小泉元首相が政界引退だそうな。
これから騒ぎがしばらき続き、憶測を沢山呼ぶんだろうな。
大騒ぎが続くのか、もうそうでもないのか。それは予測できないけど。
ただ、「なぜ」の憶測は続くのだろうと思う。
僕はいわゆる、小泉・竹中構造改革・規制緩和路線に批判的、どころか(こう書く自分のホンネが自分でイヤだが)時には「憎悪」の気持ちさえ持っている。(嗚呼、書いてしまった...)。
そんな自分としては、この話題を話題にしないことが社会的人間としての良心的な立場だろうと思うが、やはり取り上げたくなってしまう。
ということは。
その意味で特別なタレント性があったし、人を惹きつける魔力があったのは確かだったということ。これは認めざるを得ない。
ポピュリズムと、その大衆の陶酔に苛立ちと絶望を感じながら、そして非論理性に憤りながら、その人気のあり過ぎの不思議さと同時に、その理由がどこか判るところもあって、そんな個人的には居心地の悪い小泉時代はいつもどこか不安感を感じさせられるものだ。
世間で言うタレントのほとんどが「アイドル」に過ぎないという伝で言えば、間違いなく政界において際立って「タレント」性があったのだ。やはりこの人には。
マスメディアとネットが連動する形で政治家は好感度のある露出、あるいは感情を喚起する露出をしなければならないという流れを決定的にしたのは小泉の時代から、といって間違いないだろう。そしてその流れは不可逆的だ。そう、メディア変容とも接点がある。
タレント性をポップミュージックやロックの中に見て、現実の政治家はあくまでも現実的なものとしてきちんと感受する。その姿勢を堅持しなければ、と強く自分に動機づけさせるきっかけになったのも小泉氏のおかげと云える。反面教師である。
話は飛ぶけど、王さんの引退会見や、球場での引退声明は本当に見事だ。こんな風に書くと古臭いセンスだと思われるかもしれないけれど。「男の中の男だな!」と思う。
小泉さんは自分の首相時代を王さんのように自己総括など絶対にしないだろう。
あの人はいつも、「敵が自分には居る」と言って上手く煽動してきた人なのだから。。。
この”仮想敵思想”は間違いなく僕の中にも無意識のうちにきっとあるわけで。だって小泉さんをそれこそ敵視してたかのような、この文章だからね。。。この点も反面教師にしなければなぁ。。。
いずれにせよ、引き際の美しさは近年、王さんほど爽やかなものはない。