに俳人だまりといった感があった。山吹谷近在に住む名のある弟子をあげると、岡田梅間(武士・主税町)、大熊兎農(武士・長久寺町)、宇都宮尚山(医師・新町)、芝生(古金屋・新町)等で、種々の階層の人々の名が見える。
 暁台のやや先人の横井也有は、俳諧を平民文学、通俗事として取り扱ったに拘わらず、その尾張藩の重臣の家に生まれたという貴族性から、庶民には士朗の如き親しさはまず以て無理といえよう。
 これと対照的にに士朗のもとへは、親切なお医者さんまた親しみやすい俳句の先生というので、以上あげた名のある同僚や弟子の他のも多くの無名の俳人たちが集まった。まさにこの近辺には、軒並みに句作を試みる人があって、朝な夕な、自作句を披露しあったとの想像も難くない。士朗が花鳥を取材として心情を托するという態度と、俳味と茶趣味の融合という、二点も当時の名古屋士庶人の趣向にピッタリあったのではなかろうか。今も名古屋ッ子に伝わる、朝の一服、また来客への一服という庶民茶と士朗指導の俳句が融和した、飾り気のない趣味の生活というものが生まれ出たのである。
 筆者は、山吹小学校の卒業生で、この地域に住んでおり(上堅杉町)、この地区の郷土史研究中、暁台、士朗を中心として、数多い俳人の名を知った。
 「尾張名古屋は士朗でもつ」とはやされ、全国より、士朗の許へ杖を曳く俳人が絶えず、尾張俳壇の最も輝かしいときとなった。この魅力は、勿論士朗個人の偉大さによるものだが、この地区の多くの有名無名な俳人グループのかもしだす、俳茶一体の庶民的雰囲気がどっしりと背後にあったことを忘れてはならない。
 筆者はこれらの俳人グループを山吹谷の由緒にちなんで、山吹俳壇と呼ぶことを提唱して、大方の批判を得たく筆をとった次第である。
 なおこれにつづく山吹俳壇の人々の名をあげ、俳壇の伝統を誇りたい。
 竹村鶴叟(飯田町) 朝岡宇朝(片端町) 鈴木霞丈(橦木町) 
 青木竹涯(主税町) 横井牧多(白壁町) 臼井洞門(長塀町) 
 山高默平(長塀町) 飯沼悠哉(長塀町) 中根善左衛門(長久寺町) 

*参考 井上士朗の宅址・句碑
http://red.ap.teacup.com/syumoku/50.html
投稿者:masa
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