土岐佳裕のblog。
音楽活動してます。HAPPLE、いなかやろう(お休み中)で歌うたうたったりしてます
HAPPLE 1st アルバム「ドラマは続く」発売中!!!
HAPPLE 2ndアルバム 「Three to 2,1」発売中!!!
live
2016/6/4 HAPPLE 秋葉原グッドマン
2016/6/19 HAPPLE 京都アバンギルド
2016/7/9 HAPPLE 渋谷 7thFloor
2013/8/25 | 投稿者: どき

その後、渋谷nestのオーディションを受け見事合格!した、いなかやろうは、毎月のようにnestに出演していたが、大学の卒業を控えたり、忘れちゃったけどなんかの悩みを抱え、2002年の11月以降はライブ活動をお休みすることにしたのであった。
あの頃の心情は思い出せないが、僕は時々それまでの環境から離れたくなる時があった。過去形にしたのは、環境から離れたくなる衝動というのが僕には周期的にあったりして、それを後悔しているからだ。それが原因で疎遠になった人もいるしね。とにかく後悔したため、もうそういうことはしないと決めたので、過去形にしたのだ。

なので、その年の冬から翌年の春にかけて、それまでお世話になったライブハウスに出なくなり、みんなの引っ越しを手伝ったり、卒業式に出たり、僕は学生ではなくなった。そう、サティの店員になったのだ。
サティのでんき屋さんでその後4年くらい勤めることになるが、そこには数々のドラマがあった。このブログにビートルズというカテゴリがあるが、サティで景品になっていたカブトムシの幼虫を僕が引き取り育てたという、テレビ番組にするには少しスケールが小さいが、僕にとっては大きな思い出の一つも、そこで過ごしたから生まれた話だ。

で、話をいなかやろうに戻すが、2003年の5月にいなかやろうは久しぶりにライブを行う事にした。
そう、今では当たり前になっているが、あの頃ではめずらしい、スタジオライブだ。大学のリハスタだったので、自分たちでお酒を買って、販売したり、チケットを作ったり、完全にDIYイベントだった。
ちなみにそれが初ワンマンでもあった。
ちなみに曲順もわかるので載せておこう「1,街の灯 2,プルトニウム 3,黄昏 4,海と星座のキャンプファイヤー 5,オールA 6,カステラ 7,JAPANESE GIRL 8,たばこロード 9,リアルフォークブルース 10,独房三号」

大学を卒業したため、リハーサル室をつかえなくなったいなかやろうは、練習場所を都内のスタジオに変えた。
それから僕らはそのスタジオしかほとんど利用していない。
そのスタジオは「サークルサウンズ」
その後の僕の人生を変えたと言っても良いくらいの出来事だった。
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2013/6/1 | 投稿者: どき

そして、eggsiteでのライブを終えたいなかやろうは、2002年5月に大学の友人の企画で川崎modern timesの企画に出演した。しかも3マンだった。
この頃、鬼のように曲を作ってはボツになりの繰り返しだったと思われる。。
そんな中、新たに2曲「リアルフォークブルース」「オールA」が出来たのだった、、
と、このペースで振り返ると大変なんで、スピード出して行くけど、この3マンでタイバンしたMAN ON THE SHIPというバンドにたまいさんという方がいた。たまいさんはボーカルギターで3ピースバンドだった。
たまいさんは結構年上だったと思うが、いなかやろうを気に入ってくれて、バンド企画によんでくれた。
その後MAN ON THE SHIPは解散し、たまいさんは今はノーザンソウルのバンドを組んでいてレコードも出している。
深夜のイベントによく出演しているようで、夜中は眠くなってしまう僕は、一回しか見たこと無いがとてもかっこいバンドだ。

実はたまいさんは僕にとって特別な人である。
どう特別かというと、約束しないのに1年に1回はどっかで偶然会うのだ。そう考えると昨年は会わなかったので毎年ではないが、ほぼ毎年あっている。
時には電車の中だったり、渋谷駅だったり。
最後にあったのは2011年の10月だったと思う。
ちょうどHAPPLEが3人組になり、せっかくだから衣装でも買うかと意気込んで、下北沢に行った時だった。
約束して誰かに会うっていうのは、よっぽどのことがないとほとんど無いのに、たまいさんには約束しなくても会えるのだ。
そういうわけで、たまいさんは僕にとって特別な人だ。
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2013/5/13 | 投稿者: どき

というわけで、見事eggsiteのオーディションに受かったいなかやろうは、一生懸命練習した。それまでの持ち曲は「3月のうた」「黄昏」だったかな?かなり記憶が曖昧だったんで、過去のホームページの記録がないか調べたらセットリストが見つかりました。
1,たばこロード 2,黄昏 3,手紙 4,夕暮れ時にうたたねで 5,3月のうた 6,ワンスター
という曲順でした。この中で急ピッチでつくったのはたばこロードと、夕暮れとワンスターだな。
僕は全部覚えているけど、この曲を全部覚えているのはおそらく、いなかメンだけだと思う。っていうか、記録が残っていたことに感動している。。おどろき、、

