2015/6/10 | 投稿者: アラン
E0001 ピアジェの教育学・ジャン・ピアジェ

ピアジェ理論 ジャン・ピアジェ
子どもの発達の研究で先駆的な役割を果たしたのが、スイスの発達心理学者、
ジャン・ピアジェ(1896〜1980)です。ピアジェは人間の論理的思考が育っていく
過程を数多くの観察・実験によって確かめ、体系化しました。
そして実証的研究を通して
、乳幼児期から青年期の資質・能力の発達過程のメカニズムを解明し、
その理論は全世界の幼児教育の基盤となっています。
ピアジェ理論は、生きる力の育成をめざす現代の幼児教育のあり方にも
、大きな示唆を与えています。つまり、感性の発達と知性の発達とは不可分であり、
したがって情操の教育と思考の教育とを切り離して実施するべきではないこと、
および子どもは本来、与えられた知識をただ受け入れるだけの受身的な存在ではなく、
積極的に自ら知識を求めようとする能動的な存在であることを明らかにしたのです。
ピアジェはまた、次のような事柄についても明らかにしました。
■ 子どもは小さなおとなではなく、
各発達段階でそれ特有の感じ方や考え方をする独自の存在である。
■ 子どもはおとなの思考とは異なり、
頭だけで考えるのではなく、身体も使って考える。
■ 子どもの思考は論理的というよりも直感的であり、
それだけに想像力が豊かにはたらく。
■ 子どもは人とのかかわりの中で、物事を自分の立場だけからみる自己中心的な見方
を脱して、相手の立場にも立って考える見方が生まれ、自分の立場と相手の立場
とをうまく協調させるようになっていく。
■ 子どもの思考力は、正しい知識が累積されて発達していくのではなく、
子どもが自分の考えの過ちに気づき、自ら修正していく活動を通して発達する。
■ 子どもが発達するには、遺伝や成熟のような個人の素質的な
ものだけでもなければ、訓練のような環境からのはたらきかけだけでもなく 、
子どもが自ら周りにかかわり、周りからの反応に即して子どもが
新たな仕方でかかわっていくという相互作用が不可欠である。
http://jape.or.jp/ 日本幼年教育会(JAPE)より
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ピアジェ理論 ジャン・ピアジェ
子どもの発達の研究で先駆的な役割を果たしたのが、スイスの発達心理学者、
ジャン・ピアジェ(1896〜1980)です。ピアジェは人間の論理的思考が育っていく
過程を数多くの観察・実験によって確かめ、体系化しました。
そして実証的研究を通して
、乳幼児期から青年期の資質・能力の発達過程のメカニズムを解明し、
その理論は全世界の幼児教育の基盤となっています。
ピアジェ理論は、生きる力の育成をめざす現代の幼児教育のあり方にも
、大きな示唆を与えています。つまり、感性の発達と知性の発達とは不可分であり、
したがって情操の教育と思考の教育とを切り離して実施するべきではないこと、
および子どもは本来、与えられた知識をただ受け入れるだけの受身的な存在ではなく、
積極的に自ら知識を求めようとする能動的な存在であることを明らかにしたのです。
ピアジェはまた、次のような事柄についても明らかにしました。
■ 子どもは小さなおとなではなく、
各発達段階でそれ特有の感じ方や考え方をする独自の存在である。
■ 子どもはおとなの思考とは異なり、
頭だけで考えるのではなく、身体も使って考える。
■ 子どもの思考は論理的というよりも直感的であり、
それだけに想像力が豊かにはたらく。
■ 子どもは人とのかかわりの中で、物事を自分の立場だけからみる自己中心的な見方
を脱して、相手の立場にも立って考える見方が生まれ、自分の立場と相手の立場
とをうまく協調させるようになっていく。
■ 子どもの思考力は、正しい知識が累積されて発達していくのではなく、
子どもが自分の考えの過ちに気づき、自ら修正していく活動を通して発達する。
■ 子どもが発達するには、遺伝や成熟のような個人の素質的な
ものだけでもなければ、訓練のような環境からのはたらきかけだけでもなく 、
子どもが自ら周りにかかわり、周りからの反応に即して子どもが
新たな仕方でかかわっていくという相互作用が不可欠である。
http://jape.or.jp/ 日本幼年教育会(JAPE)より

2015/3/3 | 投稿者: アラン
コロンビア白熱教室 選択の科学
シーナ・アイエンガー教授
大きなファイルなのでストリームが始まるまで時間がかかりますが、始まったら最初に戻ってからご覧下さい。
第1回「あなたの人生を決めるのは偶然?選択?」
http://www.pideo.net/video/youku/bd2fae6f6db987bb/
第2回「選択しているのは本当にあなた自身?
http://www.pideo.net/video/youku/1cffb557bb9ce312/
第3回「選択日記のすすめ」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzMzMjA4Njky.html
第4回「あふれる選択肢 どう選ぶか」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzM1NTQ5NTA4.html
第5回「幸福になるための技術」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzM4NTk5ODYw.html?from=y1.2-1-84.3.1-2.1-1-1-0
D0001 選択の科学 文藝春秋
私は本も読んでみましたが、この動画の講義を何度も聴講するだけでも十分勉強になります。
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シーナ・アイエンガー教授
大きなファイルなのでストリームが始まるまで時間がかかりますが、始まったら最初に戻ってからご覧下さい。
第1回「あなたの人生を決めるのは偶然?選択?」
http://www.pideo.net/video/youku/bd2fae6f6db987bb/
第2回「選択しているのは本当にあなた自身?
