だいたいが昔からどっか計画性の無い人間。
もともとは目的もなく、ただ自己流に云いたいことがあって、みたいなことからが始まり。それを2004年の10月〜12月に集中的に書いて、ある種の達成感があって。それから、昨年の2月3月に、また自分を洋楽ファンに戻してくれたケーブル番組の存続を祈って始めた電子嘆願署名でアクセスがあがる、という意外な局面があり。また、そこで寄せられたコメントにより一層、自分の中にある何かを「整理してフィードバックさせてくれた」ということがありまして。やっぱり、音楽の持つ影響力は凄い!と思った。単純にはそういうこと。
ところが、いつ頃からか、だんだんと、偉そうというか、書けば書くほど、自分の生き方との間に齟齬があるんじゃないか?と思い始めて辛くなってきた時期があったのです。
それで人にも相談したことがあったのですが、いい意味で距離を置くというのか、書きたくなったときに書けばいいんだし、止めてしまうと言うよりも、とりあえずただそこに残しておけば?というアドバイスで気軽になって。やはりいつのまにか性懲りも無くここに至る、と。
何か本筋から離れた告白調になってしまいましたが、ブログにしても。里中真智子さんが云ってましたが、ブログは書く側も自由、だがとりあえず責任はまず現実的には問われない。(例えば法的に、とか)。それに比べれば放送は現実的な責任が明確に伴う。
1回目のアメリカのドキュメントは選挙で共和・民主ともども、「ブロガー」が動員されているそう。この前ここでアップした記事にあるように、あの記事に虚偽がなければ日本にもそんな潮流は深層部であるみたいだ。
僕の書き込みを読んでくださっている極く少数の方はおそらく理解してくれると思いますが、僕が一番神経質になりやすいのはそういったところ。
カッコつけるわけでなく、ぜんぜん若かった頃、大きな失敗もしているから。政治信条もないではないが、そういう場に入ると呑まれる危険というものはあり、やはり凄く注意しなければならない。
とくに一日にかなりの人が覗きに来るブログは。特に楽しく、ノンポリ性に惹かれてやってくるようなブログをやっている人は。そういうことも認識しておいたほうがいいよ、と思う。
最後に、僕が現実認識が全く遅れていたなぁと思ったのは、すでにブロードバンドを引いているが2千百万人にも上るという話。
このブログが最近アクセスが伸びているのはもしかしてYouTube画像に惹かれて?と思ってはいたのですが、まさかこんなにブロードバンドが普及しているのだとは知りませんでした。なるほど、納得の話です。
ですからしばらくすると、今までに戻るのは間違いない(笑)。
いや、実はやはりブログをやってると、真っ正直に書くと、アクセス数というのは気になるものなんですよ、やっぱり。
これ、「好きに書く」とは裏腹の関係にありまして。一昨年は毎日のように書いていて、「これは自己満足に過ぎず!」と知りつつも、1日10アクセスくらいとかだと寂しさもどこかふわりと沸いてくる、というのは否定しがたい事実としてあったんですよね。
だからカネになると同時に、数字に表れる視聴率というものにこだわるマスコミの気分も分からないではない、ような。。。
ですから、仮に20人ちょっとくらい(その中に自分自身も含まれる)が巡回でも毎日訪れてくれる人がいるというのは本当に有難い話だし、同時に(時には)、本物の自分自身との自己ギャップがキツイときもあった。これは事実です。
ぶっちゃけ、そういうのはこれからも周期的に訪れることはあるでしょうし、今後も現実社会との関係の変化でどうなるかは分かりませんが、やはりこれを置いておいて、思いが湧いたときには書く、で、「責任をとらないことの後ろめたさ」は心にちゃんと残して置く、というのは最低限大事な気がします。
何だか結局自分のことを書いていますが。いや、自分のために書いているのですね。
放送記念特集を見て、いろんな連想が湧いてきたので、推敲せずに書き連ねて見ました。
メディアの人たちも大人の条件でいろいろと大変でしょうが、「商売欲」に足をとられず、元来、「良きわが身の業」として持っているのであろう「表現欲」のために研鑚し、良い番組作りのために戦って欲しいです。
(今日の主張、終わりw)
PS。僕はその時代のことは知らないんだけど、YouTubeも、いわゆるMP3のシェアサイトと同じような問題に直面するかな。確かに著作権上は黒だろうけど、それをシェアする意識はピュアなものだと思うんだけど。ただ、「それは自分じゃない」(その作品を作ったアーテストたち-映像作家を含む-のものだ、ということ)は当然厳しく意識しておきます。