アメリカのタワレコを運営している会社が倒産したそうな。
日本のタワレコは良く分からないけど、その余波は受けない、大丈夫とのことらしいけど。(道内、というか札幌では洋楽CD販売店としてタワレコの存在感は大きい)。
アメリカではI-Tuneなどの音楽の聴き方の変化の余波を受けたあおりらしい。
CDは売れなくなっている?
まぁ、CD自体、CD販売店ではなく、一般量販店がシェアを占めているのが米国らしいけれど。
日本もCDの売上は落ちているらしい。
ネット販売でアーティストの1曲だけが買われるような構造に音楽市場がなるのか?
僕は日本ではまだ疑問があるのだけど。。。どうかは分からない。
一枚のアルバム(これにはCDと、CDメディア前のLPも含めよう)として、ミュージシャンの作品をアーティステックに聴くと言う行為は終わりつつ。。。いや、変わりつつあるのか?
この種のことは有無にかかわらず現実が先に進行するものだけど、思考の方面ではどうなっていくのか、分からんなあという感じ。
少なくとも個人的にはその方向には行きようがないし、一般にそのような世界が定着するのもわからない、というか古い世代として納得がいきがたいというのが本音なのだ。
それでも、音楽を聴く方法論そのものが変われば。。。そのときは何ともいえない。
これはアルバムがLP時代からだった頃のことからつい考えたくなってしまう事柄だ。LPに潜んだジャケットも含んだアート性なども含め。
CDが古いメディアになるのかはわからない。しかし、ミュージシャンの作品を一枚のアルバムとして聞くのは変わらない、と思いたいのだが。世界観って、一枚の作品の中にある多面性を受け入れて成立するものだと思うしね。それが按配として奇跡的に(といったら大げさだけど)完成度高く配置されたとき、「名盤」と呼ばれると思うのだが。
配信による1曲が受容されてその1曲たちがシャッフルされるとき、「名盤」も死ぬときか?いやいや、それは考えすぎか。方法が使い分けられるということか。
何故なら、こうつらつら書いていながら、いまメディア・プレイヤーに落として自分で作ったセレクトの音楽をコンピュータで聴きながらそれをしているのだ。
しかし、コンピュータの古さのせいで、時々音が飛ぶ。そんな具体的な事柄もあり、いま音楽配信は自分には全くリアリティがない。
だが、1500円のミニスピーカーをとりつけただけで格段に音が良くなった。
どっちなんだ?(笑)
つまり自分の生理的欲望と、長期的にどうなるのかなと危惧してみたい欲望とに分裂している自分、というところだ。
※これ、昨日自分のホームページに書いたことを加筆削除して転載したものです。
LP自体のミュージシャン側の作るドラマ効果から(例えば「サージェント・ペパー」のA面からB面、「アビー・ロード」のA面からB面の変化の効果)、受け手主体化への変化が起きつつあるかなと思ったり。後、実際問題、高いCDを買うよりは、コストをかけずに好きな曲を選択していくというリアルな要請もあるかと思ったり。音楽は好きだけど1枚の作品は高い。それはどこか冒険的要素が付きまとうというのはあるからねぇ。
う〜ん。しかし、買って失敗だったという悔しさも含めてあることで、とか云って見たい気がしても。それは「ハマッちゃっている」人間の理屈にしかならないか〜。
もひとつついでに。俺が洋楽のアルバムを買い始めた頃って、実はもっと産業自体が小さかった気がする。怪しい巣窟みたいな輸入盤屋に通うのが多かったし。どっか不健全な意識抱いてたしw。洋楽のシェアは2000年頃からそんなに変わってない気がする。むしろ売れなくなっているのは邦楽か。。。棒グラフ的には。(資料:北海道新聞)