2018/7/11

ラジオに出ますよ。  

あさって(7/13)
地元石川県のMROラジオ(AM局)の『おいね☆どいね』という番組で、
うちのカフェ→http://veganheavenhell.com/ が取材されます。

14時過ぎ〜生中継です。石川の方は是非。

その他の地域の方でも、今やスマホのアプリ『rajiko』で全国の放送局が聞けるので、
「エリアフリー」で『北陸•甲信越』を選んで、「タイムフリー」を選べば、
放送日から一週間以内ならば聞けるみたいです。

番組の冒頭でドラムを叩いてくれと言われ。。
少しだけ、久しぶりに叩こうかなと。

これ、どーゆー番組かは聞いたことがないので分からないんですが。
インタビューされるようです。


番組タイトルの「おいね.どいね」は、石川弁で、
「おいね」→「そうだよ」とか「そのとおり」
「どいね」→「どーゆーこと?」「なんだよ!それ!」
みたいな意味合いです。

こんな言葉はかれこれ32年ぐらい使ってなかったので、忘れてた。
東京は32年住み、この石川に住んでるのは今年22年目です。(20歳で東京行ったから)

来週は母校の中学で、2年生の道徳の授業に特別講師でお話させて頂く事になりました。
7年間、音楽学校の講師をやってたから、まぁ何とかなるでしょう、、か??



7

2018/2/1

哀悼の意を込めて。親愛なる友へ。  

先日、良き友でもあり、同じ時間を過ごした大好きなギタリスト
弥吉淳二が他界してしまいました。

いまだ気持ちの整理がついていません。ふわふわして何にも手につかない状態です。
だからこれを書くのは、今というタイミングなのかどうかも分からないです。

明日になれば、また色んな事を思い出して、気持ちが移ろいでしまい、
たくさん考えてしまったら書けなくなるかも知れないと思い、
出来るかどうかわからないけど、今思う事をつれづれに書き綴ってみようと思いました。



俺が奴に初めて会ったのは30歳の時。方南町にあるスタジオ『タッツ』でした。
のちに加入する事になる、COBRAのボーカルのヨースコーがソロアルバムを出す事になり、
その為のオーディションでした。
ドラマーとして採用されれば、ロンドンレコーディングが待っている。

奴の第一印象は『人懐っこい男だなぁ』と思った。

ヨースコーは事務所の先輩で面識はあったが、初対面の弥吉とは1曲セッションをしただけで意気投合。
あいつはすかさず俺に「音デカいすねぇ!宜しくお願いします!」といい、
「もう俺、決定すか?」と、面食らった記憶がある。

その日をきっかけに、奴とはそれから色んなアーティストのライブやレコーディングの仕事をやった。
あいつは俺の中で、一番多く一緒に仕事をしたギタリストだった。


ロンドンでの生活は、自分の人生の中でかけがえの無い宝物です。
それはきっと、そこに奴が居た事、奴が居たからこその大事な思い出、経験だったと思います。
95年のことです。

翌年96年も2ndアルバムを録る為に渡英。
その時はあいつがやってたバンド「ステレオクリミナルズ」の1stアルバムのレコーディングも兼ねてだったので、
長期滞在の為にホテル住まいから引っ越しをし、ワーウィックアベニューという地区に家を借り、
しばらくメンバー全員で共同生活をしました。


ステレオクリミナルズの「プリプロ」というレコーディング本番前のアレンジを煮詰めるための作業を、
ロンドン在住のドラマー/プログラマーの屋敷豪太さんのスタジオでやった時の事。
プロデューサーのジョニーに紹介され、スタジオの食堂で、
あのポールウエラー(JAM/スタイルカウンシル)と、弥吉と俺とヨースコーの4人で
同じテーブルでチキンカレーを食べた事が、今思えばとんでもなく素敵な経験です。



アビーロードを見つけた話。
ある日、住んでた家の近くを弥吉と二人で散歩していたら、突然見たことのある風景が。

それは、ビートルズのアルバムジャケットにある、「アビーロード」でした。
まさか、自分たちがその近所に住んでたとはつゆ知らず。。
あの横断歩道をお互いに渡ってビデオカメラを回した(今コレを書きながらその時のビデオを見てる)


弥吉くんとはたくさんレコーディングしました。一緒にたくさんライブしました。
大阪パフォーマンスドールのあっくん(中村亜紀ちゃん)のライブの時は、
打ち上げになるとよく、あっくんと奴が「プラモデル」というお笑いコンビを組んで
即興で漫才をやってた。打ち合わせなしで阿吽の呼吸で。


