今朝、132名さまの署名、確かに送付しました。現在のところ、137名の方が署名されています。OFSを何とか残して!と切望する方、引き続き何とぞ宜しくお願いします。3回目は今週木曜日に発送する予定です。
http://form1.fc2.com/form/?id=26732
昨日書いたとおり、今日は中国映画、『故郷(ふるさと)の香り』を観てきた。
第一回目が割引1200円なので、それを目的に昼に映画館へ。入ったら月曜日にもかかわらず、以外にもほぼ満席。前から3列目の一番端というロケーション的にはちとキツメ。
やはりこの入りは同じ監督による前作、『山の郵便配達』の評価が高かった故と改めて思う。
正直、ブルース・ムーヴィよりもかなり人の入りがいい。(その分、向こうはゆっくり、じっくり見れたのだけど)。

前作「山の〜」でも見せていた美しい自然映像は今回も際立っていた。前作が自然の中の点描のように生活を行う親子の“役割交代の物語”だとするなら、今回は基本的に恋愛に関する物語なので、女性に受ける要素は増しているといえましょう。HPの感想にも書いたけど、前作は男性が見て感動を覚えるたぐいの作品といえようから。その点では前作より広くアピールする要素があるかもしれない。
それにしても、やはり監督・フォ・ジェンチイの美学は変わらない。都市化されない場所の物語、沈黙の深さと、人の所作が見せる”言外言語”による観客への伝達手法。
そして、これは映画が見せる風景要素が絡んでいると思うのだけど、例えばイランのアッパス・キアロスタミ監督が多用する沈黙とは少しニュアンスの違いを感じる。いわばこちら、フォ監督が映す「風景と沈黙」の方が緊張感が少なく、優しさがある。時おり挿入される音楽も同様だ。
今では日本人でこのような作品を撮ることは難しいだろう。今の日本で緊張感を伴わない沈黙や動作で映画を成立させることは難しいだろうと思う。アメリカ映画の画面一杯過剰な言葉と身振り・感情の爆発の後に和解・という全編テンションが高い話法に馴れている。それが日本人の一般的な映画を見る態度だろうから。
だから欧米人が本当に東洋オリエンタリズムを求めるならば、この監督の作品を観ることが今では王道かもしれない。この作品だとて、実は現代中国ではない。今回の作品はまだ「人民公社」健在(しかし失われつつある)時代の中国内陸の農村の物語なのだから。事態は複雑に捻れているにしても、ここには抗い難い魅力があるのは否定し難い。それは日本人が倉本聡の作品を愛憎ともにしながら、否定し難い魅力を感じているのと似ている気がする。
前作が沈黙中の言外の所作から観客に多くを感じ取ってもらう作品だとしたら、この作品は恋愛や三角関係を扱っているだけ、まだ動きがあるのは確か。だが、映画の時間は綺麗な静けさに包まれ、ときどきドキッとするリアルな官能を見せる。これも東洋的な美しさと思える。

この作品の中で一番映画に動きを与えているのが、日本人俳優・香川照之の存在だ。
聾唖と知的障害のため、思いを伝えられず、身体そのものでコミュニケーションするしか出来ず、そのいら立ちが周囲にますます誤解を与える。しかし、この映画の最終局面は香川照之にスポットが当てられる。。。
素朴な純粋さを愛する監督の視線は今作も変わらない。自然描写に重きを置く事、沈黙の所作に重きを置く事、人と人との和解をメインにすることで一貫するこの監督は、きっと文学から映像のイメージを切り取っているのだと想像する。今回は著名な作家(らしい)莫言の作品からだし、前作も原作は小説だった。
ともかく、僕はこの監督は東洋を代表する監督になってもらいたいし、なってくれそうな気がしている。
フォ・ジェンチイ監督・作品インタビュー
http://www.furusatono.com/interview02.html