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2009/9/30
「お疲れ様です、ストレンジ音楽です。」
music(UK)
この9月は忙しかったのでした。また、気温のアップダウンが激しい月でした。最近は政権の動きも興味深く(笑)、なかなかこちらに新しい記事が書けなくて。。。申し訳ないです。
実は最近日本ではまずほとんど知られていないアメリカのミュージシャンで、これは本当に才能があるぞと思うミュージシャンがいるのですが、何しろ情報収集能力がなくて(語学上の問題です)、書くのに準備段階のままです。
今日はお疲れ様の中で、勝手に自分の中にある原始的な心象を出しちゃいたいな、という極めてプライベートな記事です(苦笑)。The FallとMekons。共に70年代末から活動している奇妙な音楽集団。前者はマーク・E・スミスという典型的な英国偏屈頑固者のリーダーシップで今も活動を続けている、英国オルタナティヴロック界の闇の帝王?(笑)、片やメイコンズは非常に匿名性が高い、一種音楽集団コミューンのイメージが強いグループです。そう、クラスというハードコアなパンクバンドがあったのですが、その人たちは本当にコミューンみたいな生活をしながら音楽活動をしていた。それに近い印象のあるグループです。リーズ出身で、初期はギャング・オブ・フォーなどと一緒のインディ・レーベルに参加しており、当時「リーズ・サウンド」とも呼ばれたハードエッジなギターを中心にしたサウンドがけたたましいノリでしたが、現在はアメリカにわたったりもして、オルタナ・カントリー路線をつきすすむ。しかも「カントリー・パンク」としか言いようの無い独自路線を開いているようです。
まぁ、率直にいうと後者の動きは詳しくなかったんですけど。最近、にわかに興味が出てきた人たちのひとつ。
まずはザ・フォールの初期のサウンドから。ボーカルに明らかにジョニー・ロットンの影響が。噛み付くような疾走感が個人的には心地よい。
次はメイコンズ。今でもこの曲で彼らのファンは盛り上がる様子。彼らのアンセム・ソングになっているみたいですね。
続けてまた。奇矯で不穏なザ・フォールの世界をどうぞ。
メイコンズの今。パンクとカントリーの融合というか、何というか。だいぶ洗練されておりまして、女性ボーカルの曲ではかなり親しみやすいものもあります。
メイコンズのマイ・スペース。
http://www.myspace.com/mekons
本日は実は私のプリミティヴな音楽好みを顕にしてしまった、という感じでございます。幼児性の発露。(苦笑)
投稿者: アートケーブル
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2009/9/22
「ジョー・ストラマーが地元紙の記事に。」
music(UK)
この話はもう、丁度一月前のもので記事にするのが延び延びになってしまったのですが。
地元、北海道新聞の朝刊コラムに『朝の食卓』というものがありまして。一般市民の方が書いているのですが、とはいえ、一般市民といっても誰でも、というわけではないわけで。それなりに選択された人が書いているわけですね。職業的な部分でもユニークであったりとか。まぁ、そういう意味では一般市民オピニオンリーダーみたいな方々でしょうか。そのような人たちが毎日分担して書いています。
それなりに読んでいるのですが、たまたま見た8月21日の記事のタイトルが「ジョー・ストラマー」と来たのには結構のけぞりましたね(笑)。ロンドンパンクの勇なれど、僕の中ではこのマジョリティ社会ではオリジナル・パンクスは完全にアウトサイダー。ロックマニア以外には無視される宿命を背負っているものだと思ってたんですけど。
その人は8月21日日がストラマーの誕生日だという紹介から書かれていて。そうか、命日は記憶しているけど、彼の誕生日は記憶になかったなぁ。名前を知らなくても、イギリスの伝説的なロックバンド「ザ・クラッシュ」のボーカリストといえば、思い当たる人もいるかもしれない。と書かれていて。私は道新を読んでいる読者が、しかも朝刊のコラムを読んでいるような読者が「ザ・クラッシュ」さえ思い当たる人がいるのかしらん?と正直思ったな。いやそうじゃない、いるよ。分かるよ、知っているよ。とうなづく人が多数いるとしたらば、それはいや〜幸せ。感慨深い。時代は変化したんだな。(笑)
