2008/11/23
2008 総括(その2)
あるトライアルの名人が、ぽつり漏らした言葉が、耳に残っています。
「いざ本番になると、力を出せない人が結構いるんですよ」
この言葉と私をオーバーラップさせようとは思いません。
なにせ、出せるほどの力を蓄積していない私ですから。
ただ「いざ本番になると」というニュアンスは、
私にも充分わかるような気がします。
いざ本番。そうです。大会当日です。セクションに向き合う瞬間です。
当然、緊張します。不安もあります。けれど、トライする他ありません。
やるしかない・・・もし、そんな精神状態だとしたら、かなり危ういですね。
つまり、今シーズンの私の状態です。
「やるしかない」ということは「いちかばちか」の賭けみたいな心境です。
「やれるかもしれない、でも、やれないかもしれない」
これでは、結果や成績をサイコロの目に託すようなものです。
セクションの下見をして、自分なりにラインを決めていても、
「いちかばちか」のトライでは、セクション全体の流れが
「行き当たりばったり」になります。
ターンが思った以上に窮屈になって、越えるべき岩や丸太に正対できなくなり、
不本意な足付きでマシーンの向きを修正。
助走距離も失い、とにもかくにも前輪を上げ、後輪を引き上げることに必死で、
気付けば3点減点。あとは、バタバタとセクションから逃げるように抜け出し、
「まあ、5点でなくてよかった」という感じになるわけです。
これでは、闘えるわけがありません。そもそも闘っている実感すら希薄です。
この何とも思いのままにならない苛立ち。
競技が早く終わらないかとさえ思う敗北感。
トライが雑になっていくばかりです。
ところが、シーズンも終わりに近付いた10月頃、
私の中に、かすかな、本当にかすかな変化の兆しがおとずれました。
大会で言えば、岩鷲トライアル大会、東北選手権(第8戦)山形大会、
さらに言えば、チャグチャグトライアルでした。
岩鷲と東北大会では、明らかに順位が浮上しました。チャグトラでは、
いくつかのセクションで貴重な手応えを掴みました。
それら全体をひと掴みにすると、次のように言えそうです。
「自分が今していること、その意味を、じっくり感じながら、
事を先に進めていく感覚」です。
簡単に言えば「慌てず、急がず、集中力を持続させていく」ということです。
そして、集中するためのきっかけは「成功のイメージ」だったのです。
シーズン中盤まで、私は、実にもろく足を着いていました。
その原因がわかってきました。
私は、クリーンする意識を放棄していたのかもしれません。
「クリーン」つまり足を着かずにセクションを抜けることです。
この「完璧なトライ」を諦めていたとしか思えないのです。
なにせ、国内B級初挑戦の年です。
この事実が私を必要以上に謙虚にさせてしまいました(笑)。
ま、萎縮したのです。
「クリーンなど欲張って狙わず、必要とあれば足を着き、
確実にセクションを抜けよう」そう考えたのです。一見、正しい心構えです。
ところが、これが、とんだ食わせ物でした。
「クリーンなんか狙わない」「無理はしない」
でも「うまくいけばクリーンかもしれない」
こんな曖昧な気持ちで、明確なトライなど出来るはずがありません。
案の定、執着心の無い淡白なトライになったのです。
足を着きながらも前進するということは、
自らの技量に照らし合わせて過大な難関に対しては、
足を着いてでも(減点を甘んじて受けながらも)前進を続けるということです。
最小限の足着きでセクションを抜けるなら、
たった一度の足着きであっても、意味のある(価値ある)足着きであるべきです。
ところが、私は、意味も無く足を着いていたのです。
特に困難でもない場所で、ふっと足を着いていました。
本来、トライする心の有り様は、入り口から出口まで「張り詰めた一本の糸」で
あるべきなのです。
しかし私は、何となくリラックス(脱力)しただけでセクションに入っていました。
難関を攻略する強い意志やこだわりも無く、
「5点さえ取らなければ、まずは、よし」という気分で
減点を受け入れていたのです。
「5点を取らない」それは、最低限の心構えです。
だからと言って、惜しげもなく足を着いていいはずがありません。
それは、もはやトライアルではないのです。競技以前の走りです。
緊張感の無いトライは、日頃の練習では考えられないミスを招きました。
「こんなはずではない」・・・焦りは絶望感に変わりました。
まさに自分が自分ではない感覚に襲われました。
それなりに描いていた夢がことごとく打ち砕かれたところで、
私は、ついに気持ちを切り替えました。シーズン終盤のことです。
