2006/1/18
柳河春三出生地の茶屋町を東に、那古野神社から南に延びる長者町通りを南に行き、一筋目の上中通りと次の魚の棚通りの真ん中あたりの通りの東側のビルの脇に「尾上梅幸出生地」の案内標識が建てられている。
6代目尾上梅幸は、明治3年(1870)名古屋長者町に生まれ、本名は寺島栄之助といった。『明治の名古屋人』(名古屋市教育委員会、昭和44年刊)で、尾崎久弥氏は、「父親は“音羽屋”の5代目尾上菊五郎、母親は信濃屋のお貞という町芸者であった。6代目菊五郎の異母兄である。」と記している。(一般的には、3世菊五郎の孫の朝次郎を父親としている。)
幼くして初代西川鯉三郎の門に入り、明治10年(1877)西川栄之助の名で、名古屋桑名町「新守座」で初舞台を踏んだ。明治15年(1882)栄之助は東京の尾上菊五郎の許に引き取られ、歌舞伎役者としての修行を積むことになる。芸名は本名の栄之助を名のり、明治24年(1891)満21歳で名題(なだい・・・歌舞伎役者の上位の階級)にのぼり、栄之助改め栄三郎を名のった。
明治36年(1903)5代目菊五郎が、享年満58歳で亡くなった。その後、歌舞伎座において、9代目市川団十郎が改名の口上を述べる中、栄三郎が梅幸(満33歳)、異母弟の丑之助が6代目菊五郎の襲名披露を行った。
明治44年(1911)満41歳の時、帝国劇場が落成されるとその専属の技芸委員長【座頭(ざがしら)格】となった。梅幸は、5代目中村歌右衛門と並んで近代の代表的な女形役者として押しも押されもせぬ存在となっていた。
“橘屋”の15代目市村羽左衛門(うざえもん)を相手に多くの役を演じ、二人の共演は当時のファンに熱烈に支持された。世話物や舞踊を得意とし、『与話情浮名横櫛』(よはなさけうきなのよこぐし)【通称『切られ世三』】の“お富”や『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)【通称『かさね』】の“かさね(累)”役は代表的な当たり役であった。
梅幸は、昭和9年(1934)に亡くなり、東京池袋の雑司が谷霊園に葬られた。昭和20年(1945)羽左衛門が亡くなると梅幸の隣に葬られて、二人の墓が生前の役と同じように仲良く並ぶこととなった。
なお、雑司ヶ谷霊園には、小泉八雲、泉鏡花、永井荷風、夏目漱石、島村抱月、竹久夢二、ジョン・万次郎などの著名人の墓が並んでいる。

左 尾上梅幸出生地の案内表示
右 「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)御殿の乳母“政岡”

左 「世話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)のお富
右 「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)の“与右衛門”(羽左衛門)と“かさね”(梅幸) “かさね”の顔が醜く変貌していく場面

尾上梅幸著『女形の芸談』 『女形写真帖』の表紙の梅幸

東京池袋雑司ヶ谷墓地の梅幸(左)と羽左衛門(右)の墓
6代目尾上梅幸は、明治3年(1870)名古屋長者町に生まれ、本名は寺島栄之助といった。『明治の名古屋人』(名古屋市教育委員会、昭和44年刊)で、尾崎久弥氏は、「父親は“音羽屋”の5代目尾上菊五郎、母親は信濃屋のお貞という町芸者であった。6代目菊五郎の異母兄である。」と記している。(一般的には、3世菊五郎の孫の朝次郎を父親としている。)
幼くして初代西川鯉三郎の門に入り、明治10年(1877)西川栄之助の名で、名古屋桑名町「新守座」で初舞台を踏んだ。明治15年(1882)栄之助は東京の尾上菊五郎の許に引き取られ、歌舞伎役者としての修行を積むことになる。芸名は本名の栄之助を名のり、明治24年(1891)満21歳で名題(なだい・・・歌舞伎役者の上位の階級)にのぼり、栄之助改め栄三郎を名のった。
明治36年(1903)5代目菊五郎が、享年満58歳で亡くなった。その後、歌舞伎座において、9代目市川団十郎が改名の口上を述べる中、栄三郎が梅幸(満33歳)、異母弟の丑之助が6代目菊五郎の襲名披露を行った。
明治44年(1911)満41歳の時、帝国劇場が落成されるとその専属の技芸委員長【座頭(ざがしら)格】となった。梅幸は、5代目中村歌右衛門と並んで近代の代表的な女形役者として押しも押されもせぬ存在となっていた。
“橘屋”の15代目市村羽左衛門(うざえもん)を相手に多くの役を演じ、二人の共演は当時のファンに熱烈に支持された。世話物や舞踊を得意とし、『与話情浮名横櫛』(よはなさけうきなのよこぐし)【通称『切られ世三』】の“お富”や『色彩間苅豆』(いろもようちょっとかりまめ)【通称『かさね』】の“かさね(累)”役は代表的な当たり役であった。
梅幸は、昭和9年(1934)に亡くなり、東京池袋の雑司が谷霊園に葬られた。昭和20年(1945)羽左衛門が亡くなると梅幸の隣に葬られて、二人の墓が生前の役と同じように仲良く並ぶこととなった。
なお、雑司ヶ谷霊園には、小泉八雲、泉鏡花、永井荷風、夏目漱石、島村抱月、竹久夢二、ジョン・万次郎などの著名人の墓が並んでいる。

左 尾上梅幸出生地の案内表示
右 「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)御殿の乳母“政岡”

左 「世話情浮名横櫛」(よはなさけうきなのよこぐし)のお富
右 「色彩間苅豆」(いろもようちょっとかりまめ)の“与右衛門”(羽左衛門)と“かさね”(梅幸) “かさね”の顔が醜く変貌していく場面

尾上梅幸著『女形の芸談』 『女形写真帖』の表紙の梅幸

東京池袋雑司ヶ谷墓地の梅幸(左)と羽左衛門(右)の墓
投稿者:masa