このかたは特に彼の自伝映画の中で、ジョーが再びバンドで音楽活動に本気で向き合い始めたメスカレロスのライヴの呼び込みを自分でやっている風景を見て、「ほんの少しでも彼のことを知っている人なら、あのジョー・ストラマーがビラ配りなんて」と信じられないような光景だと書かれておられる。
でも、メスカレロスで再活動を始めたジョーの立ち位置って、まさにそんな感じだったんだよね。クラッシュで燃え尽きた、って感じもあったしね。それだけ徹底的だったのがクラッシュの活動だったし、ザ・ジャムと好対照なほど、クラッシュにこだわり、失敗し、一番傷ついたのもジョー自身だったはずだから。それにクラッシュにおいて詩人としての力量はそれはもうロックの世界でも有数の詩人だと思うし、切迫感あるボーカリストだけれども、やはり曲作りとアレンジャーとしてのミック・ジョーンズ。そのパートナーシップがあってのジョーの本領だよなぁというのが僕自身もあったから。正直な話、メスカレロスで活動再開したジョーの動きにも鈍感な自分だったのでした。
しかし、このコラムニストの方は続けて「彼はとても楽しそうに道行く人に声をかけ、ビラを配っていた」と書いている通りで。やはりザ・クラッシュのバンドの立場って一貫とした特攻的なスタイルと非常に高いメッセージ性があり、
これ程のステージをやっていたのだから
、確かに一度はジョーは燃え尽きたろうし、落ち着いてからも方向性は見出せなかったんだと思う。遅れてきたヒッピーだった人だし、あえて「パンク」になると決意して退路をたち、だからこそ「パンク」の定義にこだわった人だっただけに。背負った荷をどう降ろしたらいいかということに15年以上かかったのも分かる。それだけシリアスになってしまったバンドのリーダーだったんですよね。
だから、この映像にあるとおり、またコラムにあるとおり、本当にリラックスしている。そして彼の地がきっとこれで、彼の気質がとてもオープンなものなんだって再認識しました。(映画では一部分しか出てこないもので。この映像のように3分弱のものは初めて見ました)音楽への強い信念を持つ中年ロックンローラーというのは、こういう姿が本物なのだろうな、素晴らしいなと思う。
同時に、ライヴはこのように若くて熱いし、クラッシュの面影を残すカリスマ性が垣間見えます。
偶像崇拝否定のパンクの雄が新たに偶像になるのは皮肉だけど、ジョーの場合は本当に庶民的。ジョン・レノンだってファーストアルバムの「GOD」という曲で聞き手に「幻想を捨てるべきだ、偶像崇拝はやめるべきだ」と唄いながら、やはり偶像崇拝化されてしまっている。まぁぼくらは弱いから、あれです。同行二人の弘法大師杖みたいなものかも。で、やっぱりこのレジェンド映像を見ても、格好いいという素朴な感情と、ロックにこれ程真剣さを持ち込んでいる姿を見ると「ジョーよ〜」(丹下段平風にw)と云いたくなるのよね。
このレジェンド映像で唄っているのはボブ・マーリーの曲のカバー「リデムプション・ソング」。俺が歌ってきたのは自由の歌、救いのための歌だった、というもの。
コラムを書いてくれた人に感謝です。登別で塾講師をされている方です。
投稿者: アートケーブル
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2009/9/16
「新政権発足」
society
今日は平日休でして。
午後の3時過ぎくらいからまたもや(苦笑)惰眠を貪っておりましたら、午後5時過ぎに下の階で何やらテレビの報道記者らしきレポーターが大騒ぎしておる。
今日は鳩山新総理が決まったことだし、とはいえ何か慌しいフンイキで何か事件が起きたか、スワ、政治的な事件?アクシンデト?と。
本当のところはそんなに慌てず(笑)あくびしながら下の階に下りたら、何のことはない。
ノリピーのダンナが保釈されたという話。そのレポート。阿呆らしい。
人には恥ずかしくて語れないんだけど、一体全体、なぜこんなにのりピーが馬鹿みたいに騒がれ続けるのかさっぱり判らない。
誰かこのことの意味や「答え」を教えてくれませんか?
