8月の例会山行で、早月尾根から劔岳へ初めて登頂しました。劔岳や立山は富山に6年間住んでいたとき、家の正面に剣の稜線のギザギザが見えたのですが、何だか登らずにいたのです。R&Bにお世話になってからも、縁の薄い山でした。立山曼荼羅には地獄の山の劔は登山禁止と書いてあるしね。
映画(まだ見てないのだ!)が流行るしばらく前に「劔岳・点の記」を読みました。僕の仕事は日本の地図を作ることでもあり、三角点には大変お世話になっているのです。現代の三角点(街区基準点)はGPS測量で設置されますが、100年前の先人はどんなふうに基準点を選点し、測量してきたのでしょうか。根っからの測量屋さんでない僕は、旧来のナントカ測距儀とか、平板測量を知りません。当時の乏しい器機では誤差との戦いで、今では信じられないような煩雑な作業や計算が伴ったようです。そんなメンドクサイことを山へ持ち込んで、仕事をしていた先達の苦労を感じたものでした。(ちなみにウチの測量器様のライカ様にはちゃんと名前が付いていて、とても可愛がっています。)
早月尾根には「劔岳・点の記」にも登場する1992mの二等三角点が登山道の真ん中にありました。角を面取りした珍しい標石で、表記した文字も古くさくてよい感じです。ふんふん、なるほどと感慨にふけっていると、何でもよく知ってるグリ様から、柴崎氏の設置した標石はここと離れているところにあって、近年発見されたことを聞きました。じゃあ、このもっともらしい石標はなんですかね。きっと、その後の再測で設置されたのでしょうね。もっと意外だったのは、山頂にある標石が平成16年に初めて設置され、四等三角点から三等三角点に格上げされていたことでした。かつては三等三角点以上にしか「点の記」が無いので、当然劔の点の記は平成16年までは存在せず、格上げされて初めて作成されたそうです。疑問なのは四等三角点で点の記がないはずの劔岳三角点なのに「劔岳・点の記」なんだろう。あの小説自体が「点の記」ってことなのですかね、新田先生。
で、剱岳は聞きしに勝るいい山でした。人気有るだけのことありますね。とても楽しかったしね。いろんな(くだらない)話をしながら、たくさんの仲間たちと一緒に登山するのはよいですねぇ。もう、秋山シーズンですぜ。みんなも、登山いっぱいして・・セッセと何かを感じましょう!
余談:街中でも三角点(街区基準点)があるんですよ。見つけたら大事にしましょう。かってに動かさないでね。基準点や境界標の損壊は刑事罰です。亡失した基準点、境界標の復元やお隣との境界のもめ事は法○省認定の中村事務所に。色恋以外の紛争解決します。悔いを残さず、杭を残しましょう。(0909 nabebuta-X)
小窓尾根と早月尾根1992三角点が気になる。