あれは、もう見れないんだね。




彼女も亡くなってしまった人だけど、川村かおりちゃんのライブも一緒にやった。
藤重政孝のツアーでは北海道から九州まで全国を回った。

伊豆のキティスタジオでの合宿レコーディングの時は、
何十年に一度のしし座流星群を一緒に見た。流れ星が百個ぐらい動いてた。


奴はいつもひょうひょうとして、いつも笑ってたよ。悩んでる姿を見た事がない。
たかが音楽なんかに、真面目に取り組んでるつまんない俺に対して、
「うん!それで行きましょう!」って。

自分の音楽観や人生を、年上の俺に教えてくれた。
面白おかしく生きた男だった。



切ないよ。
身近な人間の死というものに慣れてない俺だから。
未だに現実を受け入れられないままでいます。


俺は奴の事をギタリストだと思ってるけど、俺にはよくわからんが、
あいつはプロデューサーとしてはどうなんだ?
「奴の弾くギターは最高だったけどね。」としか言えない。

アーティストのプロデュースもたくさんやってる。
或る日、奴が「ライフ レコーダーズ」というバンドのプロデュースをやった時、
「よしろーさん、1曲叩いて貰えないすか?」と言われ、今はなき、一口坂スタジオに呼ばれ、
「ツェッペリンのボンゾみたく、ドッカンドッカンやって下さいね」と。
俺はドラムのヘッド(皮)を全部ラディックのシルバードットに張り替えて本気で挑んだ事がある。

でも少しやり過ぎてしまい、「なんか、はみ出しちゃったかな」と思ったが、
「いや、それでいいんです。」


その曲は、イルカさんの「なごり雪」のカヴァーでした。


最後に一緒だったのは、レピッシュのマグミ、アンジーの岡やんとやった、
マグミ&モスキートでした。
昭和の歌謡曲を、クラッシュやビースティボーイズみたいなアレンジをしたバンド。

その後、とある事情でしばらく疎遠になってしまい、
去年の12月14日に、「元気か?」とメールをしたところ(何か虫の知らせだったのかな)
すぐ返事が帰ってきた。




最後のメールはこんなだったよ。

『大変ご無沙汰しています。アドレスは変わっていません、メールくださり、ありがとうございます。
カフェ!オープン!おめでとうございます!
第二の人生ですね、とても嬉しく思っています。

ずっとずっと、ヨシローさんの事、気にしていました…。
俺の人生において、ヨシローさんはとても大きく、かけがえのない人物です、
今の俺があるのもヨシローさんのおかげだと思っています。
またこうしてメールをいただけた事、心より感謝します。

(中略。)

どうかまた、昔のような御縁に戻れればと願います。
メール、ありがとうこざいます。

嬉しいです。感謝、感謝です。
人生、本当に色々ですね。

(中略。)

HP、拝見しました、素敵なお店ですね!
是非、伺いまたお会いできる日を楽しみにしています。
どうか、お身体にはくれぐれも気をつけて、頑張ってくださいね!』



馬鹿野郎〜!もう会えないじゃねえか!!

たぶんもう、死ぬことをわかってたんだろ。
奴はどんな気分で、どんな体の状態でこんなメールをくれたんだろう。
もう居ないのに、このメールだけが、今ここに残ってる。

ホントに可愛げがあって憎めない、優しい男だった。
「タバコをやめようと思ったことは一度もない」と豪語してた。
「せっかく生きてるんだから思ったことは全部やらな。いいも悪いもないやろ。」
と言ってた。




弥吉くん、人は死んだらどうなるの?
その答えは、自分が死ぬことでしか、分かり得ないけど。
今、俺は奴に一番聞きたい。

あいつは、俺らが知らない事を、
死んだら、、そしたらどうなるのかを、もう分かったんだなぁと思って。



最後に。
彼の名誉の為に。

ネットやなんかでは「椎名林檎の元旦那が」とか、ゴシップよろしく
色んな奴がくだらない誹謗中傷を書いてるが。
あいつは、あんたらが勝手に思ってるような奴じゃないからね。


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ロンドンの「パワーハウススタジオ」にて。
安らかに...なんてまだ言えないわ。きっとまた会えるよ。
43