http://www.pideo.net/video/youku/1cffb557bb9ce312/
第3回「選択日記のすすめ」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzMzMjA4Njky.html
第4回「あふれる選択肢 どう選ぶか」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzM1NTQ5NTA4.html
第5回「幸福になるための技術」
http://v.youku.com/v_show/id_XMzM4NTk5ODYw.html?from=y1.2-1-84.3.1-2.1-1-1-0
D0001 選択の科学 文藝春秋
私は本も読んでみましたが、この動画の講義を何度も聴講するだけでも十分勉強になります。


2015/2/25 | 投稿者: アラン
“没頭”を解明するフロー理論(後編)
時間を忘れるほど「ハマる」、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」を、アメリカの心理学者チクセントミハイは「フロー」と名づけた。
チクセントミハイの下で研究をした浅川希洋志さんは、フローの状態になりやすい人は、
その行為をすること自体を目的にできる「オートテリック(自己目的的)」な性格の持ち主だと言う。自己目的的な性格の持ち主は、
強い好奇心に見られるような、フローを経験するための「メタスキル」をもっているとも。
たえず好奇心に満ちた目で周囲を眺め、自分のもつ能力よりも少しばかり難度の高い「フローを経験するための最適な環境」に身を置こうとする。
こういったメタスキルの持ち主に特徴的なのは、後顧の憂えなく、未来に高望みを抱かず、ただいまを楽しむ姿勢だ。
こうしたフロー状態の特徴や、それを引き起こす条件を家庭やビジネスの現場に応用すれば、没頭できる人を育てることもできるのではないか。
後編では、家庭環境やビジネスの現場でフロー状態を作り出すための方法を、浅川さんに尋ねた。
浅川希洋志(あさかわ・きよし)
1957年、長野県生まれ。シカゴ大学大学院修了(Ph.D.取得)。現在、法政大学国際文化学部教授。共著に『フロー理論の展開』(世界思想社)、
『子どもたちは本当に変わってしまったのか』(学文社)など。
−−前編では、フロー状態になりやすい「オートテリック」つまり、自己目的的な性格の人は、好奇心が旺盛で、
それがフローを経験するためのひとつのメタスキルであるというお話でした。しかし、新奇なことに興味をもつ人がいる一方で、
不安を覚える人もいます。どうして、同じものに対する態度の違いが生まれるのでしょう?
浅川:フロー理論では、「不安」は自分の能力よりも挑戦のレベルが高いときに起こると説明しています。
けれども、オートテリックな人たちは、挑戦のレベルが高くても、それを楽しめる状態にもっていくスキルがあるのです。
書を求め、街へ出よ
−−不安を楽しみに変えるスキルとは、たとえばどのようなものですか?
浅川:私が学生によく言うのは、「レポートの課題が難しいと思ったら、図書館や本屋に行き、関係ありそうな一冊を、まずは手に取ってみなさい」ということです。
必ず課題と関係する文献が載っていますから、それを派生的に追っていけば、情報量が増え、難しいと思えたことも、理解しやすくなってきます。
恐いと思って立ち止まったり、ひきこもったりするのではなく、まず動いてみる。オートテリックな人は、テレビを見たり、
食事をしたり、バスで移動したりといった、通常はそれほど重要とは思われないような活動に対しても集中力が高い。
どんな活動でも、心理的エネルギーを使い、楽しもうとしています。
−−「案ずるより産むが易し」ということですね。
浅川:そうです。まず動いて関わってみることが大事です。
熱力学でいう「エントロピー」は「乱雑さ」を表わす概念ですが、心理学にも「心理的エントロピー」という言い方があります。
要は、「心が乱れる」ということで、人は何もしないでいたら、そういう心理状態に向かいます。
疲れてソファに腰をおろしボーッと過ごしているときに、テレビをつけっ放しにすることがあるかと思いますが、
それはテレビを熱心に見なくても、目や耳から一定の情報が入ってくるからです。それによって意識を統制することができるわけです。
何もしないでいたら、心理的エントロピーが増大し、不安が募り、ネガティブな心理状態に陥りやすい。だから行動してみること、動いてみることが大事なのです。
子育ての環境を仕事にも活用
−−フロー理論を応用し、リスクを恐れず、ビジネスの上での充実感につなげるトレーニングやマネジメントは考えられるでしょうか?
浅川:「オートテリック」は自発的に行われるという意味をもつ概念なので、強制的にフロー体験を生み出すというのは、
そもそも矛盾した考えなのかもしれません。しかし一方で、オートテリックな人はどんな活動に対しても好奇心をもち、
そこに挑戦的な何かを見出していくことも事実です。
ビジネスの場合、組織としてフローを経験できる職場をつくっていくということが重要なのだと思いますし、
実際、そういった試みも行われてきています。能力を見極め、適材適所に人を配置し、その人に合った難しさのレベル、
課題を与えられるマネジメントシステムを構築するといったことです。
また、会社の中で同じ目標をもった人が一緒に何かつくりあげたり、ディスカッションしたりすることでフローを体験することもあります。
−−おっしゃることは理解できますが、それを具体的なモデルにするとなると、非常に難しいように思います。
浅川:たとえば、フローを経験しやすい子どもを育てる家庭環境に関する研究がありますが、この場合の一つのヒントになるかと思います。
その研究によると、オートテリックな子どもを育てる家庭環境には5つの特徴があるといいます。
1、家庭内の事柄を決定する上で、自分にも選択権があると子どもが感じられること。
2、家庭内のルールが明確であること。
3、将来のことではなく、いまを大切にする姿勢。
4,家庭内の信頼感。
5、親が子どもの能力にあったチャレンジを提供すること。
こういった要素を踏まえて組織をつくった人物としては、ホンダの創業者、本田宗一郎さんが挙げられるのではないでしょうか。
ホンダがF1参戦を決めたとき、本田さんは若手の技術者を集め、目標を「F1で優勝できるエンジンを作ること」と明確にし、
「俺がサポートするから、みんなは自由にやれ」とハッパをかけた。彼のやり方は、
オートテリックな子どもを育みやすい家庭での親の立ち振る舞いと近いものがあります。
明確かつ挑戦的な目標を掲げ、そこで若い技術者に楽しさを経験させながら、彼らの能力を伸ばし
、創造的なものをつくり出していったということだと思います。
「プレッシャーがかかる感じがたまらない」
−−のびのびと楽しむ経験が能力を培うならば、なぜ「苦労しなければ一人前になれない」という言説が幅を利かせているのでしょうか?