皆さん、のりピーさんに興味ありますか?一般的にはあるんでしょうかね?全くドラマで彼女を見たことがないのでさっぱり判らない。これが実は私自身の世間的な非常識なんじゃないのか?と自分自身を疑っているので、外では口をつぐんでいるのですが。
意外と、世の中にはそのようなことってありますね。何故こんな大騒ぎがマスコミでされているのか判らないけど、誰も「なぜ?」とはいわない。そんなようなこと。
これが世間ぞ、と自分で自分を納得させようとするけど、同時にちっとも納得してない自分もココロの中にしっかり住んでいるんだよね。
前置きはともかく、鳩山民主党新政権が誕生しました。統治のシステムが変わることと、生活にかかわる問題のベーシックな解決(社会保障と雇用問題)を私は注目しているけれど、まずは好感が持てるのは鳩山氏が首相に任命された後、数多くの「小沢チルドレン」たちを含め、すなわち一年生議員たちを含めて全員一人ひとり腰を低くして握手するその姿。ああ、この人はこのような態度が姿勢が身についているんだなぁと。やはりそのような姿が演技でなく内面からあるように思え、好感が持てました。
それからその後の記者会見も、今まで記者クラブ(内閣記者会)が仕切っていた内輪の閉鎖性を要請で週刊誌記者や外人記者たちにも開放したこと。そして、初っ端の記者会見にも今までの総理に比較すると、僕の感覚ではそれなりに厳しい質問が飛んでも、誠実にそつなく答えていたこと。仕切りが「ではこれで」というのをさえぎり、もう一人の質問者にも質問させ、それが自分自身の故人献金問題の質問であっても、何とかあの場面に関しては答えていた。
これからは記者会見も首相とはいえシビアな質問をどんどんすべきだし、またそれに応えようとする新首相の気概はいまのところ感じられました。
このような態度を崩すことなく、裏切ることなく(小泉さんは一番最初、ハンセン病患者さんの救済で喝采を受けたところから始まって、そこから僕にいわせれば裏切られ続けた、と思っています。)清新な政治をやって欲しい。
まぁ、政治に多大な幻想を持つほど若くもないんで(苦笑)、格別な期待感を持っているわけでもないけど、ここだけは変わって本当に良かったとか、ベストではないけど、あるいはベターともいえないけれど、とりあえず「安心な世の中に持っていくべく努力しているな」と思える政治をやってほしいです。
以上です(笑)。
投稿者: アートケーブル
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2009/9/10
「ビル・ライダー・ジョーンズ(ex:ザ・コーラル)」
music(UK)
僕が今世紀に入ってデビューしたバンドで最も好きだというか、応援したいバンドであるザ・コーラル。そのコーラルを抜けたリードギタリスト、ビル・ライダー・ジョーンズ。初期の無意識に抑えられていた野生を活性化するような彼らの自由なサウンドを支えた要の一人であり、最新作アルバムでアメリカン・ルーツ的な要素も含んだオーセンテックなサウンドに変化した中、より一層彼のギターの味が冴えを見せていただけに、彼の抜けた穴は大変に大きいと思っています。
いまザ・コーラルは目立った活動の声が聞こえてきませんが、もちろんリーダーでコンポーザーのボーカリスト(ごめんなさい、今、名前を失念)の役割が最重要なのだけど、やはりビル・ライダー・ジョーンズの抜けた穴は大きく、バンドとしての音をいま模索している状態なのかな?と憶測しています。コーラル、頑張って欲しいし、ビルも頑張れ、ということで実は忘れていたのだけど、マイスペにフレリクを出していて。フレンド仲間も共通項が多いのですが、これがどえらく内省的なサウンドでして。。。
http://www.myspace.com/billryderjones
何だろうね?