2017/10/5

タイトルが思いつかない。  

近々、ブログを再開します。

今年の5月から「海抜209m」の山の中に住んでます。
ラジオの電波も入らないのだけれど、有線(ネット)は出来ます。

ここで何をやるのか。




新たな人生、頑張ります。

10

2016/7/11

『世界電器店』  

今日のこのタイトルは一体。。

これは今から32年前の、俺が上京した時の話です。
この秋に東京を去るにあたって、昔の事を色々思い出したので、
ちょっと書いてみます。



こっちに来て、まず一番最初に住んだのは、「新宿区西落合」のアパートだった。
間取りは、6畳の広いキッチン、風呂/トイレ別、3畳の部屋と6畳のリビング。

新宿区にあって、家賃はなんと4万7千円。
今考えても、当時の物価/家賃の相場からしても考えられない安さ。
と言っても、まぁ最寄りの駅は西武新宿線の新井薬師前駅だったけれど。
電車に乗れば新宿まで10分足らずで行ける。

そのアパートは、、最寄りの駅から徒歩で15分くらいの場所にある物件だった。


 

引っ越して、2日目のこと。。
バイトを探す為に高田馬場に出て街をぶらぶらした後、
帰宅しようと駅から自宅に向かった。


雨がザーザー降りだった。


帰り道の途中に『世界電器店』という、個人でやってる電器屋が。。

変な名前だなぁ、と思うでしょ?
俺も思ったんだから。

その先には小さな川と公園があり、公園の手前には
少年野球なのか社会人のアレなのか、野球のグラウンドがあった。



『世界電器店』は、帰り道の途中の角にある。

昨日引っ越して来たたばかりで、まだ全く土地勘が無かった俺は、
それを素通りすれば良かったのを、その角を曲がってしまい、、

川には出れず、住宅街の中を延々と彷徨ってしまった。


そのうち雨は本降りに。


電車が終電だったから、時間は夜の1時過ぎだっただろうか。
家に向かって歩いてるはずなのに、、帰る道が全くもって分からない。
なんせ、昨日東京に来たばかりなのだ。


待てど暮らせど、家に着けない。
傘をさしていたが、雨足が強くて全身がズブ濡れだった。
所々に街灯がポツンポツンと付いて居たけど、辺りは真っ暗で心細くなった。


いつまで経っても自分の家に帰れないというジレンマ、、
同じところをぐるぐる回ってるような気がした。

一度、歩いてる人にアパートの近くのコンビニ(ファミリーマート)の事を尋ねたけど、
そこが分からなくて、そこにすら行けない。

さっきと違う道を行ってみても、何度も何度も、またあの店の角に出てしまう。
世界電器店の看板が見えてきて、また振り出しに戻ってしまうのだ。



何だか、狐につままれてるような感じだった。。


その頃はまだ放送してなかったけど、まるで「世にも奇妙な物語」みたいで。
季節は秋で寒かったし(10月の半ば)もう靴の中までビチョビチョだし。
まだ知り合いも誰も居なくて、二十歳だった俺は、、二十歳にもなって泣きベソをかいた。


結局、、15分で着くはずの自分の家に3時間ぐらいかけて歩き続け、憔悴しきってしまい、
体が冷えたのか次の日から高熱を出して3日ほど寝込んだ。




何年か経ってから、一度 原チャリでこの場所に行ったことがある。
この時、世界電器店を探したけど、、もうそんな店などは無かった。
のちに、この話を書いて小説化しようと思ったことがあるが、、あっ、今書いてる!(笑)

あれは一体、何だったのだろう。幻だったのかな。
風邪をひき、高熱で寝込んだ時に見た、単なる夢だったのか?

帰郷する前に、もう一度「世界電器店」を探してみようと思ってます。




次回は「詐欺のようなバイトの話。」
俺は、、詐欺集団に加担してしまったかも知れない。。
8

2016/4/25

最強のペペロンチーノの作り方。(その2)  

半年かけて完成したペペロンチーノの作り方。(一人分。)


まず、、このパスタの命というべきニンニクですが、
北海道や青森産など、散々やったあげく、(もちろん中国産は使わない)
スペイン産のニンニクを使用。

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縦に半分に割り、焦げやすい芽の部分を取ります。


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その後、微塵切り。(輪切りも試したが、結局これにおさまった)


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鷹の爪(トウガラシ)は実家で栽培しているものを使用。(国産のものならばオッケー)


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種を取り除き、ハサミでなるべく薄く切ります。(薄く切るほど辛味が出て美味いよ)


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スーパーで売ってる「ドルチェポルコ」。
これでなくても、厚切りベーコンを。なるべくサシが入ってるやつを使うとGOOD!


