いつぐらいからジョン・レノンのソロアルバムを意識して聴くようになったろう?
とにかく、初めて買ったのはレノンが活動休止中に出したベスト、「SHAVED FISH」だったはずだ。次がレノンのこのファーストアルバムだったはず。解説の立川直樹氏の文章がとても難解に感じた記憶があるから、おそらく16,7才くらいかもしれない。すでに高校に入った頃から完璧に落ちこぼれていた自分がパンク・ロックに出会って2,3年くらいかもしれない。とにかく1曲目の「Mother」のとんでもない暗さに引きずられたまま、この解説や何やらとともに、ただ近寄り難いリアルなアルバムと思い、敬して遠ざけていた気がする。
その間にレノンは銃殺された。何よりも、その前、最初は何故かジョージのソロばかりを聞いていた気がする。パンクのスピード感にハマリながら。だから、今思えば彼が亡くなってからこれを買ったのかもしれない。記憶が定かでないけど、いずれにしてもだいたいバッテングしてるはずだ。彼が活動を再開するという話を「ふ〜ん」と思い、「スターティング・オーヴァーはいい曲だけど、なぜオノヨーコの曲をこんなに自分のアルバムに入れるんだろう?」と不審に思っていたりした。そして活動再開の話の直後に、あっという間にこの世から消えてしまった。つまり、ジョンは生きているうちから僕にとっては幻の存在だったのだ。
ビートルズの個別のアルバムを集めるなんて古臭い話で、ポールはどうしてか仮想敵気分だった。(すまない)。10代の後半は混沌としているばかりで、オーソドックスなアーティストはその聴いた順番が思いだせない。フーやストーンズは日本独自のベスト盤があり、今ではノイズまみれのLPとして残っている。それらがごちゃごちゃになっている。
日本盤のタイトル、「ジョンの魂」。正確なタイトルだと思う。原題はただ「John Lennon/Plastic Ono Band」。どちらでもいい。どちらもシンプルで良いタイトルだと思う。
幾つくらいからだろうか。自意識が変な風に発酵してこのアルバムを聴き続ける日があったのは。考えて見れば20歳をだいぶ越えていたかもしれない。そしていつ頃か、このアルバムとこのアルバムの作者がビートルズという稀有なケミストリーの片腕のものであるという事実の故に、ぼく流の「ロック」とはこれだ、という定義になった。「ロックンロール」と「ロック」の違いはこのアルバムで象徴される、と自己定義するようになった。―おそらくどこかの評論家の活字の影響もあったかもしれない。
ビートルズの現役時代は知らないけれど、子どもの頃見ておぼろげに覚えている「パートリッジ・ファミリー」の楽しそうなバンド・ファミリーやらアニメ・ビートルズストーリーやらの夢の原点はビートルズの赤盤・青盤にいつまでも“本物”として保存されていた。
その紡ぎ人の片腕自身が自分たちの、そして自分の夢の内側から水を浴びせてしまった。幻想を自らの手で砕いてしまった。その痛みと勇気。この巨大な幻想から普通のひとりの人間が降りてきた瞬間のとてもシンプルな声と裸の言葉が強く、痛く、リアルに響く。そう思えることは、今でも変わらない。
僕はレノンのソロで何が良いかと聞かれたら、人には2作目の「Imagine」を勧めたいと思う。一枚目で吐き出したものは、2作目の優しい響きに昇華されたと思うから。でもそれだけじゃない。今思えば、当時余りにポールにとって不利な、あからさまなマッカートニー非難の曲もあり、冷静にみてフェアじゃない曲もある。一枚目にあった重さはわずか1年で消えはしない。思えばレノンは自分の持つ天性の声の力と、カリスマ性というアドバンテージを持っていたにも係わらず、余りにもこの頃は自分の痛みを被害的に感じていたように思う。だが何故なんて思うこともないのだろう。この頃のレノンは自分の弱さは人間全般の弱さに通ずるとストレートに思っていたのだろうから。だからこそ、ファーストの「労働者階級の英雄」「しっかりジョン」だろうし、「リメンバー」なのだろう。セカンドでは「イマジン」「ジェラス・ガイ」「真実が欲しい」「戦争には行きたくない」なのだ。おそらく、きっと。
自分の心。信念信条。それを赤裸々に歌にすること。そしてそれが驚きを持って迎え入れられること。共感を呼ぶこと。小野洋子という人を得て、そして時代の影響なのか、レノンの70年代初頭は今という時代の視点から見れば、びっくりするくらいイノセントで、ピュアだ。ナイーヴだといってもいい。でも、現代ではこれらを笑うくらい、ナイーヴとかイノセントという言葉の定義の幅が広がりすぎてしまった気がする。変な方向に「夢は終わった」のだろうか。
「神は僕たちが作り上げたコンセプトだ」。このファーストアルバムで彼が伝えたかったことの最も大きな一つはこのことだったろう。そして1曲目の「母」の歌詞だろう。同時に所謂“ロック”はここを根底にした“業”を自覚することから始まっていると。僕はそう思っている。それは幻を失ったあとの孤独の始まりかもしれない。だからこそ、他の楽曲も胸を打つ。
そしてレノンのこのアルバムに限らず、素晴らしいと思えるロックの根本を支えているものだと思っている。激しくムチャな騒ぎの果ての音楽にもしっかりこのアルバムがある。覚醒の歌。
「IMAGINE」はジョン・レノンのヴァージョンだからこそ心の奥に直撃する。この曲は美しいに違いない。が、同時に哀しい声だなぁとも思える。真剣に向き合えばこの歌詞でIMAGINEする内容自体が大変に難しいことだ。(なぜかね)。
幻想を否定した人の偶像写真が平和運動や命日のたびに持ち出されるのは皮肉な話だけれども、いつかは歌だけが生き延びればいい。また米英ラジオが非常時のたび、この曲を自粛するのは大変アホな話だけれども、それはレノンの魂が幸か不幸か生きている証拠だ。
今でも物思いにふけるたび、このジョンのソロ1作目に戻りそうだ。そしてこれが原点なのだ、という思いは当分変わることはなさそうな気がする。