眞鍋嬢にTBってからカウンターが今までにない数値をたたき出しました…
さすが、「TBの女帝」です(^^;
調子こいて今日も行っときましょう(^^)
仲間内で
YMCA流行らせてみたいしね(謎)
っとココまでとは打って変わって…
今日は少しマジメな話になります。
少し長くなってしまうと思いますが、
ぜひお付き合いお願いします。
キッカケは
とあるブログを見たことです。
このブログはご主人が多発性骨髄腫という難病になり、
それと闘う毎日を書き記した奥さんのブログです。
多発性骨髄腫とは血球産生工場である骨髄の病気で、
リンパ球の1つ、形質細胞が異常に増殖してしまう病気です。
これにより免疫グロブリンが過剰生産され様々な全身症状がでるのですが、
筆者が説明するより
このブログを読んで頂く事をお奨めします。
何故このブログに筆者が心引かれたかというと、
筆者も似た経験をしたことがあるからです。
それは今も忘れることが出来ない思い出であり、
また、今の自分がいる原点でもあるからです。
なので今日はその話をしようと思います。
僕には年の離れた仲のいい、いとこのお兄ちゃんがいました。
両親が自営業で忙しいため、よく僕の家に遊びに来ていました。
兄弟のいない僕にとって、彼は実の兄の様な存在でした。
4歳年上の彼は、僕にとって憧れの存在であり、尊敬の対象でもありました。
彼が病魔に犯されたのは彼が高校1年生の時で、僕はまだ小学生でした。
当時聞かされた病名は白血病。
手塚治虫の漫画「ブラックジャック」や社会科の勉強で聞いたことがある病気でした。
最近知った話ですが、本当の病名は「悪性リンパ腫」
急性リンパ性白血病との区別が難しいく、
またこの中にも様々な種類がある病気ですが、
予後が悪い場合が多い病気です。
初めてお見舞いに行った時、彼は元気そうでした。
ミルクティーが好きなので、午後の紅茶を買っていったことを覚えています。
元気になって帰って来ると、当時の僕は信じて疑いませんでした。
次の見舞いの時、治療に使う抗癌剤の影響で、
彼の髪の毛は無くなっていました。
口内炎が口全体に出来て、ろくに食事も取れなかったそうです。
それでも、僕に対していつもの笑顔を向けてくれました。
自分の病名を聞いた後、彼は何度も一人で泣いたそうです。
でも決して僕にはそんな素振りを見せませんでした。
そして、いつも会うたびに言っていたことは
「将来、医者になって、同じ病気で苦しむ多くの人を助けたいんだ」
その夢を語る彼の顔は、幼い僕から見ても輝いていました。
化学療法だけでは治る病気ではないので、安定期に骨髄移植も行いました。
彼には兄弟が一人いたのですが、残念ながら白血球の型は一致せず、
成功率は下がりますが、彼の父親から移植を行いました。
が、結果は思わしくありませんでした。
そのうち全身に転移が起こり、状態は悪化する一方でした。
しかし、幼い僕にはその事実は知らされることはありませんでした。
闘病生活が始まって1年が過ぎるか、過ぎないかの頃です。
僕は中学1年生になっていました。
その日、僕の母親の配慮で僕は最後に立ち会うことは出来ませんでした。
後日、祖父の最後には立ち会ったのですが、
苦しむ姿を見るのはとても辛いことでした。
母は僕にそんな思いをさせたくなかったのでしょう。
僕の父からの電話は今でも鮮明に覚えています。
仲のいい友達2人と遊んでいる最中に突然鳴った電話は、
彼の死を告げるものでした。
電話の向こうの父の声は、こらえ切れない涙で震えていました。
その後のことはあまり覚えていません。
唯、涙が枯れることが無かったことだけ覚えています。
翌日、彼の家まで両親に連れられて行きました。
その時には涙は止まっていたはずだったのですが、
布団の中で安らかに眠る彼の顔を見た瞬間に、
また涙が止まらなくなりました。
僕が初めて身近に体験した「死」は
幼い僕には抱えきれないほど大きなものでした。
通夜、葬儀、その後の法事と、駆け足に色々なことが終わって行きました。
その後、
「生きるとはどんなことなんだろう」
と悩む時間が多くなりました。
ただでさえ多感な時期に、このような出来事が重なったわけですから、
僕の心は崩壊寸前だったのかもしれません。
ですが、死のうとは思いませんでした。
生きたくても生きれない人がいる事を強く感じているからです。
中学校時代の恩師や大切な仲間のお陰で、僕は何とか立ち直り、
「医者になりたい」
という具体的な夢を持つようになり、
さらに多くの暖かい人に囲まれたお陰で、
大学生になった今もその夢に向かって進むことが出来ています。
しかし、僕の原点は彼の
「将来、医者になって、同じ病気で苦しむ多くの人を助けたいんだ」
という果たされなかった想いにあります。
高校時代、挫折しそうになった時には、深夜に自転車で抜け出し、
片道6時間ほどかけて彼の墓前で泣きじゃくったこともありました。
決して彼のためにこの夢を追いかけている訳ではありませんが、
この夢を与えてくれたのは、他ならぬ彼自身な訳です。
今では、あれほど大きいと感じていた彼より、
僕は4歳年上になってしまいました。
7年経ってやっと彼の両親は少しだけですが、
笑って彼の話が出来るようになりました。
無情ですが、人は時に流されながら生きていくものです。
彼にまつわる記憶が徐々に薄れていくことを最近感じます。
しかし、苦しい時や、挫折しそうになった時、
自分に甘えたくなる時には、いつも彼の顔が浮かんできます。
彼は、今でも僕に生きる勇気を与えてくれています。
人は誰でも何時か死にます。
それが早いか遅いかの違いだけです。
死によってその人の人生は終焉を迎えます。
しかしその死は、それよりも多くの生を与えてくれます。
少なくとも、僕はそう感じました。
長くなってしまいましたが、ここまで読んで頂いた方々、ありがとうございました。
拙い文章になってしまいましたが、これで少しでも僕が与えられた
「生きる力」
を皆様方に分けることが出来たら幸いです。
どんなことでもイイので、感想いただけたらうれしいです。