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シンプル。この3つだけ。


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ピュアオリーブオイルを大さじ1と小さじ1。(15g+5g=20g) この量がベスト。


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ソースに使うオイルは色々やってみたが、やはりピュアオリーブオイルで。
ネットや本で得た「サラダオイル」や「太白胡麻油」も試したけど、いまひとつコクが出なかった。


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その後、微塵切りのニンニクとベーコンを同時に入れ(まだフライパンは冷たいまま)
最初に「弱火」→細かい気泡が出たら「とろ火」にする。


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その間、パスタを茹でる鍋(大きめ)に、2Lのお湯を沸かす。
一人前(麺100g)につき、お湯は2L。


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フライパンを傾け、揚げ焼き状態で。
弱火でニンニクがキツネ色になるまで、じっくりと。


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同時に、鍋の側でお皿を温めておく。


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色々試したが、ペペロンチーノには1.6ミリよりも1.7ミリくらいの太さが合うと思います。
麺はBarlila(バリラ)の1.7ミリのやつが美味い!特にこのパスタはとても小麦の味がする。


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麺100gに対して、茹で塩20gを用意。


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何種類か試したところ、秀逸だったのは沖縄の塩「シママース」。
一般的に茹で塩は岩塩が良いとか言われてるけど、やっぱり
「にがり」が入ってる海塩の方がちゃんと麺に味が付くと思います。


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お湯が沸いたら塩(20g)を入れ、パスタを茹でます。(ちゃんと沈めてね)


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9分キッカリ計ります。


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パスタが浸かったら、気泡が細かくなるくらいに中火に落とします。


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トウガラシを投入。この頃にはベーコンの角が丸くなってる。


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残り時間5分のところで、、(このタイミングを見つけるのに苦労した)


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茹で汁を「おたま1杯分」フライパンに入れる。


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オイルソースに塩を一掴み。


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この時の塩のチョイスに3か月ぐらいかかった。
最後に残ったのが、この「粟国の塩」と沖縄の「ぬちまーす」。
結局、ぬちまーすに軍配があがった。


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何故ならば、このパスタを旨くする為に必要なマグネシウムの量が豊富。
ぬちまーすがハンパなくソースにコクを生む事が判明。(色々やったな〜)


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茹で汁とオイルを乳化させます。
分かりやすいように黒のフライパンで撮ってみましたが、この工程が一番大事かもしれない。
とろみがついて少し水分量が減った所を見極め、麺を入れる直前までとろ火でキープ。


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湯切りした麺を投入し、ソースに素早く絡める。間もなく火を止める。ここも大事。


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最後の要は、香り付けのエキストラバージンオイル「ソル デル リマリ」。
このオイル、なんと「チリ産」のエキストラバージンオイルです。
「青リンゴやルッコラのような風味」があります。小田急Queensに売ってる。
パンに付けてもメチャ美味い!
これを大さじ1弱入れ、混ぜ合わせる。

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温めてた皿に移した後、、


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コショウはミル付きのものをひと回し。
「ブラックペッパー」か「レッド、ホワイトペッパー」どちらでも、お好みで。


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完成〜。


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ビールやミネストローネと一緒に食うべし。
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2016/4/8

最強のペペロンチーノの作り方。  

去年の9月ぐらいだったか、、(今、見たら9月20日からでした。)
ある「一つのメニュー」を、ひたすら作り続けている。

「コレは美味いな。絶品だわ。」
「もういっぺん食べたいから、また作ってくれ!」

そんな思いで何度も試行錯誤し、来る日も来る日も(半年以上)これを作り続けてきた。


じつは、今から2ヶ月程前に「ほぼコレで行けるかな?」という具合には仕上がっていたが、
この2ヶ月間は最後の仕上げで悩んでいて、なかなか決定できずにここまできてしまい、、


この度、やっと完成しました。「最高に美味いペペロンチーノ。」


一人暮らしが長いので、もちろん食べたいものは自分が作るしかないのですが、
かつてここまで、毎日毎日同じものを作り続けた事なんか、、もちろん無い。




起きたらまず、ペペロンチーノを作る日々。
作っては食べ、反省し、今日の出来をノートに書き、寝る前にはもう明日のやり方を模索する。
夢にまで見ることもしばしばだった。


