金城高校前の白壁2丁目バス停の交差点を北に向かい、尼ヶ坂へ抜ける道の途中に長久寺がある。この長久寺は、慶長15年(1610)清洲越しにより現在地に移った。名古屋城の鬼門鎮護の役割を担った真言宗智山派の古刹である。
まちそだての会のまち歩き企画では何度も訪れ、本堂の南西裏にある石井直樹の歌碑なども見せていただいている。
また、境内には、名古屋市の文化財に指定されている庚申塔があり、寛文八年(1668)という江戸時代の初めの刻銘がある。全国的に見ても古い年代の石碑のひとつである。邪鬼の上に立つ青面金剛像が彫り出し、その下に「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿を配置する典型的な庚申塔の形式である。
また長久寺は、不動明王を本尊としており、かって隣町(東二葉町)に住んでいた川上貞奴も不動明王への信仰厚く、足繁く長久寺に通ったという。貞奴は、名古屋を去るに際して、自らの持仏の不動明王を長久寺に寄進して東京に戻った。毎月28日が不動明王の縁日で、その法要に参加すれば拝観することができる。
さて、「萬蔵物件」は、戦災を免れた清洲越しの門を潜った左手の「
御手洗(みたらし)」とその右手に据えられている「
西国三十三観音一番那智山の観音石仏」の2つである。
*長久寺の案内
http://gold.ap.teacup.com/syumoku/70.html
*長久寺の庚申塔
http://green.ap.teacup.com/syumoku/67.html

長久寺東門。昔は南に面していた、

御手洗が萬蔵物件である。

当市塩町と短縮して刻印してある。

画面左の石仏が萬蔵物件。

萬蔵物件その2は、西国三十三観音一番那智山の観音石仏である。

印刻は判読が難しい状態となっている。