みなさま、こんばんわ(^_^;)
長い梅雨ももうじきあけそうですね。
いかがお過ごしでしょうか(^_^)/~
さて、本日の話題ですが(^_^;)もうじき放映される『ゲド戦記』について少しお話したいと思います。
『ゲド戦記』は、以前より河合隼雄さんも絶賛されていた児童文学作品として、あらすじやその内面的な意味づけなどの先生のお話も読んだことがありました。
『ファンタジーを読む』河合隼雄著講談社α文庫刊
しかし案外きっかけが無く(^_^;)本編を読む、までには至っておりませんでしたが、アニメが好きな僕としては興味深いジブリ作品として写った次第で、予告編なども楽しく眺めまして、その気になって読み始めてみました(^_^;)
スタジオジブリ・・・目次に予告編T・Uがあります。
また、おおむねの概要として下記のリンクもまとまっています。
「ゲド戦記」フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
読み始めてまいりますと、これがなかなか面白い(^^ゞ
「ゲド」というのは、主人公の「真(まこと)の名」でこの名前はかなり信頼している(命をあずけてもいいというぐらいの人)人でしか教えないのです。
このお話は魔法使いの物語ですが、なかなか哲学的といいましょうか、それなりの定義といいますか、理(ことわり)があるわけです。
ゲドは小さな時から魔法の才能があり、大魔法使い「オジオン」に認められ成人式を経て「ゲド」という名を与えられます。
(いつもは「ハイタカ」というあだ名を使って生活しています(^_^;)ちなみに先生の名前の「オジオン」もあだ名です。)
そして魔法使いの見習いとして行動をともにし、時期を経てローク島の「魔法学院」へ入り魔法の修行を続けます。
『ホグワーツ魔法魔術学校』とはちょっと雰囲気が異なります(^_^;)
魔法使いは事物や動物の「真(まこと)の名」を教えられて覚えなければなりません。なぜなら、それによって彼等はそれらの事物や動物を支配できるからであります。
物語の中に竜という動物が出てきますが、第一巻では「イエボー」という、竜の「真(まこと)の名」を(ゲドの推測でしたが、名前が当たります)ゲドが言い得て、竜を鎮まらせ、二度と多島海に来るなと約束させるのです。
心理療法家の河合先生は、この「真(まこと)の名」をどう考えたらよいかをおっしゃっています。
『その「真の名」というのは何なのだろう。
たとえば、誰でも何かわけもなくイライラするときがある。そのわけがわからぬ限り、なかなかそのイライラは治まらない。
よく考えているうちに、昼休みに同僚と雑談した時からイライラが始まっていたことに気づき、なおも考えていると、その同僚が自分の友人で株で大もうけした人がいた、と言ったことがきっかけらしいとわかってくる。
自分はお金など人生ではあまり大切でないと割り切っているのに・・・と不思議に思っているうちに、自分の父親は「世の中はすべて金や」と口癖のように言い、それに強い反発を感じていたことを思い出してくる。
このあたりまで来ると、父親が死んでから長く経つのに、いまだ父親の言葉にこだわっていることや、お金のことは
割り切っている、などと大きいことを言っていても、やはり気にしているのだな、ということに気づいてくる。
このようなことを考えているうちにイライラもおさまり、仕事に集中できるようになる。つまり、感情の「イライラ」としてとらえていたことの「真の名」がわかってきたので、自分の感情を「支配」できてきた、というわけである。
実のところを言うと、それは「真の名」かどうかわからないのだが真の名に近いあたりを知っても、相当に効果があるということであろう。・・・』
『ファンタジーを読む』第11章「自分自身の本当の姿を知る」ル・グイン『ゲド戦記T、影との戦い』より引用。
『ゲド戦記T、影との戦い』では、さらに本質的な
無意識について、『影』として表現され、二度にわたって自らの魔法で「死んだ人の魂も呼び出せるか」という無謀な誘いにのってしまって、「気味の悪い、黒い影の固まりのようなものがぬっと這い出てきて」二度目にはゲトの肉を引き裂きます。
ゲドは、一度目は大魔法使いオジオンによって救い出され、二度目はローク学院の校長で大賢人ネマールによって影が追い払われて救われますが、ネマールはそのために能力を全て使い果たして死んでしまうのでありました。
「影」とは、何なのでしょう。
ユングについて、作者のル・ヴィンもよく読んだと語っているそうですが、考え方として、「影」とは私たち一人一人が持っている『無意識の全体』といえるようです(^_^;)
無意識=影、には個人的影と普遍的影があるそうで、前者の無意識に比して後者の無意識を見通すことは極めて困難であるとユングは言っているそうです(^_^;)
(その例として、普遍的無意識の一部として「殺人」ということがある、などとも聞きます(^_^;))
なかなか恐ろしいことが出てくるのも・・・そういう状況を言い表そうとしているのかもしれません(^_^;)
さてさて、かなり暗澹とした状況でありますが、ゲドは影の恐ろしさにおびえ迷いますが、次第に「逃げる」ことから影と「対峙」しなければならないことを悟ります。
河合先生は「リアライゼーション」=「実現する・理解する、悟る」という言葉を用いてユングが『影をリアライズすることが、人間にとっての責務である』という主張を述べられています。
ゲドは影=無意識のことを真に知るために何らかの「実行」が必要で、ただ頭だけでは知ることはできず、影を追う旅を続けるのですが・・・まことに様々な出来事を経て、長く苦しい旅の終わりに「影」に出会い、両者は向かい合って、一瞬にゲドと影が相手の「真(まこと)の名」を言うのでした。
その名はゲドも影も『ゲド!』という同じ名前なのでありました。
「光と影とは出会い、とけあってひとつになった」
人生の中で、無意識をリアライズすること、あんまり、むずかしく考えても仕方ありませんが(^_^;)自分自身の真の姿は、影から逃げないで、見つめ続けてていくことが大切なことかもしれません。
今日は第一巻のことしかお話できませんでしたが、第六巻までありますのでまたの機会に感想を書きたいと思います(^_^;)
それでは、おやすみなさい(^_^)/