浅川:忍耐も重要ということでしょう。ただ、たとえば社長の成功の秘訣が「苦労」だからといって、
それを社員全員が強要されたらたまらないですね。創造的な活動の中でのみ、人は他人から見たら苦痛なことも、楽しんだり、
耐えたりすることができるのだと思います。逆境を楽しむというのは、そういうことなのではないでしょうか。
−−逆境すら楽しめるオートテリックさは、先天的なものなのでしょうか?
浅川:いいえ。教育やトレーニングで学習が可能だと思います。会社ならば、新しい社風をつくりだすことで、
フローを経験しやすい環境を整えることができると思います。
ただ、楽しむ経験が重要だといって、やみくもに楽しい経験を求めればいいというわけではありません。
普段、私たちが「楽しい」という場合、二つの楽しさがあります。一つはストレスなどで疲れた心を解放してやるときに感じる楽しさ。
「心地よさ」と言ってもいいかもしれません。たとえば、気晴らしのショッピングなどはこれにあたります。
もう一つは、難しい課題に取り組むときに感じる、充実感と自己の成長をともなうフローの楽しさです。
たとえば、イチロー選手は「本当に楽しむ」ということがどういうことかわかっている人だと思います。
2004年にメジャーリーグの年間最多安打記録を達成したときのインタビューで、彼はこういうふうに答えていました。
楽しさのレベルを上げていく、その結果が記録に
「やっている間、プレッシャーから解き放たれることは不可能ですね。よくプレッシャーからどうやって抜け出すか聞かれますが、
その方法はない。その苦しみを背負ってプレイするしかない」
「ものすごく苦しいんですが、やっぱりどきどきする感じとかわくわくする感じ、プレッシャーがかかる感じは僕にとってたまらないですからね」
そういうフローの感覚を知り、それを繰り返し経験したいから、イチロー選手はいまも懸命に練習しているのでしょう。楽しみたければ、
さらに高いレベルで挑戦し続けなければなりません。そして、楽しさを追求する中でイチロー選手はさまざまな記録を達成している。
つまり、楽しさの追求の後に記録がついてきているのだと思います。
−−「自己の成長」という点では、自分がどれだけ成長しているかを振り返り、フィードバックしてみることが大切そうですね。
浅川:私も論文を書くとき、最初は「うまく書けるかな」と不安に思います。でも、書きあがる直前に、読み直して、
自分がうまくできているかどうかを見たとき、「これはオッケーだ」という内的な感覚があります。
フィードバックは他人からの評価だけではありません。自分を振り返ったとき、どういう状態ならば、「オッケーだ」といえるか。
そういうフィードバックシステムが構築されるようになることも大事だと思います。
退屈とはすなわちリラックスのこと
−−自分の活動を正当なものと評価し、なおかつ充実感を味わう。きわめて充足した時間といえますが、フロー体験ばかりしていても、疲れてしまいませんか?
浅川:従来のフロー理論では、フローだけがポジティブな状態で、挑戦のレベルが能力のレベルを上回る「不安」状態や能力が挑戦を上回る「退屈」状態は、
人が避けようとするネガティブなものと考えられていました。しかし、研究が進むにつれ、
この「退屈」といわれる状態の中に人は安らぎや幸福感を覚えたりすることがわかってきました。
人間の能力の伸長にフローは欠かせませんが、それだけでは人は疲れてしまいます。どこかでリラックスする状態が必要です。つまり、
人間には自分の能力を伸長するためのフロー状態と生物体として体を維持していくためのリラックスした状態が必要なのです。
フロー理論も、これまで「退屈」と定義してきた能力が挑戦のレベルを上回る状態を、「リラックス」状態としてポジティブに捉えるようになってきています。
自分の能力を目一杯ストレッチしたら、しばらく休む。人間にはその緩急のバランスが要るようです。
ゆったりとリラックスした状態がしばらく続き、その状態に飽きれば、人は自然と能力を伸長する方向に動機づけられます。そのバランスが、
私たちの精神的健康にとっても非常に重要なのではないでしょうか。
(文/尹雄大、写真/風間仁一郎、企画・編集/漆原次郎&連結社)
日経ビジネス 2009.6.16 より
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時間を忘れるほど「ハマる」、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」を、アメリカの心理学者チクセントミハイは「フロー」と名づけた。
チクセントミハイの下で研究をした浅川希洋志さんは、フローの状態になりやすい人は、
その行為をすること自体を目的にできる「オートテリック(自己目的的)」な性格の持ち主だと言う。自己目的的な性格の持ち主は、
強い好奇心に見られるような、フローを経験するための「メタスキル」をもっているとも。
たえず好奇心に満ちた目で周囲を眺め、自分のもつ能力よりも少しばかり難度の高い「フローを経験するための最適な環境」に身を置こうとする。
こういったメタスキルの持ち主に特徴的なのは、後顧の憂えなく、未来に高望みを抱かず、ただいまを楽しむ姿勢だ。
こうしたフロー状態の特徴や、それを引き起こす条件を家庭やビジネスの現場に応用すれば、没頭できる人を育てることもできるのではないか。
後編では、家庭環境やビジネスの現場でフロー状態を作り出すための方法を、浅川さんに尋ねた。
浅川希洋志(あさかわ・きよし)
1957年、長野県生まれ。シカゴ大学大学院修了(Ph.D.取得)。現在、法政大学国際文化学部教授。共著に『フロー理論の展開』(世界思想社)、
『子どもたちは本当に変わってしまったのか』(学文社)など。
−−前編では、フロー状態になりやすい「オートテリック」つまり、自己目的的な性格の人は、好奇心が旺盛で、
それがフローを経験するためのひとつのメタスキルであるというお話でした。しかし、新奇なことに興味をもつ人がいる一方で、
不安を覚える人もいます。どうして、同じものに対する態度の違いが生まれるのでしょう?
浅川:フロー理論では、「不安」は自分の能力よりも挑戦のレベルが高いときに起こると説明しています。
けれども、オートテリックな人たちは、挑戦のレベルが高くても、それを楽しめる状態にもっていくスキルがあるのです。
書を求め、街へ出よ
−−不安を楽しみに変えるスキルとは、たとえばどのようなものですか?