「クリーンを狙う」というより「積極的なトライをしよう」と考えました。
少なくとも、それまでは守りにもならない消極的な内容でしたから、
「攻めのトライ」をしようと思ったのです。
「攻める」とは、どういうことか。
難しいことではありません。「もっと動こう」ということです。
無駄なボディアクション、ということではありません。
ターンやジャンプ、ヒルクライムなど、あらゆる場面で
自分のイメージを行為として表現しようと考えました。
例えば、ターンにおいては、リーンアウトを。ステップ荷重を。
ジャンプにおいては、サスペンションへの荷重と体の伸び上がりを、
ヒルクライムにおいては、思い切りのよい加速とボディバランスを、
はっきり意識して、マシーンにイメージを伝えようと決心しました。
何より、ラインに自分の意識を表現しようとしました。
周囲の選手の様子や意見に促されて決めるラインではなく、
どこまでも自分のイメージを優先した道筋です。
こうした意識を持つようになって、楽になりました。成績はともかく(笑)。
重石が取り払われ、気持ちがぐっと自由になってきました。
当然、下見のテンポや、セクションを巡るペースが自分のリズムになって来ました。
ようやくファイティングポーズをとれた気がしました。
本当のリラックスとは、こういうことを言うのだとわかりました。
気負わずに無理せず・・・そんな生気の無い気持ちでは、
いくら「リラックス」を装ったところで、納得いくトライアルにはなりません。
自分は何をしたいのか。そのために何をすべきか。
その意志を、ひとつのボディアクション、スロットル操作、
レバー操作にまでこめたのです。
この意識が、セクション内のラインをより鮮明にしてくれました。
それまでは、漫然と出口へ続く道筋に見えていたラインが、
何処でどう演奏すればよいか導いてくれる楽譜のように見えてきたのです。
そのように積極的な気持ちが、「クリーンするイメージ」を誘って来たのです。
ただ闇雲にクリーンを狙うのではありません。
すべての場面で「ベストであろう」という意識が高まったのです。
ベストのトライを積み重ねた先にクリーンは待っているのです。
それぞれの瞬間に集中し、ベストの自分を確実に押し進め、出口へ導く。
そのようなイメージを(ぼんやりですが)持てるようになりました。
すると面白いもので、セクションに入る瞬間から、非常に心地よい緊張感が
生まれたのです。
何でもない場面であっても、ベストの自分であろうとする気持ちが
こもるようになりました。
自分がしていることの意味、自分が向き合っている「この瞬間」を
大切にするようになりました。
「この瞬間は、次の瞬間のためにある」という意識が芽生えてきました。
「この瞬間」をきちんと乗り切らないと「次の瞬間」をより良いものにできない。
そう思えるようになりました。ですから、先を急がなくなったのです。
例えば、「今、苦しいターンをしていることが、
次の岩越えを楽にするためのステップである」と自らに言い聞かせながら
トライします。
これは、ごく基本中の基本とも言える意識ですが、私は、さらに一歩進めて
ひとつのターンに自身の技量のすべてを傾注するようになりました。
「空間をいっぱいに使ってターンする」という基本的な動作ひとつとってみても
精神的には、相当密度が濃くなったように思います。
つまり、ターンを始める手前のブレーキングを丁寧にします。
セクションテープに触れるぐらいに前輪を大きく回します。
ターンする方向へ視線をはっきり向けます。
内側のステップへの荷重、リーンアウトの構え、
倒しこんだ車体を受け止め支える内側の足など、ひとつひとつに意識を向けます。
そのような意識を、刻々移ろうラインに重ねました。
これだけで、マシーンを進めるテンポが、
実に「ゆったり」「じわり」として来たのです。
勢いを失うということではありません。
「勢いを出すべき場所に向けて、静かに勢いを溜め込む時間が出来た」
ということです。
同時にマシーンはより接地感を高め、
ぎりぎりの局面でバランスを保てるようになりました。
そのような感覚がかすかにわかって来た、ということです。
入り口から出口までベストのイメージを持続させる、ということ。
安定を崩しそうになって、こらえたり、ふんばったりする前に
小さなことを大切に丁寧に行い、積み上げていけば、トライは自ずと安定し
楽になり、ベストのトライに近付くということを学びました。
これが、今シーズン(2008年)の大きな収穫でした。
この気持を結果に表わすためには、まだ数年の試行錯誤が続くと見ています。
(つづく)
