9歳の誕生日を迎えて次の日。私は人を殺した。
それは日も傾きかけた頃、夕日が差し込むキッチン付きの大きな部屋での出来事だった。
部屋の真ん中に突っ立っている私の周りに幾人かの男女がてんでな位置と向きで倒れていた。
一人の背広の男の人は、キッチンのステンレスの流しの縁にすがりつくようにして、まるで疲労困憊で息のたえだえ蛇口の水にすがり付こうという風情だったが、彼には、伸ばす口も、だいたいそれのついているはずの首もなかった。反対側の壁に叩きつけられ、頭骨が砕けて飛び散ったおびただしい血と脳漿がちょうど糊となってまるでおもちゃのゴムのお面を広げたようにへばりついていたのだ。
ある女性はまだ若く、美しかったのにもかかわらず、完全に生気のない体をうつぶせにして床に倒れていた。しかし、彼女の死してなお整った顔は、ふつうではまったくありえない方向に首をねじられ、光のない目をカーペットの大きな赤黒いしみの海の中から向けさせていた。
そして、整ったこぎれいな部屋の壁、調度類のところかまわずにおびただしい紅いもの。
潮騒がそのときだけはいつも以上に大きく耳に響き、必要以上に私の心を苛立たせたのを覚えている。
その子を見たのはちょうどそのとき。部屋の入り口にすがりつき目を見開いていた。黒いきれいな長髪の、肌の白い女の子。ちょうど私と同い年にみえた。
私が声をあげ、手を伸ばそうとしたとき、彼女は膨れ上がる恐怖を絶叫にかえて、家の外に向かって走り出した。そのときはじめて、私は自分の手が朱に染まっていることに気がついた。
そして、私は彼女を追って走り出した。何かを言いたかった。手を握って引き止めたかった。害意なんかなかったのだ。
玄関を飛び出し、走っていくと、ほほを夏の終わりの海風がなぶった。途中、やはり海辺やそれに通じる歩道にいくつかの転がる人体を視界の端に見たようにも思う。だが。いずれも思うだけで本当にそれはあったのか、第一、飛び出した家が本当に実在したのか、実はかなり怪しくなる。
走った先に彼女はいた。だが、1人ではなかった。
彼女がその体に顔をうずめるのを抱き抱えていたのは、黒い濡れるような長髪の女。ろうそくのように透き通った肌の整った顔で、切れ長の目をしかし、何かを案ずるかのように向けてきていた。
その隣にもう1人。こちらは長身の紺の背広の男。黒いソフト帽を被り、そのつばの下から三白な視線が私を睨んでいた。
私は不思議なのだ。このことを思い出すのは、そして夢に見るのは、ミズクやユキと約束のない日、決まって通ってくるこの場所で寝台に横臥して注入器を着け、処置を行っているときに限られる。そして、ここを出て帰るときにはまったく記憶の端にも上らないのだ。
今、こうやって、注入器から注射針を通して静脈に薬剤を投与されているからこんなにはっきりと思い出せる。
そして、おかしなことに、私には、このことに恐怖も罪悪感も自責の念もない。というよりは、まったく他人の行状をその横から見ているように、自分が当事者だったという実感がないのだ。
藤原博士や麻耶さんにはこのことは一言も話していない。実験中や訓練中感じたこと、思い出したり考えたことは、後で細大漏らさず報告するよう言われていたが、なんとなく、言ってはならないことのように思えるのだ。
そうだ、今日も訓練が終わり、今、最後のフィジカル=インスペクションだ。あと20分もすれば終わる。すぐに帰れるのだ。そして、今日は土曜日。またミズクのところに行こう。
ミズクといるときの私は丁度、あの黒髪の女に抱かれたあの女の子のような、安堵の気持ちを抱けるようだ。何でも包んでもらえるような暖かい手。
だが、同時に今この瞬間には、彼女に対してなにか切羽詰った、伝えなければ、言わなければならないようなことがあると強く感じる。いても立ってもいられない感情のほうが大きく首をもたげてくる。
とにかく、早く、すませよう。薬剤のほとぼりが冷めたらその足ですぐに彼女を訪ねよう。
たとえ、ふたたび薬効の消滅とともにそんな記憶も切迫感も消え去り、弱虫で甘えん坊な私、いつもミズクやミキや和樹君といるときのあったかくて明るい光の好きな私に戻っていても。
