このところネタにも使わせて戴いたレコード・コレクターズ誌のビートルズのベスト50曲(赤の時代・青の時代)。続いて今月号では何と、彼らのソロでベスト50曲を紹介するという企画。流石にここまでやるとは思わなかった(笑)。まぁ、ネタ的にもさすがにこれは難しいんじゃないの?と思いましたが。
金が無いので、現在立ち読みの段階です。ソロともなればメンバーの個性も明確になってきて好き嫌いも出てくるだろうし、ジョン・レノンの神格化、ジョージ・ハリソンのソロ・ミュージシャンとしての充実、ポールの息の長いメロディ・メイカーとしての才気、と。選曲そのものも果ての無いものになるだろうし、無謀じゃないかしら。。。これが素朴な印象です。
そんなことを考えつつ、立ち読みする中、読者の声にもありました。内容はストレートに”またビートルズですか?”という趣旨。これはソロ特集することに対してではなく、「青の時代のベスト50曲企画」に対する感想ですが。これはある意味説得力感じましたし、うなずけないこともありません。このビートルズ前期・後期のベスト50、合わせて100曲の企画は以下の懸念を(おそらくマニアックなロックファンを中心に)抱かせているように思うのです。
一。ビートルズという最終兵器(ロックとして、そしてロックが築いた偉大な歴史の象徴として)をネタにするのは雑誌として自殺行為なんじゃないのか。特にレコードコレクターズというマニアな雑誌がそれをするのは雑誌として如何か?大丈夫なのか。
二。ビートルズの曲を順位としてつけることが出来るのか。ファンの立場ならば納得できぬ。
三。一に付随するけれど、このまま最終兵器のビートルズベスト曲をするなら、例えば次はストーンズのベスト曲、ザ・フーの、キンクスの、と際限なく同じ企画を続けるしかないのではないか?
僕は洋楽の長い歴史から考えればとてもマニアとはいえないし、ロックの黄金期のミュージシャンのその多くは未聴ですし、知っている分野は70年代パンク以後から80年代の洋楽です。それも英国中心。ですからこの雑誌自体滅多に購入するわけではないし、好きでかかさず立ち読みしているのはカメラマン、ノーマン・シーフのフォト・エッセイだけです。
でも、昨年辺りから10年単位で「この時代のアルバム100枚」とかの企画物が増えているのは事実。だからロックの切り取りにおける企画が一つのピーク、企画枯れしているのかな、という感じは正直もっています。とはいえ、リアルタイムの音楽と過去を繋ぐ作業もこの雑誌としては苦手な分野でしょう。もしかしたら、今後真面目な話、「ストーンズベスト100」みたいな企画も立てる予定なのかもしれない。
少々、この状況ってどうなんだろうな、という感じが僕にはあります。リアルタイムのロック/ポップを聴く世代と、その親とまではいかなくとも、叔父や叔母の世代が聴くものとの間にギャップがあり、その溝が埋まらないとしたら少し不幸かな、と。
まぁ私ごときが懸念してみても詮無いことなのですが。
で、批判とはいかなくても多少距離を置いた醒めた感想を持ちつつ、結局この企画にまた少し乗っかってみようかと。調子に乗って僕も考えてみました。それはソロベスト20曲とかではなく、彼らのソロ曲をビートルズ名義として1枚のアルバムにしてみたらどうか?という編集の遊びです。結構前から頭の中で暇なときに考えてみるフリをしてみたのですが、この企画を機会に今までと同じく”現在の感覚”で。LPアルバムとして、と考えてみることにしました。
企画に最終兵器を持ってきているので、この雑誌、今後の玉は大丈夫?という余計なお世話を思うと同時に、こういう企画を機会にまた改めてビートルズや彼らのソロ(といってもポールはベスト盤のみ。ジョージのソロはLPをほとんど売っているので彼も手元にあるのはベスト盤。リンゴに至ってはマイスペでしか聴いていないけど)。それでもそれらを聴いて、やはりビートルズというのは偉大な才能が集まったとんでもなく稀有なグループだったと再確認。リバプールが生んだ奇跡ですね。