浅川:私が学生によく言うのは、「レポートの課題が難しいと思ったら、図書館や本屋に行き、関係ありそうな一冊を、まずは手に取ってみなさい」ということです。
必ず課題と関係する文献が載っていますから、それを派生的に追っていけば、情報量が増え、難しいと思えたことも、理解しやすくなってきます。
恐いと思って立ち止まったり、ひきこもったりするのではなく、まず動いてみる。オートテリックな人は、テレビを見たり、
食事をしたり、バスで移動したりといった、通常はそれほど重要とは思われないような活動に対しても集中力が高い。
どんな活動でも、心理的エネルギーを使い、楽しもうとしています。
−−「案ずるより産むが易し」ということですね。
浅川:そうです。まず動いて関わってみることが大事です。
熱力学でいう「エントロピー」は「乱雑さ」を表わす概念ですが、心理学にも「心理的エントロピー」という言い方があります。
要は、「心が乱れる」ということで、人は何もしないでいたら、そういう心理状態に向かいます。
疲れてソファに腰をおろしボーッと過ごしているときに、テレビをつけっ放しにすることがあるかと思いますが、
それはテレビを熱心に見なくても、目や耳から一定の情報が入ってくるからです。それによって意識を統制することができるわけです。
何もしないでいたら、心理的エントロピーが増大し、不安が募り、ネガティブな心理状態に陥りやすい。だから行動してみること、動いてみることが大事なのです。
子育ての環境を仕事にも活用
−−フロー理論を応用し、リスクを恐れず、ビジネスの上での充実感につなげるトレーニングやマネジメントは考えられるでしょうか?
浅川:「オートテリック」は自発的に行われるという意味をもつ概念なので、強制的にフロー体験を生み出すというのは、
そもそも矛盾した考えなのかもしれません。しかし一方で、オートテリックな人はどんな活動に対しても好奇心をもち、
そこに挑戦的な何かを見出していくことも事実です。
ビジネスの場合、組織としてフローを経験できる職場をつくっていくということが重要なのだと思いますし、
実際、そういった試みも行われてきています。能力を見極め、適材適所に人を配置し、その人に合った難しさのレベル、
課題を与えられるマネジメントシステムを構築するといったことです。
また、会社の中で同じ目標をもった人が一緒に何かつくりあげたり、ディスカッションしたりすることでフローを体験することもあります。
−−おっしゃることは理解できますが、それを具体的なモデルにするとなると、非常に難しいように思います。
浅川:たとえば、フローを経験しやすい子どもを育てる家庭環境に関する研究がありますが、この場合の一つのヒントになるかと思います。
その研究によると、オートテリックな子どもを育てる家庭環境には5つの特徴があるといいます。
1、家庭内の事柄を決定する上で、自分にも選択権があると子どもが感じられること。
2、家庭内のルールが明確であること。
3、将来のことではなく、いまを大切にする姿勢。
4,家庭内の信頼感。
5、親が子どもの能力にあったチャレンジを提供すること。
こういった要素を踏まえて組織をつくった人物としては、ホンダの創業者、本田宗一郎さんが挙げられるのではないでしょうか。
ホンダがF1参戦を決めたとき、本田さんは若手の技術者を集め、目標を「F1で優勝できるエンジンを作ること」と明確にし、
「俺がサポートするから、みんなは自由にやれ」とハッパをかけた。彼のやり方は、
オートテリックな子どもを育みやすい家庭での親の立ち振る舞いと近いものがあります。
明確かつ挑戦的な目標を掲げ、そこで若い技術者に楽しさを経験させながら、彼らの能力を伸ばし
、創造的なものをつくり出していったということだと思います。
「プレッシャーがかかる感じがたまらない」
−−のびのびと楽しむ経験が能力を培うならば、なぜ「苦労しなければ一人前になれない」という言説が幅を利かせているのでしょうか?
浅川:忍耐も重要ということでしょう。ただ、たとえば社長の成功の秘訣が「苦労」だからといって、
それを社員全員が強要されたらたまらないですね。創造的な活動の中でのみ、人は他人から見たら苦痛なことも、楽しんだり、
耐えたりすることができるのだと思います。逆境を楽しむというのは、そういうことなのではないでしょうか。
−−逆境すら楽しめるオートテリックさは、先天的なものなのでしょうか?
浅川:いいえ。教育やトレーニングで学習が可能だと思います。会社ならば、新しい社風をつくりだすことで、
フローを経験しやすい環境を整えることができると思います。
ただ、楽しむ経験が重要だといって、やみくもに楽しい経験を求めればいいというわけではありません。
普段、私たちが「楽しい」という場合、二つの楽しさがあります。一つはストレスなどで疲れた心を解放してやるときに感じる楽しさ。
「心地よさ」と言ってもいいかもしれません。たとえば、気晴らしのショッピングなどはこれにあたります。
もう一つは、難しい課題に取り組むときに感じる、充実感と自己の成長をともなうフローの楽しさです。
たとえば、イチロー選手は「本当に楽しむ」ということがどういうことかわかっている人だと思います。
2004年にメジャーリーグの年間最多安打記録を達成したときのインタビューで、彼はこういうふうに答えていました。
楽しさのレベルを上げていく、その結果が記録に
「やっている間、プレッシャーから解き放たれることは不可能ですね。よくプレッシャーからどうやって抜け出すか聞かれますが、
その方法はない。その苦しみを背負ってプレイするしかない」
「ものすごく苦しいんですが、やっぱりどきどきする感じとかわくわくする感じ、プレッシャーがかかる感じは僕にとってたまらないですからね」
そういうフローの感覚を知り、それを繰り返し経験したいから、イチロー選手はいまも懸命に練習しているのでしょう。楽しみたければ、
さらに高いレベルで挑戦し続けなければなりません。そして、楽しさを追求する中でイチロー選手はさまざまな記録を達成している。
つまり、楽しさの追求の後に記録がついてきているのだと思います。
−−「自己の成長」という点では、自分がどれだけ成長しているかを振り返り、フィードバックしてみることが大切そうですね。
浅川:私も論文を書くとき、最初は「うまく書けるかな」と不安に思います。でも、書きあがる直前に、読み直して、
自分がうまくできているかどうかを見たとき、「これはオッケーだ」という内的な感覚があります。
フィードバックは他人からの評価だけではありません。自分を振り返ったとき、どういう状態ならば、「オッケーだ」といえるか。
そういうフィードバックシステムが構築されるようになることも大事だと思います。
退屈とはすなわちリラックスのこと
−−自分の活動を正当なものと評価し、なおかつ充実感を味わう。きわめて充足した時間といえますが、フロー体験ばかりしていても、疲れてしまいませんか?
