土岐佳裕のblog。
音楽活動してます。HAPPLE、いなかやろう(お休み中)で歌うたうたったりしてます
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live
2016/6/4 HAPPLE 秋葉原グッドマン
2016/6/19 HAPPLE 京都アバンギルド
2016/7/9 HAPPLE 渋谷 7thFloor
2006/2/4 | 投稿者: どき

やんばが歌ったのは秋だった。
間違えた。

この頃、大学の先輩のバンドの霞町ファンクというバンドに大きな衝撃をうけた。
以来僕はずっと霞町ファンクが大好きだ。
あの時初めてロックを知った。


なんだかんだで二年生になるかならないかの頃だった。
フニャコツチンこと北原君にオリジナルバンドを組まないかと誘われた。
僕はその頃無気力人間だったのでめんどくさかったが
いつでもやめれるスタンスということで
行ける日に参加しますということで参加を決めた。
その頃の彼のオリジナルはパンクな感じで
歌詞がよかったのは覚えている。
当然僕はうまく弾けなくて、そのバンドは夏を待たずに消滅した。

で、僕もオリジナルを高校以来つくってみようと思い
午後の紅茶のCMタイアップを狙った曲をつくった。
その名もずばり「午後の紅茶」

で、誰が言ったか忘れたが、ピアノをいれようということになった。
で、ピアノを弾ける人を探したんだと思うんだけど
僕は人見知りなのでアプローチ系の行動には頭が全く回らず
だれが適役だとか、というか誰なら頼めるかなど
なにも思い浮かばなかった。

で、押田さんが斎藤さんなら誘ったらやってくれると思うよ、って言ったに違いない。
まず押田さんがジャブをいれて、その後僕が多分経済学Uの授業で斎藤さんにアプローチをかけた。
その頃僕は斎藤さんとはほとんどしゃべったことがなかったので
かなり勇気のいる行動であった。

で、晴れてここで現在のメンバーがそろったのであった。

僕たちは次の夏の定例演奏会に向けてさっそく午後の紅茶をつくった。
紅茶を好きな女の子の洋服にこぼしてしまったという曲だった。

歌詞はともかく曲は今聴いてもとても良い曲だ。
もうバンドではやらないと思うけど
隠れた名曲としていなかやろうのメンバーだけには
記憶に残っていくであろう。

冷たい涙の後に
紅茶をこぼしちゃった
白いその服が落ちないしみをだけるように
それとなくいてほしい
君が離れて行かないように

っていうちょっとストーカーチックな歌であった。
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2006/1/18 | 投稿者: どき

梅雨もあけ、初めての定例演奏会にむけ、バンドが動く中
ボーカルのまっこいが「歌いたくない」という理由で
脱退を表明。

まぁ歌いたくないのならしょうがないね、ということで彼女を見送った。

3人となり練習はするが「暗闇からてをのばせ」は難しく、人に聞かせられるような演奏にはならなかった。
そうこうしているうちに夏の演奏会の日はゆっくり近づいていく。
どうしようかと相談しているたのだが、バンドスコアがある、という理由で
奥田民生氏の「愛する人よ」に決定する。
僕は新しく手に入れたワウを駆使する。
そしてボーカルはもちろんやんばだ。
ベースを弾きながら歌うのだ。

そんな中生まれて初めてのライヴ、そしていなかやろうの初めてのライヴは行われた。
一曲しかやらなかった。
いきなり最後の曲だった。

その頃、もうひとつ、誘われて入ったエアロスミスのコピーバンドもライヴをした。
こっちはかなりぐだぐだなライヴだった。
今見たらなぐりたくなるようなぐだぐだっぷりだった。
しかもDragon Ashもやった。
それはやばいくらいやばい演奏であった。
最初で最後のDragon Ash。

あの頃僕のギターはレスポールもどきであった。
このもどきは父親と母親が若かりし頃、高い金を払って買ったギターなのであるが
メーカーが解読出来ない。
samickって書いてある。

とその頃はわからなかったが、インターネット時代に突入している今
調べたらすぐわかった。
http://www.geocities.jp/visrds/mokuji2.htm

これ以上調べる力が残っていないので、思い出のままにしておく。

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2006/1/10 | 投稿者: どき

なんだかんだでゴールデンウィークが終わったくらいの春であった。
そのころ度々、押田さんが簿記がわからないというので、部会後教えてあげたりしていた。
僕は数学が得意であったので簿記もそのノリで結構出来たのであった。
そのうち中田君が「押田さんが今度練習見に来たいって言ってたよ」と僕に言って来た。

ある練習の日、押田さんが練習を見に来た。
僕らは見せるようなことをしていなかったので、押田さんにドラムをやってもらうことにした。
「ドラム、初めて」と言っていた押田さんはいきなり結構うまくて
僕は新しい技術としてハイハットにスティックをはさんで
音をチャカチャカならす技を伝授したりした。

