2年前の4月10日のことを思い出すと今でも断腸の思いだ。
当時県会議員選挙があり、私は地震のときにお世話になった現職を推していた。
その4年前の選挙のときに父が川口町の責任者だった。父の亡き後、私に声がかかった。パソコンができることなどを買われて会計を任せられた。
4月8日に選挙は終わったが、残念ながら私たちが推した候補は落選した。9日朝に、我が家に県警捜査2課の刑事が来た。それまでも警察の方がお茶のみに来たりしていたので、快く迎えてお茶まで出してやった。さまざまな雑談のあとで「4月1日の夜に何があったか?」という話になった。
記憶に自信がなかったので日記帳を広げてみたら、私たちは選挙事務所で街宣車の行程を確認して各地区の住民から出ていただくように打ち合わせをしていた。
「その他に何かなかったか?」というので、一生懸命考えた。警察には協力的だった。
「そういえば、私がお願いしたけれど打ち合わせに来なかった人がいた。
その日はムラの新役員の顔合わせ会があった」
「会議の後で何かあったか?」「知らない」
(後でわかったことだが、新役員はその後、料理屋で顔合わせ会をやった。
そのことを選挙運動と勘違いして警察に電話した人がいたようだ)
バカ正直な私は、自分が川口町の選対の会計をやっていること。選挙中に役員が一度だけ飲んで、そのワリカンがまだ終わっていないことまで話した。
「明日は我慢していた山に行くよ」と言って、刑事と別れた。
その時は何も言わなかった。
(後で考えると、電話の件がシロだったのでそのまま本部に帰られないと思ったのだろう)
10日は巻機山に登った。9合目で刑事から電話が入った。
帰りに小出警察に寄ってほしいとのことだった。
小出警察の取調室で昨日の刑事から取調べを受けた。揚げ足を取られたと思った。
「地震の時に県議からあれもこれもやってもらった」
「それは公平という観点からみるといかがなものか?」
(地震の苦労が全くわかっていない)
「ワリカンはまだ終わっていないが、我々は今回の選挙は地震の恩返しのつもりでやっている。仮に祝勝会で赤字がでれば、役員で自腹を切るつもりだった。したがってワリカンはまだやっていない」
「それは泥棒が後から返すつもりだった、と言っているのと同じだ」
(記憶にないところは日記帳まで見ながら捜査に協力したのに泥棒呼ばわりされた)
「明日は十日町警察に出頭するように」とのことでその夜は終わった。
ところが家に帰ったら、仲間が警察の取調べを受けているという。
自分のことだけなら我慢もできるが仲間に迷惑をかけたことで押しつぶされそうになった。
昔から正直の上にバカがつくと言われてきたが、その性格が仲間に迷惑をかけてしまった。それにしても、地震の後で自殺した人がいることも知らないで「公平さを欠く」だとか私を泥棒呼ばわりした刑事は許せない。
死んで抗議してやろうと思った。
最初は車をどこかにぶつけて死のうと思った。最後は雪山に入って県警のヘリコプターに発見された。隊員は「死ぬ気になれば何でもできる」とおっしゃった。
「俺は警察に殺された」とのど元まで出掛かったが言わなかった。
悔しくても警察の自由にはさせられない。祝勝会はないことになったので、ワリカンは自殺未遂した翌日に回収して、本部には1円の間違いもなく報告した。
地震の後でさまざまな苦労は乗り越えてきたが、泥棒呼ばわりされたことだけは我慢ができなかった。
あれから2年。今でもあの時のことが悔しくて眠れない夜がある。
2度と警察は信用するまい、と心に決めた。

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