浅川:従来のフロー理論では、フローだけがポジティブな状態で、挑戦のレベルが能力のレベルを上回る「不安」状態や能力が挑戦を上回る「退屈」状態は、
人が避けようとするネガティブなものと考えられていました。しかし、研究が進むにつれ、
この「退屈」といわれる状態の中に人は安らぎや幸福感を覚えたりすることがわかってきました。
人間の能力の伸長にフローは欠かせませんが、それだけでは人は疲れてしまいます。どこかでリラックスする状態が必要です。つまり、
人間には自分の能力を伸長するためのフロー状態と生物体として体を維持していくためのリラックスした状態が必要なのです。
フロー理論も、これまで「退屈」と定義してきた能力が挑戦のレベルを上回る状態を、「リラックス」状態としてポジティブに捉えるようになってきています。
自分の能力を目一杯ストレッチしたら、しばらく休む。人間にはその緩急のバランスが要るようです。
ゆったりとリラックスした状態がしばらく続き、その状態に飽きれば、人は自然と能力を伸長する方向に動機づけられます。そのバランスが、
私たちの精神的健康にとっても非常に重要なのではないでしょうか。
(文/尹雄大、写真/風間仁一郎、企画・編集/漆原次郎&連結社)
日経ビジネス 2009.6.16 より

2015/2/25 | 投稿者: アラン
“没頭”を解明するフロー理論 浅川希洋志
(前編)
おもしろい本を読んでいるうちに夜が明けてしまうことがある。逆に、ほんの数分のプレゼンテーションが何時間にも思えてしまうことがある。
楽しいことは夢中になって取り組めるのに、興味の向かないことは退屈で仕方ない。楽しく過ごしたほうが心身にとってプラスになることは多そうだ。
では、我を忘れるほどハマる“没頭”とはどういう状態を指し、どのように人は没頭に導かれていくのか。
そんな無我夢中状態の解明を目指した心理学の理論があるという。「フロー理論」だ。
フロー理論は、深い楽しさを人にもたらす没頭状態がいかに訪れるかを、人の主観的な経験に着目して明らかにした心理学のモデル。
今回登場いただくのは、フロー理論の研究者、法政大学の浅川希洋志さんだ。人が夢中になる状態は作りだすことができるのだろうか。
浅川希洋志(あさかわ・きよし)
1957年、長野県生まれ。シカゴ大学大学院修了(Ph.D.取得)。現在、法政大学国際文化学部教授。共著に『フロー理論の展開』(世界思想社)、
『子どもたちは本当に変わってしまったのか』(学文社)など。
−−楽しいことはあっという間に過ぎてしまったり、無我夢中に没頭していると寝食を忘れたりといったことを経験することがあります。
先生が研究している心理学の領域では、それを「フロー状態」と呼んでいます。この言葉の指す意味とはどういうものでしょうか?
浅川:フロー状態とは、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」と定義することができます。スポーツや趣味に打ち込むと
、時間が経つのが早いですよね。はっと我に返ったとき、「楽しかったな。もう一度やってみたいな」と思うような感覚が芽生えると思います。
行為と意識が溶けあう感覚
−−とくに浅川先生が、フロー理論において興味をもっている点はどのような部分ですか?
浅川:私は精神的な健康への興味から、フロー状態による“充実感”に関心をもっています。日本人は仕事がうまくいったときや生き甲斐を覚えたときに、
「充実している」という言い方をよくします。充実感を英語でいえば、「センス・オブ・フルフィルメント」です。
しかし、欧米のフロー研究では、「センス・オブ・フルフィルメント」という心理状態はほとんど注目されてきませんでした。
私は論文に、“Jujitsu-kan”という日本語の表記を用いています。のめりこんであっという間に時間が経ち、没入から覚めた後、充実感が体を満たす。
私たち日本人の精神的な健康をはかる上で、充実感は重要な概念だと思います。
−−「のめりこみ」や「没入」といった表現からも、フロー状態において時間感覚が変容していることがうかがえます。
そのほかのフロー状態の特徴としては、どういうことがありますか?
浅川:自分の置かれている状況を「コントロールしている」という感覚が生まれます。「制御している」という感覚ではなく、
「どんなことが起こっても、うまく対処できる」という自分の能力に対する確信のようなものです。
あとは、自意識がなくなります。私も授業をしていて、とくに開始早々で学生の反応が悪いときは、
自分は「うまくやれているかな」と気になりますが、つい講義に夢中になるとそういう意識が消え、あっという間に時間が経ってしまうことがあります。
それは、“行為と意識の融合感覚”とも言えるでしょう。ツール・ド・フランスなどに参加する一流選手の記事を読んだことがありますが、
その選手は自転車と自分がまったく同じひとつのシステムになったような感覚があったと語っていました。あえて操作している感覚ではないということです。
芸術家が、完成した作品に無関心なのはなぜか
−−なるほど。そもそもフローという心理状態が着目されるようになったのは、どういった背景があるのでしょうか?
浅川:フロー理論を提唱したのはハンガリー出身のアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイでした。私の師に当たります。
チクセントミハイが、この領域に興味をもったのは、若い芸術家たちと接する機会があったからだといいます。
浅川:彼らはお金にもならない創作に、徹夜までして打ち込むけれど、できあがった作品には非常に無頓着。さっさと新たな創作活動に入ってしまう。
いったい何がそういった行動に向かわせるのかといえば、“内発的な動機づけ”であることが、彼らへの聞き取り調査などで分かってきたのです。
−−「成功したい」とか「名声を勝ち取りたい」といった野心ではなく、創作そのものが喜びの理由というわけですね。
浅川:はい。それを「自己目的的」といいますが、創作活動そのものが楽しい。そして、人が楽しいから行う活動とは一体どのようなものなのか。
その現象を理解したいというチクセントミハイの思いがフロー理論の確立にいたるきっかけでした。
−−同じことを経験しても、フローを味わう人とそうでない人がいるわけですが、何が両者をわけるのでしょうか?
