あくがれありく

 「名古屋なんでも情報」を「憧れ歩く」と改めた。古語では「あくがれありく」と発音する。(『源氏物語』野分の章 夕霧の場面)」
・・・何かに心をひかれ、家を出て憑かれたように彷徨う様子をいう。
 これからこのブログは、テーマを決めずにあちらこちらを彷徨い歩いてみることにしよう。
 「けふもまたこころの鉦をうち鳴しうち鳴らしつつあくがれていく」(牧水)

 

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559 新居宿G 漂流者顕彰碑

 関所跡の南の信号を渡った角の空き地の一角に『漂流者顕彰碑』が建てられている。 享保4年(1719)遠州荒井(現在の新居町)の船「鹿丸」が、仙台からの帰路の途中に九十九里浜沖で遭難し、はるか南の太平洋の鳥島に流された。鳥島は、伊豆諸島と小笠原諸島の中間に位置し、最も近い八丈島からの距離も300kmはある絶海の孤島である。遭難者たち12名は自分たちの船の食料、流れ着いた船に積んであった米、そして島に生息しているアホウドリなどを食べて命をつなごうとしたが、9名はその生活の過酷さに耐え切れずに死んでしまう。10年間生き延びられたのはわずかに3名。そして漂流してから20年が経った元文4年(1739)島に新たな漂流者がやってくる。彼らは江戸堀江町の17名であったが、3名の風体があまりにも異様すぎて当初は鬼だと勘違いしてしまったらしい。しかし江戸の17名たちの船に乗って彼らは孤島から脱出し、江戸に帰還することができた。生き残った荒井の甚八・仁三郎・平三郎は、将軍徳川吉宗に謁見したのち、荒井へようやく帰還することができた。

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投稿者:masa
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