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「いざ本番になると、力を出せない人が結構いるんですよ」
この言葉と私をオーバーラップさせようとは思いません。
なにせ、出せるほどの力を蓄積していない私ですから。
ただ「いざ本番になると」というニュアンスは、
私にも充分わかるような気がします。
いざ本番。そうです。大会当日です。セクションに向き合う瞬間です。
当然、緊張します。不安もあります。けれど、トライする他ありません。
やるしかない・・・もし、そんな精神状態だとしたら、かなり危ういですね。
つまり、今シーズンの私の状態です。
「やるしかない」ということは「いちかばちか」の賭けみたいな心境です。
「やれるかもしれない、でも、やれないかもしれない」
これでは、結果や成績をサイコロの目に託すようなものです。
セクションの下見をして、自分なりにラインを決めていても、
「いちかばちか」のトライでは、セクション全体の流れが
「行き当たりばったり」になります。
ターンが思った以上に窮屈になって、越えるべき岩や丸太に正対できなくなり、
不本意な足付きでマシーンの向きを修正。
助走距離も失い、とにもかくにも前輪を上げ、後輪を引き上げることに必死で、
気付けば3点減点。あとは、バタバタとセクションから逃げるように抜け出し、
「まあ、5点でなくてよかった」という感じになるわけです。
これでは、闘えるわけがありません。そもそも闘っている実感すら希薄です。
この何とも思いのままにならない苛立ち。
競技が早く終わらないかとさえ思う敗北感。
トライが雑になっていくばかりです。
ところが、シーズンも終わりに近付いた10月頃、
私の中に、かすかな、本当にかすかな変化の兆しがおとずれました。
大会で言えば、岩鷲トライアル大会、東北選手権(第8戦)山形大会、
さらに言えば、チャグチャグトライアルでした。
岩鷲と東北大会では、明らかに順位が浮上しました。チャグトラでは、
いくつかのセクションで貴重な手応えを掴みました。
それら全体をひと掴みにすると、次のように言えそうです。
「自分が今していること、その意味を、じっくり感じながら、
事を先に進めていく感覚」です。
簡単に言えば「慌てず、急がず、集中力を持続させていく」ということです。
そして、集中するためのきっかけは「成功のイメージ」だったのです。
シーズン中盤まで、私は、実にもろく足を着いていました。
その原因がわかってきました。
私は、クリーンする意識を放棄していたのかもしれません。
「クリーン」つまり足を着かずにセクションを抜けることです。
この「完璧なトライ」を諦めていたとしか思えないのです。
なにせ、国内B級初挑戦の年です。
この事実が私を必要以上に謙虚にさせてしまいました(笑)。
ま、萎縮したのです。
「クリーンなど欲張って狙わず、必要とあれば足を着き、
確実にセクションを抜けよう」そう考えたのです。一見、正しい心構えです。
ところが、これが、とんだ食わせ物でした。
「クリーンなんか狙わない」「無理はしない」
でも「うまくいけばクリーンかもしれない」
こんな曖昧な気持ちで、明確なトライなど出来るはずがありません。
案の定、執着心の無い淡白なトライになったのです。
足を着きながらも前進するということは、
自らの技量に照らし合わせて過大な難関に対しては、
足を着いてでも(減点を甘んじて受けながらも)前進を続けるということです。
最小限の足着きでセクションを抜けるなら、
たった一度の足着きであっても、意味のある(価値ある)足着きであるべきです。
ところが、私は、意味も無く足を着いていたのです。
特に困難でもない場所で、ふっと足を着いていました。
本来、トライする心の有り様は、入り口から出口まで「張り詰めた一本の糸」で
あるべきなのです。
しかし私は、何となくリラックス(脱力)しただけでセクションに入っていました。
難関を攻略する強い意志やこだわりも無く、
「5点さえ取らなければ、まずは、よし」という気分で
減点を受け入れていたのです。
「5点を取らない」それは、最低限の心構えです。
だからと言って、惜しげもなく足を着いていいはずがありません。
それは、もはやトライアルではないのです。競技以前の走りです。
緊張感の無いトライは、日頃の練習では考えられないミスを招きました。
「こんなはずではない」・・・焦りは絶望感に変わりました。
まさに自分が自分ではない感覚に襲われました。
それなりに描いていた夢がことごとく打ち砕かれたところで、
私は、ついに気持ちを切り替えました。シーズン終盤のことです。
「クリーンを狙う」というより「積極的なトライをしよう」と考えました。
