あくがれありく

 「名古屋なんでも情報」を「憧れ歩く」と改めた。古語では「あくがれありく」と発音する。(『源氏物語』野分の章 夕霧の場面)」
・・・何かに心をひかれ、家を出て憑かれたように彷徨う様子をいう。
 これからこのブログは、テーマを決めずにあちらこちらを彷徨い歩いてみることにしよう。
 「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴らしつつあくがれていく」(牧水)

 

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354 彦根E 埋木舎

 世の中を よそに見つつも うもれ木の 
  埋もれておらむ 心なき身は    (井伊直弼)


 NHKの最初の大河ドラマ舟橋聖一の「花の生涯」を観たのは、中学1年生の時であった。大老井伊直弼を演じた尾上松緑と長野主膳の佐田啓二がかすかに記憶に残っている。井伊直弼は、安政の大獄で反対派を大弾圧したことでマイナスイメージが強いが、情勢を見据え、開国を推進したその知見は、時代に先んじていた。
 井伊直弼は、彦根藩主の14男として生まれ、天保2年(1831)に17歳で父を失うと、藩の定めにより、300俵の捨扶持を我が身を与えられて城外の屋敷に移り住んだ。それが、埋木舎(うもれぎのや)である。若くして先の見えない部屋住の身となった直弼が、自らを花の咲くこともない埋もれ木と同じだとして、逆境に安住の地を求めてその居宅を「埋木舎」と名づけたのである。正式には、彦根藩の控え屋敷として「尾末町御屋敷」と呼ばれていた。
 部屋住み時代の直弼は、のちに腹心となる長野主膳に国学を、さらに曹洞禅、儒学、洋学を学んだ。禅では「有髪の名僧」と呼ばれるほどであったという。書、絵、和歌のほか、剣術・居合・槍術・弓術・ 砲術・柔術などの武術、乗馬、茶の湯など多数の趣味に没頭し、特に居合では新心流から新心新流を開いた。茶の湯では「宗観」の名を持ち、石州流を経て一派を確立した。著書『茶湯一會集』巻頭には有名な「一期一会」がある。
 他にも能面作りに没頭し、能面作りに必要な道具を一式揃えていた。また、湖東焼、楽焼にも造詣が深かったという。半面では世捨て人のような諦念を抱きつつも、半面では「余は一日4時間眠れば足りる」として文武両道の修練に励んでおり、苦悩と屈託の多い青春であったことがうかがい知れる。なお、直弼の日記として『埋木舎の記』がある。
 「埋木舎」は、明治初年、払い下げによって大久保氏の所有になっていたが、昭和59年(1984)の豪雪で倒壊したため全面的に解体修理、また翌年からは発掘調査をおこない、今日では、直弼が住んでいたころのように復元され、内部も一般公開されている。

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内堀の中の櫓(開国記念館)から見える埋木舎。

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佐和口の橋上から埋木舎方向を眺める。「武士の一分」などの映画撮影に使われている。

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埋木舎門前。

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埋木舎主屋玄関。

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玄関上がり框に資料が展示されている。

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屋敷をぐるりとまわって各室を見ることができる。

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御居間。井伊直弼と長野主膳のジオラマ。

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直弼の世話をした女性達。

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時代劇のロケに使用された場所。

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内堀の北側から。

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埋木舎の北に武家屋敷の長屋門が残っている。

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現在もご子孫が居住されている。
投稿者:masa
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