みなさま、明けましておめでとうございます。
本年も、昨年同様、お付き合いの程よろしくおねがいいたします。
このブログも、昨年の夏休みのご報告以来、なかなかお話する事も出来ず、申し訳ありませんです(^_^;)
今年のお正月は、いたって静かに過ごしております。
旅行や予定もないので、DVDの映画やテレビを見たり、本を読んだりとのんびりです。
さて、私も以前より恥ずかしながら、休みとなりますと、よく夫婦揃ってドライブしたり、映画や食事をしたりと行動を共にする機会が増えました。思えば、有り難い事であります。
しかし、そうした意味でも、世の中には大変ご苦労されてらした方々がおられるんだなぁといささか驚き、そして感動したことがありました。
それは、昨年の11月初旬にテレビ放映されました『泣きながら生きて』という番組でした。
http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html
http://www.sankei.co.jp/enak/2006/oct/kiji/31tvchinese.html
正確を期して、少々ドキュメント内容を引用させていただきますと・・・・・
『1989年、ある中国人男性が上海から日本へ渡ってきた。
丁 尚彪(てい しょうひょう)さん。
上海の街角で、とある日本語学校のパンフレットを目にしたのだ。
そこには入学金と半年分の授業料、合わせて42万円と書かれてあった。
それは、中国では夫婦二人が15年間働き続けなくては得ることのできない多額のお金。
知り合いに頼み込んで借金をし、その年の6月、当時35歳だった丁さんは日本へと渡ってきたのだった。
丁さんは、文化大革命の嵐の中で育ち、学びたくても学ぶことのできない時代を生きてきた。
日本語学校で学んだ後は、日本の大学へ進学することを目指していた。
中国にいては果たすことのできない人生の再出発に賭けていたのだ。
しかし、丁さんが目指した日本語学校のあった場所は、北海道の阿寒町に位置する過疎化が進む町。
働きながら借金を返して勉強をしていくつもりが、借金を返すどころか、仕事すらない。
かつて炭鉱で栄えたこの町は、過疎化を打開したいという町の事情と思惑から、町民のかわりに中国人を入れればいい、と日本語学校が誘致されたのだ。
それでも、丁さんは借金を返さなければならない。
このまま上海へ帰るわけにはいかなかった。
覚悟を持って阿寒町を脱出し、列車を乗り継いで東京へ。
しかし入国管理局は、“阿寒脱出者”にビザの更新を認めなかった。
丁さんは、やむなく不法滞在者の身となってしまう。
しかし不法滞在者になっても借金は返さなければならない。
帰国したら再入国はできないため、東京で必死に働き続けた。
そして再出発への希望が消えた丁さんは、自分が果たすことのできない夢を一人娘に託そうと決意する。
娘を何としても海外の一流大学へ留学させたい。
見つかれば即座に強制送還という身でありながら、借金を返し終えた後も、丁さんは東京で働き続けた。
働いたお金はすべて上海の妻子へと送金した。
取材班が丁さんと出会ったのは、今から10年前の1996年。
丁さん42歳、来日7年目の春のことだった。
もちろん、7年間、中国へは一度も帰らず、3つの仕事をこなしながら都電が走る傍の豊島区の古い木造アパートで生活していた。
壁には7年前に別れた、当時小学校4年生だった娘の写真。
年が明けて、1997年2月。
取材班は丁さんの家族を訪ねるため、東京で働く丁さんの様子を撮影したVTRを持参して上海へ。
そこには8年ぶりに見る夫の姿、8年ぶりに見る父親の姿が映っていた。
娘の名前は、丁 琳(てい りん)。
中国屈指の名門校、復旦大学付属高校3年生。
大学受験が目前にせまる中、アメリカへ渡り医者になりたいという夢を持っていた。
それから半年後に、ニューヨーク州立大学に合格し、アメリカ留学が決定した。
出発の日の朝、上海空港で一人去っていく娘の後姿に、母親は号泣した。
琳さんを乗せた飛行機はニューヨークへ向かう途中、東京で24時間のトランジットがあった。
その24時間を使って、8年ぶりに父と娘は再会することになった…。』
父の東京での生活をビデオで見ていた娘さんは、そんなにしてまで自分のために努力していることに父の深い愛情を感じ、号泣します。
父と娘さんとの東京での出会いと別れもまた、実に胸に迫るものでありました。
おとうさんは不法滞在者ということで、空港には近づけず、一駅手前の成田駅で降りて最愛の娘さんとお別れするのです。
成田駅に着くまでの間、ほとんど会話はできません。
二人ともまた別れてしまうことの悲しみにじっと耐え、涙が溢れ出てしまうのです。
そしてさらに、上海の母が米国の娘に会いに行くためのビザがなかなか下りず、14回目ほどの申請でやっと訪米が可能となったのですが、すでに5年の月日が経ってしまうのです。
それは丁さん夫婦が上海と東京での別生活を始めて、13年目のことでした。
そして娘さん同様にニューヨークへ向かう途中のトランジットでわずか48時間という中で13年ぶりの夫婦の再会を果たすのですが、これまた見ていても涙が止まりませんでしたね。
丁さんの喜びは新婚当時のマクラカバーをベッドに置く事からも十分に伝わって来ます。
そして、はとバスに乗るのかと思いきや、カタログの観光ルートをメモして、奥さんと二人して東京観光を電車で回るのです。
娘さん同様にわずか2日間の再会を経て奥さんも夫の愛情を確信するのです。
しかし、また一駅手前の成田駅で丁さんは降りてお別れするのです。
その時のお二人の辛い別れの悲しみは言葉に表せません。
ニューヨークでは娘さんも立派なお医者さんとなって病院に勤め始めました。
東京の丁さんも2年後には役目を終えてやっと15年ぶりの帰国を迎えるのです。
やはり、素晴らしい、と思うのは、帰国する際に丁さんが言うのですが、
『人生は 悲しいけど 捨てたもんじゃないね』という言葉なんですね。
さらにまた、離陸する飛行機の窓から日本の地を見つめていますと、目を真っ赤に泣き腫らし思わず手のひらを合わせて合掌するのでした。・・・・・
最後に、10年もの長きに渡って取材を続けたプロデューサーの「張 麗玲」さんの、丁さんへの印象の言葉を記したいと思います。
『とにかく意思の強い “すごい人” です。
約 8 年間家族と逢わずにいるのに、自分の人生すべて家族にかけて。
そして 「 人生すてたものではない 」 って。
丁さんを見ていると勇気がわきます。
しかも不法滞在者の身となってしまったのに、納税もして、日本に対して感謝しているんですよね。
自分はとてもではないけれどそこまでできないと思います。 』
僕自身への教えとしても再確認をさせて頂きながら、今年もがんばっていこうと思います。
ありがとうございました。