少なくとも、それまでは守りにもならない消極的な内容でしたから、
「攻めのトライ」をしようと思ったのです。
「攻める」とは、どういうことか。
難しいことではありません。「もっと動こう」ということです。
無駄なボディアクション、ということではありません。
ターンやジャンプ、ヒルクライムなど、あらゆる場面で
自分のイメージを行為として表現しようと考えました。
例えば、ターンにおいては、リーンアウトを。ステップ荷重を。
ジャンプにおいては、サスペンションへの荷重と体の伸び上がりを、
ヒルクライムにおいては、思い切りのよい加速とボディバランスを、
はっきり意識して、マシーンにイメージを伝えようと決心しました。
何より、ラインに自分の意識を表現しようとしました。
周囲の選手の様子や意見に促されて決めるラインではなく、
どこまでも自分のイメージを優先した道筋です。
こうした意識を持つようになって、楽になりました。成績はともかく(笑)。
重石が取り払われ、気持ちがぐっと自由になってきました。
当然、下見のテンポや、セクションを巡るペースが自分のリズムになって来ました。
ようやくファイティングポーズをとれた気がしました。
本当のリラックスとは、こういうことを言うのだとわかりました。
気負わずに無理せず・・・そんな生気の無い気持ちでは、
いくら「リラックス」を装ったところで、納得いくトライアルにはなりません。
自分は何をしたいのか。そのために何をすべきか。
その意志を、ひとつのボディアクション、スロットル操作、
レバー操作にまでこめたのです。
この意識が、セクション内のラインをより鮮明にしてくれました。
それまでは、漫然と出口へ続く道筋に見えていたラインが、
何処でどう演奏すればよいか導いてくれる楽譜のように見えてきたのです。
そのように積極的な気持ちが、「クリーンするイメージ」を誘って来たのです。
ただ闇雲にクリーンを狙うのではありません。
すべての場面で「ベストであろう」という意識が高まったのです。
ベストのトライを積み重ねた先にクリーンは待っているのです。
それぞれの瞬間に集中し、ベストの自分を確実に押し進め、出口へ導く。
そのようなイメージを(ぼんやりですが)持てるようになりました。
すると面白いもので、セクションに入る瞬間から、非常に心地よい緊張感が
生まれたのです。
何でもない場面であっても、ベストの自分であろうとする気持ちが
こもるようになりました。
自分がしていることの意味、自分が向き合っている「この瞬間」を
大切にするようになりました。
「この瞬間は、次の瞬間のためにある」という意識が芽生えてきました。
「この瞬間」をきちんと乗り切らないと「次の瞬間」をより良いものにできない。
そう思えるようになりました。ですから、先を急がなくなったのです。
例えば、「今、苦しいターンをしていることが、
次の岩越えを楽にするためのステップである」と自らに言い聞かせながら
トライします。
これは、ごく基本中の基本とも言える意識ですが、私は、さらに一歩進めて
ひとつのターンに自身の技量のすべてを傾注するようになりました。
「空間をいっぱいに使ってターンする」という基本的な動作ひとつとってみても
精神的には、相当密度が濃くなったように思います。
つまり、ターンを始める手前のブレーキングを丁寧にします。
セクションテープに触れるぐらいに前輪を大きく回します。
ターンする方向へ視線をはっきり向けます。
内側のステップへの荷重、リーンアウトの構え、
倒しこんだ車体を受け止め支える内側の足など、ひとつひとつに意識を向けます。
そのような意識を、刻々移ろうラインに重ねました。
これだけで、マシーンを進めるテンポが、
実に「ゆったり」「じわり」として来たのです。
勢いを失うということではありません。
「勢いを出すべき場所に向けて、静かに勢いを溜め込む時間が出来た」
ということです。
同時にマシーンはより接地感を高め、
ぎりぎりの局面でバランスを保てるようになりました。
そのような感覚がかすかにわかって来た、ということです。
入り口から出口までベストのイメージを持続させる、ということ。
安定を崩しそうになって、こらえたり、ふんばったりする前に
小さなことを大切に丁寧に行い、積み上げていけば、トライは自ずと安定し
楽になり、ベストのトライに近付くということを学びました。
これが、今シーズン(2008年)の大きな収穫でした。
この気持を結果に表わすためには、まだ数年の試行錯誤が続くと見ています。
(つづく)
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