愛知県図書館の南側、御園橋へ抜ける通路の石垣のところに「大原幽学出生地」の案内表示がある。大原幽学は、二宮尊徳とともに江戸時代後期の農民指導者として著名である。下総国長部村(千葉県香取郡干潟町)で農民教化と農村改革を実践した。彼が作った「先祖株組合」(せんぞかぶくみあい)という組織は、農民による生産協同組合の先駆であった。
幽学は、寛政9年(1797)尾張藩家老「大道寺玄蕃」の次男として生まれたといわれる。父に勘当され京へ上り、以前から師事していた「田島主膳」という学者に儒教・和歌・易学を学び、高野山で仏学を修めた。文政3年(1820)下山して畿内・中国・四国を遍歴の後、天保元年(1830)信濃の上田小諸藩で「性学」を説くにいたる。(「性学」とは、欲に負けず人間の本性に従って生きる道を見つけ出そうとする学問である)。次いで江戸へ出て、房総に遊び、下総各地で農民教化に従事した。
天保6年(1835)より長部村の名主に招かれて、農村改革に尽力する。「先祖株組合」や土地の交換分合、自作農村落の建設などに努力する。また長部村の八石で、道徳と経済の調和を基本とした「八石性理学」の学問体系を完成させ、「性学」の普及をはかり,理想村建設につとめた。
幕府は嘉永5年(1852)、この動きに嫌疑をかけて江戸へ召し出し、取り調べを行った。さらに八州廻りを動員して弾圧し、「先祖株組合」の解散を命じた。その後、幽学は、閉居を命ぜられ長部村へ帰され、失意のうちに安政5年(1858)62歳で自刃した。
千葉県の干潟町には「大原幽学記念館」があり、国指定重要文化財の407点の資料を保有している。大原幽学の遺品類は、著書、手沢本、日記、書簡、遺品、蔵書、門人遺書遺品などに分類され、自刃前に書いた遺書も残されている。

愛知県図書館南の案内表示

愛知県図書館

尾張藩家老大道寺玄蕃の屋敷位置。


大原幽学記念館 大原幽学像

大原幽学の遺書。

自刃の短刀。「難舎者義也」…捨て難きは義なり…の文字が刻まれている。