2011/4/22

自分のせいで  災難

先日、こんな記事を読んだ。

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『被災地の小学生の中に「津波が来たのはボクのせいだ」と真剣に考え込む子供が居るそうです。
それは子供ながらに「人間の連帯責任」を感じているようなんですよ。』
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なんじゃそりゃ?

最初はそう思ったんですが、その後でおいら、何だかそれがモノスゴク腑に落ちてしまったのだ。


続けてその記事より。
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『人は、経験を重ね、成人すると自我(自己主張)の固まりになり、自分以外の人は他人だと認識するようになるが、自我がさほどまだ無い、いわゆる「他人との垣根が薄い幼少期」は、心に内在している人類に共通する「神様」という存在に近いのか、良い意味での「全体責任」みたいなものを感じている。これはお年寄りにも見られる。年を取って「自我」が薄まった老人の方にも、悲惨な状況を自分の事のように心を痛める人が多い。他人の不幸が自分の事のようにさえ感じられる。』
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うーん、、これを読んで思い出したことがあるんよね。

これは自分がまだ幼少の頃の記憶なんですが、その頃おいらは自分が生きてる(動いてる)意味が分からず、

単純に自分の心臓が動いてるシステム=「動力源」がドコにあり、何でコレが規則的に動いてるのかを疑問に思い、

不思議で仕方なかったのです。よくうちのお母ちゃんに、事あるごとに「俺うまれてから、ずうっと生きとる』

とか「まだ死んだ事ないねんて。一回も心臓止まらんてすごくない?」とか、「いつ止まるんやろ?」とか、

今思えば、そんなヘンな事をしょっちゅう言ってた気がする。

するとお母ちゃんが、「あったりまえやわ!あんた、心臓止まってどーする。そんなんバラやわ!」

*バラとは、石川弁で『台無し』の意味。(関西でいうとこの、わやの意。)

もう七年もの間、ほんの一度も心臓が止まってないことが、奇跡だと本気で思ってた頃がある。

また、地元のデパートでエスカレーターの非常停止ボタンを押したら、この世の中はどうなるのかと思い、

迷った挙げ句 押してみたら、エスカレーターに乗ってたおばちゃん達が怒って店員が怒られてしまった。

すると、自分のせいで皆が迷惑(当たり前、お前が押すからやろ!)してる様子を見て、大変な事をしてしまった、

この世はもうおしまいだ!と泣きそうになったことがある。


今はもうこのコンクリートジャングル(死語やろ!)の中で、真っ黒に汚れてしまってるおいらだが、

あの頃、自分の身に起きた事は、社会全体の問題だ、と思ってた気がするのだ。

だからこの記事を読んで、ピュアだった時の自分を思い出したのだ。


みんな思い出してみて下さい。そんな事なかったですか? おいらだけなんかな?

小学生の頃って、いらいらした?


田舎モンやったんかも知れんが、おいらは東京に来るまでは、気の知れた家族に対しては腹を立てたりしたけど、

他人に対してはあんまりイライラしなかった気がする。謙虚であることが、警めや美学ですらも無かったような。。


そんな素敵な時代が、これから来ると思います。


クリックすると元のサイズで表示します うちにいる

こいつらの動力源は赤虫です。(冷凍赤虫)

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