母の恋 平成19年12月04日
帰ってきたら、母の佐野茂代がまた居なかった。もう夜の九時だというのにどこに行っているのだろう。前は何度も電話をしてみたがいつも電源を切っているらしく通じたことがない。今ではもう気にしても仕方がないと竹下陽子は思ってる。
茂代はもう四十七歳だが、年よりかなり若く見える。元々かなりに美人だし、きちんと化粧をして身なりを整えれば三代には見えるかも知れない。二十七歳の陽子と並んであるけば姉弟だと言われることもざらだ。小学校の父兄参観の時など、他の母親よりも一周りは若く見えそしてひときわ綺麗なのが自慢だった。父の松木和男と結婚した時はそれ相応の都市の釣り合いに見えたようだ。陽子は写真でしか知らないが、まじめそうな父が当時二十四で母は二十歳だった。結婚式では茂代は妊娠五ヶ月の身体を隠していたと聞く。すなわち、その時の子供が陽子だ。
十年前に亡くなった父の和夫についてはこれと言った印象がない。あまり家にいた記憶がないし、あまり口を利いたこともない。幼い頃、遊園地や買い物に連れて行ってくれたのも旅行に連れて行ってくれたのも茂代一人で、和夫が一緒だったこともない。およそ、家庭や家族には関心がなかったのかも知れない。
和夫が家にいなかったのも別に浮気や遊びなのではなく、仕事を家庭よりも重んじたからだとは、父が亡くなった頃には陽子も理解はしていた。もう十七になっていたのだから。だが、それでも父親に対する気持ちはもうほとんどなかった。考えてみれば、和夫がそうやって働いてくれたおかげで生活にも不自由はしなかったし、学費の心配などせずに勉強に打ち込め、最終的には幸い希望の大学を出ることも出来た。
父親とは何だろうと随分考えた時期があったが、いつの間にかそれもなくなった。ごくたまに父親が家にいても陽子は寄りつかなかったし、そして和夫も強いて陽子を傍に置きたがることもなかった。その父、和夫はある日あっけなく死んだ。会社で倒れ、そのまま救急車で病院に運ばれた時はすでに死んでいて、陽子が学校で呼び出されて病院に駆けつけた時は、父は霊安室で白布を顔にかけられ横たわっていた。傍に母の茂代が座っていたが、別に泣いているわけでもなく、陽子の顔を見ると微笑みさえした。その微笑みが何を意味しているのかは陽子には分からなかった。少なくとも、茂代が夫を憎んでいたとも思えず、父のことを悪く言ったこともない。陽子が家にいない父の不満を言うと、お父さんは忙しいから、と言うだけだった。父のことを悪く言ったこともなかった母が、亡くなった父の傍でほほえんだのを見て、初めて母の思いが分かったような気がした。
父が亡くなってから母は次第に若くなってきたような気がする。幸い父の退職金はかなりの物だったし、蓄えもあった。そして、父の高額な生命保険も下りた。家もほとんどローンが済んでいて、つまりは父が亡くなっても直ぐに生活に困ることはなかったのだが、何年かしてから茂代は働きに出た。
茂代は結婚のために大学を中退していたので改めて市民講座などに通い、色々な勉強を始めた。和夫が生きている時も割合時間があったので色々勉強を続けていて、働き始めた時には英語や経理などの資格もきちんと取っていたから、ただのパートや雑用などではなく、きちんとした会社の社員として採用された。和夫の収入には及ばないがそれでも世間一般の収入よりは多かったようだ。
だから、茂代が忙しいのは仕方がないと陽子も思う。でもこのところ毎日遅いし、そして連絡も付かない。ただ、陽子自身もう二十七であり、子供ではない。比較的良い大学を出ることが出来たので、大手の会社に勤めることが出来たからもう金銭的な負担を茂代にかけることもないし、陽子自身の生活はすでに茂代の生活ともかけ離れてきている。つまり、親離れ子離れがきちんと出来ていると言うことなのだろう。これで休日など顔を合わせると結構なかの良い親子なのだ。
茂代が特に遅く帰るようになったのはこの二,三ヶ月くらいのことだ。そして電話連絡も付かなくなったのも丁度そのくらいだ。ただ、遅くなっても茂代は帰ってきたのだが、その帰る時間が次第に遅くなってきたような気がする。四十七にもなる茂代がそんなに毎日遅く帰ってくるのはどうも普通ではないような気がするが、それでも陽子がとやかく言うことはないはずだ。とにかく茂代は健康だし、もうすぐ五十にもなろうというのに本当に若々しいし、家事も陽子と分担してきちんとしているのだからそれで良いのだと陽子は思う。夜遅くなるまでは、電話も通じるのだ。
ただ、今日初めて陽子はふと思った。茂代には恋人がいるのではないだろうか。今まで思いつかなかったことだが、茂代が恋をしていても不思議ではない。父が生きていた頃から母はいつも控えめだったし、子育てや家事に専念していたことしか陽子は知らない。父がまじめだったように、母も浮気をしていたなど考えられないし、父が亡くなって母は陽子の世話をしながら勉強をし資格を取り、堅い仕事に就いた。そこでも男の陰など陽子は全く感じなかったが、それは陽子の思いこみだったのではないか。もし、そうなら、陽子は応援したい。自分には縁がないのか、ほとんど恋愛らしいこともしなかったがそれでものんびりしていた。その間に母親が恋愛をしているのであれば応援しても良いのだ。
そしてその日、茂代は帰ってこなかった。外泊は初めてなので驚いたが、これで母が恋愛をしているのだと確信を持った。陽子が茂代と顔を合わせたのは、次の日の夜だ。いつもより早く帰り、夕食の支度をするために茂代に食事がいるかどうか聞いたのだ。早い時間だったので電話は通じたし、そして茂代は家にいた。買い物を済ませて食事の支度をするつもりだと言っていた。
陽子が帰ると、食事の支度はすっかり出来ていたが、驚いたことに年輩の男が家にいた。会社の上司で飯田周三というのだそうだ。飯田は数年前に離婚し、子供も離れてしまって一人暮らしだったが、茂代と気が合い、今はつきあっている。結婚するつもりだと言われた。さすがに驚いたが反対する理由はないし、陽子は賛成した。
三年後、茂代と再婚した飯田は運転していた車がスリップして大破し、急死した。父親という感覚はなかったが、なかなか気の好い男で陽子も気に入っていたし、陽子が会社の同僚、松田朗と結婚することを喜んでくれていたので、その分寂しく、残念でもあった。
茂代がかなりの借金を返し、生活を安定させることが出来たのを知ったのは、飯田の退職金、と他の財産の半分と、茂代が受け取り人になっていた生命保険が下りた時だった。陽子は、初めて和夫が亡くなった時茂代がほほえんだ本当の意味を知った。
投稿者: takaojisan
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