2018/2/1

哀悼の意を込めて。親愛なる友へ。  

先日、良き友でもあり、同じ時間を過ごした大好きなギタリスト
弥吉淳二が他界してしまいました。

いまだ気持ちの整理がついていません。ふわふわして何にも手につかない状態です。
だからこれを書くのは、今というタイミングなのかどうかも分からないです。

明日になれば、また色んな事を思い出して、気持ちが移ろいでしまい、
たくさん考えてしまったら書けなくなるかも知れないと思い、
出来るかどうかわからないけど、今思う事をつれづれに書き綴ってみようと思いました。



俺が奴に初めて会ったのは30歳の時。方南町にあるスタジオ『タッツ』でした。
のちに加入する事になる、COBRAのボーカルのヨースコーがソロアルバムを出す事になり、
その為のオーディションでした。
ドラマーとして採用されれば、ロンドンレコーディングが待っている。

奴の第一印象は『人懐っこい男だなぁ』と思った。

ヨースコーは事務所の先輩で面識はあったが、初対面の弥吉とは1曲セッションをしただけで意気投合。
あいつはすかさず俺に「音デカいすねぇ!宜しくお願いします!」といい、
「もう俺、決定すか?」と、面食らった記憶がある。

その日をきっかけに、奴とはそれから色んなアーティストのライブやレコーディングの仕事をやった。
あいつは俺の中で、一番多く一緒に仕事をしたギタリストだった。


ロンドンでの生活は、自分の人生の中でかけがえの無い宝物です。
それはきっと、そこに奴が居た事、奴が居たからこその大事な思い出、経験だったと思います。
95年のことです。

翌年96年も2ndアルバムを録る為に渡英。
その時はあいつがやってたバンド「ステレオクリミナルズ」の1stアルバムのレコーディングも兼ねてだったので、
長期滞在の為にホテル住まいから引っ越しをし、ワーウィックアベニューという地区に家を借り、
しばらくメンバー全員で共同生活をしました。


ステレオクリミナルズの「プリプロ」というレコーディング本番前のアレンジを煮詰めるための作業を、
ロンドン在住のドラマー/プログラマーの屋敷豪太さんのスタジオでやった時の事。
プロデューサーのジョニーに紹介され、スタジオの食堂で、
あのポールウエラー(JAM/スタイルカウンシル)と、弥吉と俺とヨースコーの4人で
同じテーブルでチキンカレーを食べた事が、今思えばとんでもなく素敵な経験です。



アビーロードを見つけた話。
ある日、住んでた家の近くを弥吉と二人で散歩していたら、突然見たことのある風景が。

それは、ビートルズのアルバムジャケットにある、「アビーロード」でした。
まさか、自分たちがその近所に住んでたとはつゆ知らず。。
あの横断歩道をお互いに渡ってビデオカメラを回した(今コレを書きながらその時のビデオを見てる)


弥吉くんとはたくさんレコーディングしました。一緒にたくさんライブしました。
大阪パフォーマンスドールのあっくん(中村亜紀ちゃん)のライブの時は、
打ち上げになるとよく、あっくんと奴が「プラモデル」というお笑いコンビを組んで
即興で漫才をやってた。打ち合わせなしで阿吽の呼吸で。


あれは、もう見れないんだね。




彼女も亡くなってしまった人だけど、川村かおりちゃんのライブも一緒にやった。
藤重政孝のツアーでは北海道から九州まで全国を回った。

伊豆のキティスタジオでの合宿レコーディングの時は、
何十年に一度のしし座流星群を一緒に見た。流れ星が百個ぐらい動いてた。


奴はいつもひょうひょうとして、いつも笑ってたよ。悩んでる姿を見た事がない。
たかが音楽なんかに、真面目に取り組んでるつまんない俺に対して、
「うん!それで行きましょう!」って。

自分の音楽観や人生を、年上の俺に教えてくれた。
面白おかしく生きた男だった。



切ないよ。
身近な人間の死というものに慣れてない俺だから。
未だに現実を受け入れられないままでいます。


俺は奴の事をギタリストだと思ってるけど、俺にはよくわからんが、
あいつはプロデューサーとしてはどうなんだ?
「奴の弾くギターは最高だったけどね。」としか言えない。

アーティストのプロデュースもたくさんやってる。
或る日、奴が「ライフ レコーダーズ」というバンドのプロデュースをやった時、
「よしろーさん、1曲叩いて貰えないすか?」と言われ、今はなき、一口坂スタジオに呼ばれ、
「ツェッペリンのボンゾみたく、ドッカンドッカンやって下さいね」と。
俺はドラムのヘッド(皮)を全部ラディックのシルバードットに張り替えて本気で挑んだ事がある。

でも少しやり過ぎてしまい、「なんか、はみ出しちゃったかな」と思ったが、
「いや、それでいいんです。」


その曲は、イルカさんの「なごり雪」のカヴァーでした。


最後に一緒だったのは、レピッシュのマグミ、アンジーの岡やんとやった、
マグミ&モスキートでした。
昭和の歌謡曲を、クラッシュやビースティボーイズみたいなアレンジをしたバンド。

その後、とある事情でしばらく疎遠になってしまい、
去年の12月14日に、「元気か?」とメールをしたところ(何か虫の知らせだったのかな)
すぐ返事が帰ってきた。




最後のメールはこんなだったよ。

『大変ご無沙汰しています。アドレスは変わっていません、メールくださり、ありがとうございます。
カフェ!オープン!おめでとうございます!
第二の人生ですね、とても嬉しく思っています。

ずっとずっと、ヨシローさんの事、気にしていました…。
俺の人生において、ヨシローさんはとても大きく、かけがえのない人物です、
今の俺があるのもヨシローさんのおかげだと思っています。
またこうしてメールをいただけた事、心より感謝します。

(中略。)

どうかまた、昔のような御縁に戻れればと願います。
メール、ありがとうこざいます。

嬉しいです。感謝、感謝です。
人生、本当に色々ですね。

(中略。)

HP、拝見しました、素敵なお店ですね!
是非、伺いまたお会いできる日を楽しみにしています。
どうか、お身体にはくれぐれも気をつけて、頑張ってくださいね!』



馬鹿野郎〜!もう会えないじゃねえか!!

たぶんもう、死ぬことをわかってたんだろ。
奴はどんな気分で、どんな体の状態でこんなメールをくれたんだろう。
もう居ないのに、このメールだけが、今ここに残ってる。

ホントに可愛げがあって憎めない、優しい男だった。
「タバコをやめようと思ったことは一度もない」と豪語してた。
「せっかく生きてるんだから思ったことは全部やらな。いいも悪いもないやろ。」
と言ってた。




弥吉くん、人は死んだらどうなるの?
その答えは、自分が死ぬことでしか、分かり得ないけど。
今、俺は奴に一番聞きたい。

あいつは、俺らが知らない事を、
死んだら、、そしたらどうなるのかを、もう分かったんだなぁと思って。



最後に。
彼の名誉の為に。

ネットやなんかでは「椎名林檎の元旦那が」とか、ゴシップよろしく
色んな奴がくだらない誹謗中傷を書いてるが。
あいつは、あんたらが勝手に思ってるような奴じゃないからね。


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ロンドンの「パワーハウススタジオ」にて。
安らかに...なんてまだ言えないわ。きっとまた会えるよ。
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