で、この時タイバンだったのがユーカリ Sound Trackだ。彼らは既に解散(?)しているけど、ユーカリのギターボーカルだったたけヒーローとは、今年の4月から円盤企画で一緒にイベントに出ている。そう考えると、バンドを始めてから出会った人で一番古い友人となる。凄いなぁ。
話を過去に戻します。
その頃、暇人だったいなかやろうというか僕はユーカリ Sound Trackのリンクを熱心に見ていたところ、いなかやろうとほぼ同じタイミングでライブを始めているあるバンドがいることに気付いた。
そのバンドは「タイカップ」
僕は勝手にライバルバンドと決め、その後、ホームページをチェックし続けることになる。ちなみにそのバンドも今は動いていない。ま、そのバンドのエピソードはおいおい話そう。
ただ、タイカップのギターボーカルだった寺尾ブッタさんとはその後仲良くなり、泰山に遊ぶというバンドに誘ってもらい、参加することになることは記しておこう。

ユーカリ Sound Trackの話に戻るが、彼らは既にその頃、LDKからアルバムを発売しており、始めたばかりのいなかやろうにとっては凄いバンドだった。
仲良くなれるかなぁとか思っていたところ、ライブ終了後、たけヒーロー(当時はまだたけヒーローとは名乗っていなかったけど)が話しかけてくれて、当時売っていた2曲入りデモカセットを買ってくれた。
タイトルは「帰郷」
いなかやろうで帰郷というタイトルは、今となってはそのタイトルはどうなのかな、と思う。
あの頃、僕らは一生懸命やっていたが、少しふざけていたのも確かだった。。ただ、収録曲である「3月のうた」「黄昏」に関してはとても良い曲だった。この曲達の名誉のために追記しておこう。。

そうそう、もう一つ、このイベントに出る時にあったエピソードがある。
ライブした時に今後のライブ予定がないのは寂しいということになり、急遽、他にもライブをやろうということになった。それで、大学の友達のしょうごパパにお願いし、彼が勤めている川崎modern timesというライブハウスで企画をしてもらった。
そして、それにかぶせるように横浜でもライブをいれた方がいいということになり、横浜CLUB24WESTというところにデモテープを持って行き、ライブを決めたのだった。
こうして、けなげな「いなかやろう」はライブ活動を始めたのだった。。ちなみにこの時につくったチラシは未だに僕の部屋に飾ってある。
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2013/3/16 | 投稿者: どき

7年ぶりに連載を再開する。今までのあらすじはこのページの左下にある「いなかやろう」という記事カテゴリから見てください。

斎藤さんの卒業が迫った2月、僕らはデモテープを作りライブハウスのテープ審査に応募した。
そして、見事デモテープ審査は受かり、東京は渋谷にあるeggsiteに出演することになった。

初ライブに向けて、チラシも作ろうということになった時、色んなライブに行っていたゆき君とういう友達から(fromどこどこ)という記載をした方が箔がつくと言われて、いなかやろう(from横浜)と記載したチラシを作ったのだった。
from横浜と書いても特に横浜でライブしている訳ではなく、住んでいる場所が横浜だっただけだし、今思うと恥ずかしいが、その頃の僕はライブハウス自体に全然行ったことがなかったため、しょうがなかったのだ。(ちなみに横浜から渋谷まで30分くらいで行けます)

そして、見事eggmanのオーディションに受かったとき、僕らの持ち曲は3曲で、しかも1曲はカバーだったのだ。
オーディションライブは持ち時間も少ないし、問題は無かった。
問題がなかったのはそこまでだった。

オーディション担当者の方から、多分、終わった後のコメントみたいなのを聴いていた時なんだけど、今後の活動に聴かれて、まず答えたのが、キーボードの斎藤さんが就職のために4月に脱退することだった。
初ライブにていきなり脱退するメンバーがいるのには向こうもびっくりしただろう。
そんで、持ち曲は何曲あるの?と聴かれたため、(これは多めに言っとかないと誘われないかもしれん。。)と思い、6曲くらいありますよと言ってしまったのだった。

そして、1週間後くらいになんとeggmanからライブのお誘いが来たのだった!
3月の終わりの日程だったはずだ。(これはその時のブッキングのTさんが気を使ってくれたのだと思ったのだった。
その節はありがとうございました。)
つまり、いなかやろう2回目のライブにして斎藤さんのラストライブが決まったのだ。
そして、サークルのスキー合宿も始まった。(実は一応部活だったので、学校から部費も出た。夏は山へ冬はスキーに行く、音楽部だったのだ。ちなみに僕は部長もやった。)
行きのバスで慌てて作った3〜4曲をメンバーに聴いてもらった。
おそらく、そのとき、これを一ヶ月でまとめる必要があるとみんなで気合いをいれたはずだ。

雪景色が広がる中、僕は初めてのライブ(オーディション以外で)に向けて、燃えていたはずだ。
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2006/5/12 | 投稿者: どき

全員そろったいなかやろうはついに二つのサークルの共同企画で
ライヴハウスに出ることになったのだった。
時間帯は深夜の3時くらいだった。

そのときのレパートリーはバンドスコアがあって、好きだしということで
奥田民生氏の歌が多かったが、中でもベースのやんばが歌うBEEFは絶品であった。
私は牛だよってベース弾きながら歌う彼は
今見ても笑えるであろう。

そうこうしているうちに、新しい曲が出来たのであった。
それも今や廃盤になっている曲、ニャンバーと熊という曲だった。

ニャンバーは僕が飼っているネコで、くまというのは友達のあだなだった。
夕方の五時までは暇です。という曲であった。
これは中村一義氏の123という曲にインスピレーションを受け
コード進行が微妙に反対になってるという、パクリにも近いが
まぁ全然違う曲なのでよいという曲であった。

この頃は練習はほとんどしていなかった。
ライヴも定期演奏会のみであった。

そうこうしているうちに、斎藤氏の卒業が近づいてきたのであった。
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