浅川:フロー理論で大事なのは、人が周囲の環境をどう捉え、そこに何を見出すかということです。
それは人の興味や好奇心に根差したものと言えるかもしれません。
たとえば、書店にはたくさんの本がありますが、何を買うか決まっていない場合、どの本を選ぶかの基準は、気になったもの、
好奇心にひっかかったものです。そして、自分に訴えかけたものに反応する。それによって、環境との相互作用が始まり、フローに導かれていく。
他方、ある人は同じものにまったく興味を示さず、環境に関わりをもとうとしない。つまり、フローが起きるか否かの分かれ目は、
自分の置かれている環境に興味をもち、それに積極的に関われるかどうかということだと思います。
テレビゲームは、フロー状態を励起する装置
−−まったく興味のない、関わろうとしない分野のことに対しては、フローは起きづらいということですね。では、好奇心が掻き立てられ、
積極的に関わろうとする分野において、フロー状態が生まれるのはどのようなときでしょう。
ある行為について「環境との相互関係」が始まるのには、何が大切なのでしょうか?
浅川:“挑戦のレベル”が鍵となります。スポーツでも仕事でも、「何かをしよう」としたとき、
その活動に必要とされる能力といま自分のもっている能力が釣り合っていることが、フローを経験するためには必要です。
挑戦する内容が難しすぎれば不安になり、簡単すぎると退屈に感じますから。
さらに、“目標の明確さ”も重要です。活動を始めたのはいいけれど、何をすべきかが明確にわかっていなければ、その活動は続きません。
また、本当に自分がうまくやれているのかを知ることができなければ、その活動に対する興味も薄れていきます。ですから、
自分の行為に対する瞬時のフィードバックも重要となります。
たとえば、テレビゲームがフロー状態を導きやすいのは、初心者でも自分に合ったレベルから始めることができるからです。
浅川:そしてプレイヤーの技術が上がれば、それに合わせてゲームのレベルも上昇します。
能力と挑戦のバランスがうまく保たれている上に、敵を倒すなどのはっきりした目的があり、
しかも自分のやっていることがうまくいっているかどうかのフィードバックは、
点数やレベルとして瞬時に数値化され、きわめて明確です。つまり、非常にフロー状態が起こりやすい。
−−ゲームをプレイしている中で味わう充実感は、依存症とはちがうのでしょうか?
浅川:大学生活が楽しくない学生も、家でのゲームでは充実感を味わえると聞きます。充実感と依存症とは別のものだと思いますが、
生活のほかの部分でまったく充実感を得ることのできない人が、もしテレビゲームにおいてだけ、
充実感あるいは生きているという感覚を得ることができるとすれば、
その人がテレビゲームに依存して生きていくということが起こってくることは十分に考えられます。
社会から逃避し、テレビゲームのみに生きているという感覚を求めるようになったとき、私たちはそれを依存症とよぶのかもしれないですね。
ともあれ、生きている躍動感、わくわくする感覚を与えてくれる体験には、挑戦と能力のレベルが関係しているということは明らかです。
ビジネスなら、課題の難度と取り組む能力が釣り合っていること。その仕事を通じて「達成されるべきこと」が明確になっている必要があります。
フロー経験者はほんのわずか背伸びしている
−−分野への興味や、能力と挑戦のバランスなどがフローを経験するためには必要であることがわかりました。
人の性格とフロー状態の生まれやすさの関係についてはいかがですか?
浅川:フロー理論では、フローを経験しやすい人は「自己目的的パーソナリティ」あるいは「オートテリック・パーソナリティ」(
Autotelic Personality)をもつ、といいます。これは、利益や報酬のためでなく、
自分がいま行っていること自体に喜びや楽しさを見出しやすい性格特性のことを指します。
私たちフロー経験の研究者は、よくESM(Experience Sampling Method、経験抽出法)という調査方法を用います。
通常のESMでは、調査協力者に1日8回、任意にアラームが鳴るようプログラムされた腕時計をつけて1週間生活してもらい、
アラームがなるたびにその時の状況と幸福感、楽しさ、集中度といった心理状態を記録してもらいます。つまり、
人の経験を1週間にわたり追うことができるわけです。
浅川:このESMを用いて、日本人の大学生を対象に行った私の調査では、オートテリックの学生は、
挑戦のレベルが自分の能力よりもわずかに高いレベルに身を置く傾向にあることがわかりました。
一方、ノンオートテリックの学生は、挑戦と能力のレベルが離れており、しかも能力のほうが挑戦するレベルよりも高い状況に身を置く傾向が強い。
「何かの役に立つかも」が、オートテリックな人生への好機
−−ノンオートテリックの人は、挑戦的な活動を避けて、安易な生活を好むということですね。
何が、行為に喜びを見いだせるかどうかの違いに関わってくるのでしょうか?
