2008/4/27
舞姫 平成20年04月27日
佐野茂代の引退興行があると仲間内からメールで知らせが来た。もっとも飯田周三は茂代がデビューした頃からのファンであり、この数年は茂代のホームページも観ているから茂代の引退興行のことは知っていた。一月ほど前、茂代を交えてファン達が飲み会を開いたときも、近いうちに引退するつもりだと、茂代自身が言っていたのだ。
「本当に皆さん、ありがとね。皆さんが応援してくれていたから、気がついたらこんな年になるまで板に乗っていたけれど、でももう何か体が思うように動かないのよ。だから限界だと思ったの」
「ええっ、茂代姐さん辞めちゃうの。まだまだ大丈夫じゃない。俺、姐さんが初めて劇場に出たときからずっと観ているよ。あのときから、姐さん、ちっとも変わってないじゃない」
「いくら何でも、変わってないはずないでしょ。あたし、十六で濡素六劇場に出てから、もう三十年近く経つのよ。今じゃ、出させてくれる劇場なんかないわ」
そんな茂代の言葉を聞いて、みんなうなだれた。集まったファン達は凡そ十人くらい。昔はもっとたくさん居て、茂代の出る劇場をそのまま追いかけて観ているファンも大勢居た。だが、今は劇場自体がほとんどなくなっている。二,三十年前までストリップ小屋は日本中に百や二百は有ったはずだが、今はもう十分の一くらいになってしまった。茂代が初舞台を踏んだ名門、濡素六劇場も去年廃業してしまった。なにしろ、ストリップに客が集まらなくなったのだ。そして自分で言うように、茂代はもう五十近いのだ。
今は想像もつかないが、茂代達の時代、デビューする踊り子の中には中学を出てすぐ舞台に乗る子達がいた。いまでも何人かはまだがんばっているが、踊り子が引退を決心するのは大抵は三十代の終わりくらいだ。もともと、今は早くても二十以上でデビューし、三十代の後半くらいまで踊り続ける踊り子は滅多にいない。大抵は二,三年で辞めてしまう。だから、茂代のように十六で初舞台を踏んで、五十近くまで舞台に出続ける踊り子など、殆ど居ないし、これからは踊り子自体なり手がなくなってきている。無理もない。小屋がなくなり、仕事もなくなってきているのだ。
「残念だなぁ、もう茂代さんの舞台は観られないのかい?姐さんのような色気を出せる踊り子は、若い子には居ないし。惜しいなぁ。後輩に教えるなんかしてるんだろう」
「うん、まあね。でも今の若い子は真剣には覚えない子が多いわね。でも本当に真剣な子は教えなくてもがんばってダンスや日舞の稽古をしているし。日舞の名取の人も居るのよ。私はダンスの方だったから日舞はやらなかったけれど、昔は忙しかったからまともにダンスの稽古も出来なかった」
茂代が言うのも分かる。茂代は売れっ子ダンサーで、十日毎に舞台が変わる日程を全く休み無しに全国を回っていたのだ。確かにその時代は月に百五十万くらいずつ稼いでいたらしいが、移動代、ホテル代、飲食費、特に後輩達や不安達におごる飲食費や衣装代などでかなりの額が消え、結局手元にはあまり残らないのが実情だったようだ。中には金を貯めるのが目的で踊り子になった子もいるが、茂代達のタイプは、稼いだ金は全部使ってしまうような所があり、だからこそ舞台だけに生きていた面があるのだ。
「そうか。茂代姐さんが決心したんなら仕方ないなぁ。これからどうするの。どこかに落ち着いて、何か店でも開くとか・・」
周三が聞くと、茂代は首を振った。
「前はそんなことも考えたんだけどね、はっきり言ってあたし人に愛想の一つも言えない人だし、それに店をもつったってお金がないわ。前はね、ダンスなんか教えてみたいなぁ、って思ったこともあったんだけど。今は、生徒が集まらない。まあ、何か考えるわ」
周三は聞かなければ良かったのかと思った。茂代に金がないのは分かり切ったことだ。大金が稼げたのは昔のことで、今は滅多に舞台に立たず、しかもギャラは大幅にダウンしている。どこの小屋も苦しいのだ。それに今の客はストリップを風俗と思っているから、芸などどうでもよく、単にさわったり覗いたりピンクサービスが有れば良いのだ。それなら、体だけは見栄えの良いコロンビア辺りの女の子で十分だから、割高で風俗サービスをしない茂代達に仕事を回してくれるコース切りは居ない。ちなみにコース切りとは、踊り子のスケジュールを劇場に売り込む手配師だが、茂代は自分で劇場と折衝するようになっていた。コースきりのピンハネが多すぎるのと、茂代の仕事を他の若い踊り子に振り向けていることを知ったからだ。結果は仕事の激減だった。
五十近い茂代は、こうやって一緒に飲みながら間近に見ると確かに昔とは大違いなのだが、普段から体を鍛えダンスで体を動かしそして舞台用の化粧のために、体自体はおそらく三十代のままだと思えた。又はここに集まるファン達の平均年齢六十幾つという事もあるのかも知れない。みんなストリップに入れあげ茂代の後を追いかけていたような連中だから、金を持っているはずがない。だから、茂代に援助をして何とかしたいと思ってもそう出来る人間は居ないのだ。むろん、茂代もそんなつもりはない。実際、その後の生活がどうなるのか、周三には分からなかったし、分かったところでどうにも出来ない。
「ホームページはどうするの。引退したら閉じてしまうのかなぁ」
周三の問いに、茂代は傍らにいた竹下陽介を見た。竹下陽介が茂代のホームページを管理しているのだ。ホームページに寄せられるメールはファックスで茂代に送り、茂代は手書きで返事を書いてファックスで竹下陽介に送る。竹下陽介はそれを茂代の回答としてコメント欄に載せる。ホームページ自体は、やはり六十過ぎの竹下陽介がデザインしているだけに泥臭いが、それを観る周三はとにかくかろうじて観ることが出来るだけの知識しかないから、ホームページを作れる竹下をうらやましく思っている。
「今は考えてないけれど、様子を見て継続するか辞めるか決めよう」
引退興行の知らせが来て、どうにか観に行く予定を作ったときに、竹下から連絡が来た。引退興行は中止だという。なんでも茂代が自宅マンションで死んでいるのが見つかり、警察では肝硬変が悪化した結果の病死だと発表したとのことだ。
茂代のあっけない死に周三は呆然としたが、考えてみれば二十代の頃から茂代を見てきた自分もおそらくこんな風にあっけなく死ぬのだろうと想像した。考えてみたら、茂代の舞台以外まともな思い出もない。知らないうちに、俺も引退を迫られていたのか、と周三は今更ながら一人暮らしの狭いアパートの部屋で思った。

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投稿者: takaojisan
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