その後、これを食べ続けた結果、開始4ヶ月後には身体が拒否反応をし、
乾燥肌でも無かった俺が、ニンニクの取り過ぎによる体の痒みを訴え、
(何でも過剰摂取はイカンね)

医者からは、
「あなた、ニンニクの取り過ぎです、身体に熱を持っている。暫くニンニクはやめなさい」
と言われる始末。。


もともとパスタは好きな方ではあったけど、食べるのは大体トマト系だったりする俺が、
「何故、ペペロンチーノなのか?」という疑問が湧いてくるが。
あの時は何故か、ペペロンチーノだった、、としか言いようが無い。

今から「半年も前の自分の思い」なんぞは、もう考えてみたところで分かり兼ねないし、
ましてや、それを考えたところでナンセンスなのである。


パスタの中で一番シンプル、かつ難しいと言われるペペロンチーノは、
「オイルソース系のパスタ」であり、オリーブオイルとニンニク、トウガラシだけの最もシンプルな料理。

もちろん最初はそれだけでやってみたが、自分の好きなベーコンをどうしても入れたくなり、
その頃に、幼なじみに「ベーコンで味付けしたらズルやん!」と突っ込まれたが、、

実は、やっているうちに、ペペロンチーノは「ベーコンでは、味はさほど付かない」事が判明。

ベーコンはグルタミン酸なので塩気もコクもあるだろう。
さぞかし味付けに干渉するかと思ったら、そうでもないのだ。

具として、そこにあるだけである。



美味いペペロンチーノの条件として、

1.麺は「どこ」の「何」を使用するか。
2.オリーブオイル(ソース用と仕上げ用)は、、それぞれ何を使うのか。
3.茹でる時の塩、乳化させる時の微調整の塩は「岩塩」か、、にがりを含んだ「海水塩」か。
4.具材(ニンニク、鷹の爪、ベーコン)は、、どうするのか。

これらのチョイスと、調理する際のそれぞれのタイミングである。


俺が美味いと思うペペロンチーノに適した材料を探すのは、容易な事ではなかった。
半年もかかってしまったというのは、こーゆーことなのです。

さらに、途中から調理器具の変更があったり。(アルミフライパンを購入)

とりあえず、今できる限りでの最高のレシピが完成した。
(実を言えば最近、麺打ち機を導入したので、今後もまだ続くわけだが。。)


これまで、知人6人と料理上手なウチの母(調理師の免許あり)に食べてもらい、
「美味しい」の一言を頂きました。



そりゃもう、最初の頃はひどかった。
開始から12日目... とんでもない勘違いに気付く。

そもそもエキストラバージンオイルはサラダなどにかけて食すもの。
火を通すと苦味が出てしまうことさえ知らなかったし、、

さらに調べて行くと、オリーブオイル(ピュアオリーブオイル/エキストラバージンオイル)は
一般的に売られてるものに、じつは純粋なものが少ない、、など。


開始から3週間目、さらに気づいたこと。。
それまで買ってたニンニクは国産(青森産)だった。スーパーで298円ぐらい。
しかし、色々やってみてたどり着いたのは、、スペイン産だった。


そして、ペペロンチーノにおける、このニンニクの意味。
ニンニクは基本として「具材」ではない。
オイルに「香りを移すためにある」ということを知る。


もし、具材として扱うならば、
「みじん切りではなく輪切りにすれば良い」と聞けば、それも試した。

鷹の爪は、種を取って二つ切りか?輪切りにするか?
入れるタイミングも悩んだ。

オイルの量も然りだが、ソースを乳化させるための「茹で汁の量」も散々試してみた。
最後の香り付けに使う、エキストラバージンオイル(コレがかなり大事)のチョイスはどうするか?



半年かけて完成した「俺特製 ペペロンチーノ。」
次回、レシピを公開します。





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6

2015/12/7

ペヤングの謎。  

今日は、今から30年以上前の話を書きます。


20歳だったその頃、、俺は池袋のボロアパートに住んでいた。
正確に言うと、都電の東池袋駅のすぐそばで、家賃は2万円。(風呂なし4畳半、共同トイレ)

アパートは、今は亡き「大勝軒」の本店のすぐ近くで、
そしてサンシャイン60のふもと、(ふもとって!サンシャインは山かよ!)
昭和の雰囲気(まぁ、当時はまだ昭和だったから!)が漂う商店街のすぐそばにある、
五広荘というアパートだった。


