今日は2週間ぶりに休みをもらえたので、かなりマッタリと大半を過ごす。私用で自転車と自動車で用事を過ませた以外は家でのんびり。ザ・ザ(というバンドがあったんですよーw)の「ダスク」か、売り払ってしまったと思っていたハンク・ウィリアムスというカントリーシンガーのカバーアルバムが手元に残っていたので、それについて書こうかと思いつつ、難しいなぁと考えているうちに予定変更してダビングしていた映画を見る。
スペインの映画「マルメロの陽光」。1992年の作品である。ぼくがこれを劇場で観たのは製作年から考えて、93年か94年だろうか?正確なときは思い出せないけど。地味な作品にもかかわらず、結構人で満杯だったのを覚えている。そして2時間15分くらいある映画なのに睡魔が襲ってこなかったことも。
映画はアントニオ・ロペス=ガルシアという徹底的に写実を追及する画家が、自分の植えた“マルメロの木”を最初は油彩で、後にスケッチに変更してとにかく描いていく日々を映していくドキュメンタリー。絵を描いていく過程そのものが観客が手に入れる映像のストーリーであり歓びなのだが、その映像のありようも画家の徹底した写実へのこだわりと同じように何の仕掛けもなく、ストイックである。
作品は古いアパートメントに対象となるマルメロの木があり、まず画家が画布を作るところから始まる。その絵筆をとるまでの下準備とでもいうべき過程が実に詳細に映し出される。木の脇に柱を立て、縦糸と横糸を目線を中心に張る。そして対象を見る目線に合わせて「足場」を決定する。(立った状態で靴先が固定される)。この過程を見せるだけで何十分も経っているのだが、飽きることがない。それよりも画家という仕事はこのような手順を踏むものなのか、という画家という仕事の現場を見せてもらうような心地よい緊張感があり、時間の流れを忘れてしまう。映像が映すマルメロの黄色いろも美しい。画家はそのマルメロに画筆で線を入れたり、葉に線を入れたりする。
そのような画家の習慣的な日々に、画学校時代の友人が訪れる。この親友とミケランジャロの絵について語りあったり、親友の問わず語りを作業しながら聞いていたり。この作品の主人公、アントニオ・ロペスは寡黙で、けしてカメラを意識することはないが、その純粋で少年のような瞳、時々絵とマルメロの木を見比べながら遠い目をする瞬間などは、どの俳優にも負けないリアルで美しい存在感がある。彼が「マルメロが黄金色に光る一瞬を描きたい」というとき、純粋なロマンチストの一面が見える。しかし、その瞬間は一日の中に一瞬しかやってこない。しかもマルメロが成熟するのは秋が深くなってから。その時期は天気も良い日は少なくなる。リアルな写実にこだわる画家はついに油彩は諦め、スケッチ(素描)に変更する。
後半に中国系の女性画家が彼を訪れる。その女性画家の質問によって、アントニオ・ロペスの独特に綿密な計算が明かされる。彼はシンメトリーが生む秩序が好きなのだ。木を画面の中央に置き、視野の中心を画面の中央に描く。そのために、縦糸は目の中心線、つまり垂直を、そして横糸は画の水平線(同時に画家の水平線)。垂直と水平を軸に全ての要素が描けるというのがこの画家の発見であり、方法論なのである。またマルメロやその木の葉につけるしるしは、日によって重さから位置が下に下がるのを確認するための方法。マルメロの位置が下がれば、その下がった位置に書き直す。この発言には登場する女性画家と同様に、観客も驚嘆せざるを得ない。
この徹底した写実表現に対するこだわりは、自然の秩序に忠実でありたいということと、そこに説明のし難い感性的な美を感ずるためというのがアントニオ・ロペスの自然主義と、また同時に詩的な生理なのだろう。
熟れて落ちたマルメロをその重たさをじっくり確認するように持ち上げて、ゆっくりとその匂いをかぐ画家。冬が来て、その季節の作業が終わった瞬間の動作である。
このストイックな映画は、観客におもねるところはない。むしろ、観客の水準を深く信じているところさえ感ずる。最後は画家がいなくなった後、画家が基軸とした足の立ち位置に「カメラ」が立つ。ここに画家の純粋な作業と同じ視点にカメラも立っているということを示唆しているように思われる。
ぼくはこの映画に不思議に感動し、改めてまた劇場に向かった思い出があるのは、映画にかかわらず、娯楽とはまた別の内的な充実を得たからなのだと思う。それはやはり絵を見たりするのと同じ体験を感じたからだと思う。
この映画の作者は「ミツバチのささやき」という映画の作者らしく、極めて寡作の映画監督らしい。ミツバチのささやきはレンタルで観た記憶があるけれど、内容は忘れてしまった。少女の空想と現実がパラレルになった、というような作品だったというおぼろげで不確かな記憶が、、、。いずれにせよ、その作品が高い評価を得た後、10年近くの沈黙、その後作品を仕上げてまた10年近く経ち、この「マルメロの陽光」が完成したらしい。
マルメロに向かい合い、自然を極力完全に絵筆で写し取ろうととしてどこかあきらめながらもその作業を続ける羨ましいほど純粋な画家の作業と、この映画監督はどこか体質が似ているのかもしれない。
PS.
この映画に関するプロフェッショナルなエッセイはこちらで↓
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ni-nin/kiyo-28.html