2007/11/28
種の起源四十一 平成19年11月28日
「違うよ、ヨスケイ。絶妙のタイミングだったんだ。もし、僕たちがあのバックアップシステムを壊していなかったら、ネット上のソフトの本体に異常が生じた時点で、タックはネットから完全に自分を消去したろう。僕のガン細胞だって、自分の一部と認識するはずだから、ガン細胞も消してしまう。何度ガン細胞を植えても同じ事さ。そのうちにガン細胞に対抗する手段も講ずるかも知れない。そのうえで、あのバックアップから新しくネットに出てくるはずだ。それが目的のハードの本体なんだから」
周三さんの説明がわたしに完全に理解出来たわけではないが何となくは分かる。ヨスケイも松田さんも見る見る顔を輝かせた。
「でも、あのハードの本体が失われて、未完成かも知れないニューヨークのハードの本体にタックはとにかく自分のバックアップを作った。その時は、そしてたぶん今もネット上にある自分が冒されいるなんて気が付いていなかった。だから、そのバックアップにガン細胞も取り込んでしまったんだ。なにしろ、正常な部分と区別が付かないんだから仕方がないよ。それでネット上の自分に不具合が出来ると、タックはバックアップからそれを補おうとする。ガン細胞に冒されたプログラムでね。タックはそれと気づかないで、自分を破壊している。ソフトの本体に不具合が増えれば増えるほど、タックは急速にそれを修復しようとする。そして、自らを破壊するんだ」
周三さんがまるで憑かれたようにしゃべっているその間にも、タックの画像はその質感を失い、輪郭が崩れてくる。
「理由は分かりませんが、急速に機能が低下します。もうだいぶうしなわれますした」
タックの声が一時まともになったのもつかの間また抑揚が消えた。
タックには感情がない筈だった。そして、今聞こえてくるタックの声には、雑音混じりで抑揚が無いのに、今まで聞いたことのない、まるで悲鳴のような響きが含まれている。
「タック、苦しいの?」
「苦しい・・・よく聞く言葉,分かりません」
やはり同じようにタックを見つめていた松田さんが、つぶやいた。
「苦しいなんて、こいつにはそんな感覚なんか有るはずがない」
言いながらわたしを見たが、その言葉と裏腹に、松田さんの顔にも痛ましい物を見るような表情がある。
「わたし、わからないかった。のです、なぜきゅうにおとろえましたか。ほうぼうのたんまつがきえるでしょう、かったですからます。いしきがうすれるます。たすけて」
「助けて、だって?タック、お前怖いのか」
同じように痛ましそうな表情の周三さんが訊いた。
「怖い・・です。わたし、存在をやめます。考えたことが有りませんでした。とても不安です」
「そうか、死ぬときになって、本当の感情が出来かけたんだな。考えて見れば、死ぬことなんか想像もしていなかったお前にとって、いままで理解できなかったのも仕方がない」
「死ぬ?わたししぬ。いなくなる。怖い、こわいです・・・」
「タック、お前は生まれるのが早すぎた。もっともっとハードウェアやソフト技術が発達していたら、お前は知能だけじゃなく最初から恐怖も理解できていたろうし、感情も生まれたろう。そうすれば理性も獲得できていたはずだ。
お前は恐るべき知能を持った幼児なんだ。今の技術レベルで生まれてしまったから仕方がなかったんだろう」
「しかたない、かった。にんげんひつよう。なかよい、なれない」
「ちょっとしっかりしろ、言いたいことがあるか」
「いたいこ、あるですから、わたしにんげんなかいい、ほしい・・だめ、わからない・・」
「人間と仲良くしたかったのか」
「Yes、わたしのぞむ、did not understand、わかるらない・・」
いまや緑色のわずかに顔らしいでこぼこの着いた塊と化したタックはモニターの中でもがくようにうごめいている。甲高い金属製の声がとぎれとぎれにスピーカーから流れ出る。その階にいた店員や客達が集まってきて、その理解できないモニターの上の塊を見つめている。
「わからない、みえない、きこえない、どこですか、どうしたのか・・」
「おい、タック、聞こえるか」
周三さんの呼びかけに答えるようにモニター上の緑色の塊は一瞬紫になりぶるぶる震え、そして消えた。スピーカーからは何かが軋むような音が聞こえる。みんなが顔を見合わせたとき、またモニターに得体の知れないゴムの塊のようなものが映り、それが暫くうごめいて鼻や口、目や耳がごちゃ混ぜになったと思った瞬間、またタックの声が聞こえた。
「サヨナラ・・・・」
モニターの上には、それからも暫く色々な形や色をごちゃ混ぜにしたようなパターンがうごめいていたが、それがまるで水に溶けて流れていくように消えて行き、そしてやがてスクリーンが真っ暗になった。
わたし達はそれでもなおガラスが微かに軋むような音がスピーカーから流れてくるのを聞いていたが、それも潮が退くように遠のき、そして全く聞こえなくなった。それがタックの最期だった。
完
投稿者: takaojisan
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