浅川:オートテリック・パーソナリティの持ち主は、フローを経験するための“メタスキル”をもっているのだと思います。
そのひとつが好奇心ですね。ほんのわずかだけど、自分の能力よりも高いことを行おうとするのは、
「新しいことをやってみたい」「わくわくしたい」という気持ちがあるからでしょう。
オートテリックな人は、日常生活の中で自然にそういったメタスキルを身に付けてきているのだと思います。たとえば、
オートテリックな人は、ビジネスや研究で必要な文献を調べているとき、一見すると、いまの課題と関係なさそうだけれど、
「これは将来的に何か役立つかもしれない」というひっかかりを覚えた本を手に取ってしまう。文献を調べるという地道な作業の中に、
将来のフロー経験につながる投資を自然と行っている。
そういうことをメタスキルと呼ぶと何やら難しいですが、わかりやすくいうと、将来も関わることになるかもしれない現在の活動に、
心理的なエネルギーを使って積極的に関われる人こそが、オートテリックな人なのだと思います。
日経ビジネス 2009.6.10 より
1
(前編)
おもしろい本を読んでいるうちに夜が明けてしまうことがある。逆に、ほんの数分のプレゼンテーションが何時間にも思えてしまうことがある。
楽しいことは夢中になって取り組めるのに、興味の向かないことは退屈で仕方ない。楽しく過ごしたほうが心身にとってプラスになることは多そうだ。
では、我を忘れるほどハマる“没頭”とはどういう状態を指し、どのように人は没頭に導かれていくのか。
そんな無我夢中状態の解明を目指した心理学の理論があるという。「フロー理論」だ。
フロー理論は、深い楽しさを人にもたらす没頭状態がいかに訪れるかを、人の主観的な経験に着目して明らかにした心理学のモデル。
今回登場いただくのは、フロー理論の研究者、法政大学の浅川希洋志さんだ。人が夢中になる状態は作りだすことができるのだろうか。
浅川希洋志(あさかわ・きよし)
1957年、長野県生まれ。シカゴ大学大学院修了(Ph.D.取得)。現在、法政大学国際文化学部教授。共著に『フロー理論の展開』(世界思想社)、
『子どもたちは本当に変わってしまったのか』(学文社)など。
−−楽しいことはあっという間に過ぎてしまったり、無我夢中に没頭していると寝食を忘れたりといったことを経験することがあります。
先生が研究している心理学の領域では、それを「フロー状態」と呼んでいます。この言葉の指す意味とはどういうものでしょうか?
浅川:フロー状態とは、「自己の没入感覚をともなう楽しい経験」と定義することができます。スポーツや趣味に打ち込むと
、時間が経つのが早いですよね。はっと我に返ったとき、「楽しかったな。もう一度やってみたいな」と思うような感覚が芽生えると思います。
行為と意識が溶けあう感覚
−−とくに浅川先生が、フロー理論において興味をもっている点はどのような部分ですか?
浅川:私は精神的な健康への興味から、フロー状態による“充実感”に関心をもっています。日本人は仕事がうまくいったときや生き甲斐を覚えたときに、
「充実している」という言い方をよくします。充実感を英語でいえば、「センス・オブ・フルフィルメント」です。
しかし、欧米のフロー研究では、「センス・オブ・フルフィルメント」という心理状態はほとんど注目されてきませんでした。
私は論文に、“Jujitsu-kan”という日本語の表記を用いています。のめりこんであっという間に時間が経ち、没入から覚めた後、充実感が体を満たす。
私たち日本人の精神的な健康をはかる上で、充実感は重要な概念だと思います。
−−「のめりこみ」や「没入」といった表現からも、フロー状態において時間感覚が変容していることがうかがえます。
そのほかのフロー状態の特徴としては、どういうことがありますか?
浅川:自分の置かれている状況を「コントロールしている」という感覚が生まれます。「制御している」という感覚ではなく、
「どんなことが起こっても、うまく対処できる」という自分の能力に対する確信のようなものです。
あとは、自意識がなくなります。私も授業をしていて、とくに開始早々で学生の反応が悪いときは、
自分は「うまくやれているかな」と気になりますが、つい講義に夢中になるとそういう意識が消え、あっという間に時間が経ってしまうことがあります。
それは、“行為と意識の融合感覚”とも言えるでしょう。ツール・ド・フランスなどに参加する一流選手の記事を読んだことがありますが、
その選手は自転車と自分がまったく同じひとつのシステムになったような感覚があったと語っていました。あえて操作している感覚ではないということです。
芸術家が、完成した作品に無関心なのはなぜか
−−なるほど。そもそもフローという心理状態が着目されるようになったのは、どういった背景があるのでしょうか?
浅川:フロー理論を提唱したのはハンガリー出身のアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイでした。私の師に当たります。
チクセントミハイが、この領域に興味をもったのは、若い芸術家たちと接する機会があったからだといいます。
浅川:彼らはお金にもならない創作に、徹夜までして打ち込むけれど、できあがった作品には非常に無頓着。さっさと新たな創作活動に入ってしまう。
いったい何がそういった行動に向かわせるのかといえば、“内発的な動機づけ”であることが、彼らへの聞き取り調査などで分かってきたのです。
−−「成功したい」とか「名声を勝ち取りたい」といった野心ではなく、創作そのものが喜びの理由というわけですね。
浅川:はい。それを「自己目的的」といいますが、創作活動そのものが楽しい。そして、人が楽しいから行う活動とは一体どのようなものなのか。
その現象を理解したいというチクセントミハイの思いがフロー理論の確立にいたるきっかけでした。
−−同じことを経験しても、フローを味わう人とそうでない人がいるわけですが、何が両者をわけるのでしょうか?
浅川:フロー理論で大事なのは、人が周囲の環境をどう捉え、そこに何を見出すかということです。
それは人の興味や好奇心に根差したものと言えるかもしれません。
たとえば、書店にはたくさんの本がありますが、何を買うか決まっていない場合、どの本を選ぶかの基準は、気になったもの、
好奇心にひっかかったものです。そして、自分に訴えかけたものに反応する。それによって、環境との相互作用が始まり、フローに導かれていく。
他方、ある人は同じものにまったく興味を示さず、環境に関わりをもとうとしない。つまり、フローが起きるか否かの分かれ目は、
自分の置かれている環境に興味をもち、それに積極的に関われるかどうかということだと思います。
テレビゲームは、フロー状態を励起する装置
−−まったく興味のない、関わろうとしない分野のことに対しては、フローは起きづらいということですね。では、好奇心が掻き立てられ、
積極的に関わろうとする分野において、フロー状態が生まれるのはどのようなときでしょう。
ある行為について「環境との相互関係」が始まるのには、何が大切なのでしょうか?