東池袋四丁目というその場所は、映画「ブレードランナー」に出てくるような、
まさにあの感じで、すぐ近くに高層ビル「サンシャイン60」があるのにもかかわらず、
その辺りは、昭和の風呂なしボロアパートがひしめき合うという、そんな場所だった。

当時はね、30年前は、その商店街はまだ活気に溢れてて、夕飯のおかずを買いに行くと
おばちゃんがコロッケとか牛スジをオマケしてくれたりする。
人情味があって下町の雰囲気が漂う街だったな。

都電の駅のホームのすぐ横には「吉野家」があり、
東京に来て初めて「その存在」を知った俺は、「一週間連続で吉野家」をしてしまい、、
具合が悪くなったことがある。。

あの頃はまだ、うちの田舎には「牛丼専門店」なんて無かったんだから。
(今は吉野家、実家の方にもあります)



田舎を離れ、初めての一人暮らし。
「期待」と「不安」の割合で言えば、不安の方が大きかったかも知れない。

その商店街の、おばちゃんたち御用達の服屋でペイズリーのジャケットを見つけ、
それを着てよくストリートスライダーズ聴いてたな。
のちに、ジェームスさんと一緒にやることになるとはね。
人生、ホントわかんないよ。


東京に出てきて、まだ1年目だった俺は、深夜のバイト(渋谷の居酒屋)をしてて、
昼に起きて、4時に開店する銭湯に地元の老人たちと一緒に並んで、
銭湯に入ってから仕事に出かけるという、そんな生活をしていた。


で、「ペヤング」。
うちの田舎には無かったんだけど。
今はもう...普通に売られているんだろうか?(誰か教えてください)


ある日の冬、、銭湯に行った帰りのこと。
八百屋の片隅で売られていた「ペヤングソース焼きそば」を見つけ、

「おばちゃん、コレ美味いかな?」

「そうねえ、ペヤングだから美味しいわよ!」
「ペヤングだから安心ね。」

さらに、

「ペヤングだから間違いないわよ!」



「ペヤング...だから?!」 なんやそれ!!

俺はペヤングを知らなかった。
ペヤングって...なに??


「ヤング」(若さ?)に「ぺ」が付いてる、そのカップ焼きそば、
一流とは思えない、マイナー感漂う、、その響き。


うちの実家はお菓子屋だったのだけれど、、

例えば「グリコ」とか「森永」は一流メーカーで、「フルタ」とか「カバヤ」は
ちょっとマイナーな感じだった。
アイスで言えば「雪印」は安心して買うが、「センタン」なんかはまさにその感じ。

でも、八百屋のおばちゃん曰く、「ペヤングだから安心」なのだ。


その認知度ってば、東京ではみんな知ってるの!?
うちの田舎ではテレビCMすらやってなかったぞ。

焼きそばには、ソースとは別に粉袋が付いてて、、
捨てるお湯で粉を解き、焼きそばのお共の「スープ」を作るというものだった。



俺は冬になると、この事をいつも思い出す。

あのおばちゃんは元気だろうか。
まだ御健在なのだろうか。


東京に来て、はや31年が過ぎようとしている。。

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8

2015/8/27

なーて なーて。  

ツボにハマりました。。

この前、たまたま見たテレビでやってて、、

You Tubeで探したら、、あった!


https://www.youtube.com/watch?v=sACfI_jee2o&app=desktop


うちの方(石川県)でも、この「なーて」言うてたな〜。
3

2015/6/30

誕生日に。  

うちの母から、、

メッセージカードと、ビール券が届いた。

相変わらずの、、達筆な文字で。



こんな事は、かつて無く。。

この夏に80歳になる、頑固で意地っ張りの母からのメッセージは、
まさか予想もしてないものでした。



しばらくの間、涙が止まらなかった。


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6

2015/6/28

(無題)  

今日、無事に誕生日を迎えました。

長いこと生きてます。


お祝いのメールをくださった方、ありがとうございました!!
まだ生きてますよ。


そして、見えないもの(神様や運命や有り難きもの)に、
自分は生かして頂いて居ます。

何事もない日々に、感謝せねば。


小学生の頃に思い描いてた、大人になった この自分。
まさか、このような大人になるとは、色んな意味で思ってもみなかった。




人生って、何だろうね。
きっと探し続けて、そして 終えるんだろうね。



30日のライブに向けて。

ジムでのトレーニングを、そこに焦点を合わせて
ちょびっとだけ今日から負荷を上げてみる。


頑張るぢぇ。
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