話題になっている加治将一のミステリー
『幕末維新の暗号』を読んだ。小説としては面白かった。幕末・明治の不可解な歴史の展開について、なるほどそういう見方もできるかと大胆な推理にも驚いた。
幕末に日本にやってきたフルベッキという外国人宣教師が45名の幕末の志士と思しきメンバーと撮った記念写真がある。(これを
「フルベッキ写真」という)
そこに写っているのは誰か。いつ、どこで撮影されたものか、この写真の存在が歴史的に抹殺されてきたのはなぜか?
写真の中で人物を特定できるのは、フルベッキ本人と佐賀藩の大隈重信、江藤新平、公家の岩倉具視と二人の息子、熊本藩の横井小楠と二人の甥、その他佐賀藩の何名かの藩士である。
しかし、それ以外に薩摩の西郷隆盛、大久保利通、黒田清隆ら、土佐の坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎ら、長州の高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、井上馨ら、それに幕臣の勝海舟
らしき人物まで写っているのだ。明治維新の倒幕勢力となった主だったメンバーが集結していることになる。
さらに、写真前列2列目の中央、フルベッキの息子(娘という説もある)の下に写っているのは、大室寅之祐という長州に住んでいた南朝の後裔で、孝明天皇の皇子とすり替わって、明治天皇になった人物だというのだ。これは、加治将一が創作したことではなく、長州(山口県)ではかなり前から大室寅之祐の子孫によって主張されていたことだそうだ。
明治国家が、なぜ南朝正当論を押し進め、足利尊氏を朝敵としたか、楠木正成や新田義貞を祭り上げたか。また、なぜ東京遷都を強行したのか。なぜ二重橋に大楠公の像があるのか。なぜ皇后を昭憲皇太后と呼ぶのか。明治天皇と明治国家をめぐる疑問の数々の根元には南朝の問題が本当に絡んでいるのか?孝明天皇毒殺説はかなり信憑性があると思っているが、明治天皇まで抹殺されていたかもしれないとは・・・。
まあ、志士たちの集結写真としては否定的な見解が強いようだが、そんなことを発言することさえ許さないという向きもあるようで、加治将一に対して相当の嫌がらせやら脅迫があり、彼のブログは閉鎖することを余儀なくされている。
*フルベッキ写真に関する様々な資料や論点は、
ブログ「教育の原点を考える」
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2005/09/post_7b8e.html
*フルベッキ写真のまとめは
http://www.nextftp.com/tamailab/verbeck.htm

フルベッキ写真

週刊ポストに載った推定人物名入り写真左半分。前列右、白っぽい長着の人物が大室寅之祐(明治天皇?)その左前が長州の広沢真臣、その左後ろが岩倉具視。大室寅之祐と岩倉具視が向かい合う形になっている。
右上に西郷隆盛と大久保利通が写っているが、本当であれば、西郷の姿が写っている唯一の写真ということになる。それらしい雰囲気を漂わせているが・・・。

右半分。坂本龍馬の上に顔だけ写っているのが高杉晋作。晋作の右側、五代友厚の右下が横井小楠。その右は、諸説あるが、陸奥宗光か伊藤博文?
これだけのメンバーが集結していたのかと想像するだけでも面白い!