浅川:“挑戦のレベル”が鍵となります。スポーツでも仕事でも、「何かをしよう」としたとき、
その活動に必要とされる能力といま自分のもっている能力が釣り合っていることが、フローを経験するためには必要です。
挑戦する内容が難しすぎれば不安になり、簡単すぎると退屈に感じますから。
さらに、“目標の明確さ”も重要です。活動を始めたのはいいけれど、何をすべきかが明確にわかっていなければ、その活動は続きません。
また、本当に自分がうまくやれているのかを知ることができなければ、その活動に対する興味も薄れていきます。ですから、
自分の行為に対する瞬時のフィードバックも重要となります。
たとえば、テレビゲームがフロー状態を導きやすいのは、初心者でも自分に合ったレベルから始めることができるからです。
浅川:そしてプレイヤーの技術が上がれば、それに合わせてゲームのレベルも上昇します。
能力と挑戦のバランスがうまく保たれている上に、敵を倒すなどのはっきりした目的があり、
しかも自分のやっていることがうまくいっているかどうかのフィードバックは、
点数やレベルとして瞬時に数値化され、きわめて明確です。つまり、非常にフロー状態が起こりやすい。
−−ゲームをプレイしている中で味わう充実感は、依存症とはちがうのでしょうか?
浅川:大学生活が楽しくない学生も、家でのゲームでは充実感を味わえると聞きます。充実感と依存症とは別のものだと思いますが、
生活のほかの部分でまったく充実感を得ることのできない人が、もしテレビゲームにおいてだけ、
充実感あるいは生きているという感覚を得ることができるとすれば、
その人がテレビゲームに依存して生きていくということが起こってくることは十分に考えられます。
社会から逃避し、テレビゲームのみに生きているという感覚を求めるようになったとき、私たちはそれを依存症とよぶのかもしれないですね。
ともあれ、生きている躍動感、わくわくする感覚を与えてくれる体験には、挑戦と能力のレベルが関係しているということは明らかです。
ビジネスなら、課題の難度と取り組む能力が釣り合っていること。その仕事を通じて「達成されるべきこと」が明確になっている必要があります。
フロー経験者はほんのわずか背伸びしている
−−分野への興味や、能力と挑戦のバランスなどがフローを経験するためには必要であることがわかりました。
人の性格とフロー状態の生まれやすさの関係についてはいかがですか?
浅川:フロー理論では、フローを経験しやすい人は「自己目的的パーソナリティ」あるいは「オートテリック・パーソナリティ」(
Autotelic Personality)をもつ、といいます。これは、利益や報酬のためでなく、
自分がいま行っていること自体に喜びや楽しさを見出しやすい性格特性のことを指します。
私たちフロー経験の研究者は、よくESM(Experience Sampling Method、経験抽出法)という調査方法を用います。
通常のESMでは、調査協力者に1日8回、任意にアラームが鳴るようプログラムされた腕時計をつけて1週間生活してもらい、
アラームがなるたびにその時の状況と幸福感、楽しさ、集中度といった心理状態を記録してもらいます。つまり、
人の経験を1週間にわたり追うことができるわけです。
浅川:このESMを用いて、日本人の大学生を対象に行った私の調査では、オートテリックの学生は、
挑戦のレベルが自分の能力よりもわずかに高いレベルに身を置く傾向にあることがわかりました。
一方、ノンオートテリックの学生は、挑戦と能力のレベルが離れており、しかも能力のほうが挑戦するレベルよりも高い状況に身を置く傾向が強い。
「何かの役に立つかも」が、オートテリックな人生への好機
−−ノンオートテリックの人は、挑戦的な活動を避けて、安易な生活を好むということですね。
何が、行為に喜びを見いだせるかどうかの違いに関わってくるのでしょうか?
浅川:オートテリック・パーソナリティの持ち主は、フローを経験するための“メタスキル”をもっているのだと思います。
そのひとつが好奇心ですね。ほんのわずかだけど、自分の能力よりも高いことを行おうとするのは、
「新しいことをやってみたい」「わくわくしたい」という気持ちがあるからでしょう。
オートテリックな人は、日常生活の中で自然にそういったメタスキルを身に付けてきているのだと思います。たとえば、
オートテリックな人は、ビジネスや研究で必要な文献を調べているとき、一見すると、いまの課題と関係なさそうだけれど、
「これは将来的に何か役立つかもしれない」というひっかかりを覚えた本を手に取ってしまう。文献を調べるという地道な作業の中に、
将来のフロー経験につながる投資を自然と行っている。
そういうことをメタスキルと呼ぶと何やら難しいですが、わかりやすくいうと、将来も関わることになるかもしれない現在の活動に、
心理的なエネルギーを使って積極的に関われる人こそが、オートテリックな人なのだと思います。
日経ビジネス 2009.6.10 より

2015/2/1 | 投稿者: アラン
A0009注意と運動学習・G・Wulf

運動を支援する立場から、学習者にどのような言葉で伝えるか?
効果的な運動習得のための「注意の向け方」に関してわかりやすく説明しています、
ネバダ大学運動学教授 Gabriele Wulf 女史の訳本
私は現役時代から、率いる後輩たちへのアドバイスを直接に体の使い方をせず、
遠まわしにコツを伝える事が習慣でした、
私は自らの運動経験から身体の意識的制御より環境からの触発による自然な受動的運動の発生が理想と心掛けていたからです。
本書を読むと、指導者の「腕を大きく振れ」「膝を高く上げろ」と身体内部に注意をうながす指導は間違っていると、いわざるを言えません、
著者は、身体外部への注意を誘導する指導を主張しています・・・・
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運動を支援する立場から、学習者にどのような言葉で伝えるか?
効果的な運動習得のための「注意の向け方」に関してわかりやすく説明しています、
ネバダ大学運動学教授 Gabriele Wulf 女史の訳本
私は現役時代から、率いる後輩たちへのアドバイスを直接に体の使い方をせず、
遠まわしにコツを伝える事が習慣でした、
私は自らの運動経験から身体の意識的制御より環境からの触発による自然な受動的運動の発生が理想と心掛けていたからです。
本書を読むと、指導者の「腕を大きく振れ」「膝を高く上げろ」と身体内部に注意をうながす指導は間違っていると、いわざるを言えません、
著者は、身体外部への注意を誘導する指導を主張しています・・・・

2015/1/23 | 投稿者: アラン