土曜日に、金山周辺を半日かけてぶらぶらと巡見した。尾頭橋のWINSにはよく出かけていたのだが、それより南は歩いたことがなかった。金山新橋の南西角にある「佐屋路道標」を確認してから南下し、新尾頭橋で右折、西に向かい堀川に架かる住吉橋の手前にある住吉神社を訪れた。久村暁台・井上士朗・青山圃暁の「三吟塚」を確認するためである。境内の西隅にあった塚の写真を撮っていると近所にお住まいの昭和4年生まれ(77歳ですね)というご婦人から話しかけられ、「三吟塚」の説明や神社や狛犬、灯籠の由緒をお聞きすることができた。「三吟塚」の拓本もとられているということで、後日資料を送っていただけるという。家庭科の先生として教壇に立たれていたそうで、背筋のしっかりとした気概のある女性であった。ありがとうございました。
さて、「三吟塚」であるが圃暁・暁台・士朗の附合を刻んだ句碑で、圃暁の志になるものである。発句のみの句碑はたくさんあるが、第三句までを記したものは全国的にも希有であるという。かって暁台に連れられて士朗とともに、このあたりの雪景色を賞した思いでの句を、圃暁が師暁台没後12年目の享和三年(1803)三月に建立したものである。碑面には
夜の雪を見んと暮雨巷に具せられて
月と雪と 大地のたらぬ 今宵かな 圃暁
この芦原に 川千鳥なく 暁台
たのみある 一木は松に あらはれて 士朗
と刻し、裏面にはその由来が記されている。
暁台・士朗・圃暁の子弟の交流を通して、当時の文人たちの風流で優雅な心持ちのあり方に感心する。また、師を敬慕する圃暁の厚い意思が石碑を通して伝わってくる。
*暮雨巷に具せられて・・・暁台(暮雨巷)に引き連れられて と解釈すればいいでしょうか?

堀川の東側、八熊通沿いにある住吉神社。道路より一段高い場所にある。

今はこぢんまりしているが、かっては神社の杜も広大であったそうだ。

淡いピンクの山茶花の木の下に「三吟塚」があった。この碑の写真を撮すには最適の季節であったかな?

心ないものが拓本を取るために碑の汚れをこすり取り、磨いた状態になっている。

享和三年 春三月 と刻銘されている。