そうこうして数日を過ごすとまっこいもバンドに入りたいらしいと聞く。
彼女はベースを弾いていたのだが(と言っても初めて)、ツインベースで行こう!と暗黙のうちに決定して
入団が決まった。

というわけで、いなかやろうの練習は基本的にやんばがまっこいにベースを教える時間になったのであった。

でもなんやかんやで、やっぱりベースは一個でいいだろうという結論が暗黙のうちに出て
まっこいはいなかやろうのボーカルになるのであった。

そんなおり一番やる気のあった押田さんがこの曲をコピーしたいと言って来た。

小沢健二 「暗闇から手を伸ばせ」

とても良い曲だった。
僕は小沢健二を全然きいたことがなかったので
というかその頃はほとんど音楽を聴いていなかったので
まぁ今思うとなんでバンドをやったのかも、あの頃の自分をみると不思議だけど
とにかくみんなでコピーを始めたのであった。

夏がくるちょっと前であった。
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2006/1/7 | 投稿者: どき

というわけで、中田君とバンドを組むことになったのであった。
タイムテーブルを組む際、バンド名を決めなくてはならなくて
僕らは一生懸命考えた。

どき、なかだ→どきなかだ→どいなか→どいなかやろう→いなかやろう

という思考の流れでバンド名を決定した。

毎週一回二人で練習した。たまにおぎくんも参加した。
だが初めてバンドを組んだ僕にとって練習もなにをしていいのかわからず
だいたい人生で二回目くらいのエレキギターをアンプで鳴らすという行為は
色々新鮮でもあって、楽しくやっていたが
やっぱりドラムが必要だろう、と二人で思っていた。

それを前後して、先輩がテレキャスをうりたいと部室の掲示板にはりつけてあると聞きつけ
それを見に行くと言う口実を自分で作って
僕が勇気を出してなんでもない日に部室に行くと
そこにはなかよく飯を食っているまっこいと押田さんがいた。
で、僕は勇気をふりしぼり一声かけてそのまますぐ出た。
とにかくあの場にいれなかった。

そのうち、新入生歓迎ライヴというのがとある日曜日に行われることになり
前日は準備することになっていたので、これはいい出会いがあるかもしれんと思いつつ
参加した。
ところがめっぽうに話せない僕は事務的会話のみでその場を乗り切ることに成功。
とくに何も出会いはなかった。

その次の日はライヴを見ていたのだが
僕の大好きだった中学の先生がなくなってしまって
気が気ではなくすぐ帰宅した。
先生の告別式はほとんど泣いていた。
僕の中でそこまで大きな人だとは思っていなかった。
なくなって初めて気づいた。
先生はまだとても若く、ちいさい子供もいて
下の子は何もわかっていない様子であった。
僕はそのことしか考えられなくなって、心配した友達は
僕を元気づけるためによく会いに来てくれた。


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2006/1/6 | 投稿者: どき

時々、いなかやろうの結成から適当な時期までを綴ることにした。

大学一年の頃僕はバンドをやってみたくて、
どこかの音楽サークルに入ろうと思っていた。
ただ僕は初めて会った人とはよっぽどの事が無い限り、うまく話せなくて
お酒もほとんど飲めないのでどうしようか悩んでいた。
大学のサークル=一気飲みという図式がその頃の僕の悩みだった。
けれども、僕は浪人して大学に入ったので既に友達が音楽サークルに入っていて
話を聞くと「ここは一気飲みとかないよ」って言っていたので
僕は友人がいたということもあり、ポピュラー音楽部に入部したのであった。

新入生歓迎会というものに参加した時、その年の新入生はもの凄く多く
二つにわかれて行われた。
一つは東神奈川の飲み屋、もう一つは大学の部室。
僕はうまく話せないうえに人の話もあまり聞かないので
よくわかっていなかったが、東神奈川の飲み屋チームに参加した。
そこで僕の近くにいたのが、いなかやろうのドラムの押田さんと後にまっこいというあだ名を
つけられる小柳さんであった。

数日がたって、部会というものが毎週火曜日に行われていて
僕はその日しか部室には行かなかった。
うまく話せない僕はそういう場が設けられていないと行けないのであった。

ところがある程度事情がわかってくると、
この部活の基本的な活動は部会とバンドごとに二時間タイムテーブルをとって
練習するのであって、
バンドを組まないと部会以外顔を出せなくなり、
だいたい初めから顔を出すために入ったわけではないので
早急にバンドメンバーを捜さなくてはならかったのだった。

そんなおり、今は顔もほとんど覚えていない友人のおぎくんという人が
メンバーを捜しているという人をしっているよって教えてくれた。
ちなみにおぎくんは何も弾けない。

そのメンバーこそ後のいなかやろうのメンバーの中田君ことやんばであった。

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