思い切り古い例を挙げて申し訳ないけれど、ジョン・ライドンの初期PILの音楽ディレクションを手がけていたギタリスト、キース・レヴィンのソロ(というか、脱退前にジョンとの作業の途中で首になった時のデモテープを海賊盤にして出したもの)、あるいはザ・ヴァーヴの特徴を作り出すリードギタリスト(ごめん、こちらも名前を失念です)。みんなバンドではそのセンスによって才気あるボーカリストを盛り上げる役目を果たしているキーマンなんだけど、不思議とソロになると地味目だったり、前衛的だったり、内省的だったりするようですね。
彼らの「これがしたい!」という音楽愛の成果を考えるならば、良し悪しの評価は出来る話ではないのですが、バンドにおけるギタリストの資質とか、バンドを離れたギタリストがソロやフロントマンになる時って、かなり人気バンドの存在イメージと違ってきたりするのかもしれないですね。特に音楽的志向に関しては、フロントマンになりやすいボーカリストや他のバンドマンたちと違ってくる傾向があるのかも?
やはり聞き手としては、一番幸せな瞬間は才気あるボーカリスト&コンポーザーと、同じく才気あるギタリスト(場合により作曲兼ねる)がともにずっと仕事を続けていく。それなんでしょうね。
例えばU2。ボノとエッジの関係が理想的なんだろうな。エッジという人は抑制的というか、いい意味でエゴが少なそうな感じの人だし。(最後は蛇足気味になってしまいました。)
ビル・ライダー・ジョーンズのコーラルでの最後のお仕事作品でのPV&ラジオスタジオライヴです。
投稿者: アートケーブル
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2009/9/6
「民主党を巡る批評家たちの戸惑い」
society
政権を握った民主党に対し、それほどには熱狂的な喜びが一般レベルにはない。
かといって、テレビ言説等々からわかりやすく伝えられる「自民党へのおしおき」程度のものだとはとてもとても、思えない。なぜなら、自民党にはすでに来年の参議院で復活できるほどの自力が残っていないからだ。
もし、おしおき気分で投票した人たちがいたら、この現実を知り、おおいな戸惑いを感じることとなる。
実はそれ以上に戸惑っているのはマスメディアレベルにおける政治批評家、政治観察者、学者、もっとレベルがさがって政治部記者なのだ。
彼らは、彼らがイメージするそのレベルにおいて、おのおの自分が考える(もしかしたら幻影の)民主党のイメージを抱いて自分の懸念を伝えている。
僕はもはや民放テレビは見放している。ゆえに週末からCSのジャーナル番組を見ているのだが、彼らの多くは民主党に心底では勝ってもらいたいと思いながら、イザ政権を握ると自らの考える民主党のイメージから不安を感じている。あるものは有権者の意識のレベルから。あるものは民主党の政策イメージから。あるものは民主党の統治システムに対して。
当の民主党の主体者たち(政権運営者たち)にとっては、そのような声に逆に、戸惑いを感じているだろうか。あるいは彼らが相当な構想力があり、絵図が描けているならば「こいつら何を言っているのか。実は何も分かってなかったのだな」と苦笑しているだろうか。
後者である、というのはほぼ想像しにくいことだけれども。(笑)。
また後者であるならば、それはドラマとしては大変に面白いけれど。
なにしろ、「識者」と云われる人たちの一斉の懸念、その懸念のバラバラぶりは彼らの期待と民主党という政党への思い込みの違いがあらわになっていている。それが変な話、面白い。個々個別の民主党期待イメージの違い、そこからくる期待と不安。
投票した国民も妙に醒めている部分があるわけで、それらを考えるとオバマを熱狂的に迎えた米国と違い、醒めて政治を眺める日本人の慎重さと政治人への疑いの深さは、もはや政治に対してもろ手上げをしなくなったという意味で、健全なのかもしれない。それでも変化は確実に起きるだろう。そしてその変化がAという人とBという人の利益相反になるかもしれないけれど。
まぁ、結局は過剰な期待を寄せながら一番とまどっているのは、政治関心が強い連中だったということがバレたということなのかもしれない。(そこにはおそらく自分も含まれるのだろうw)。
投稿者: アートケーブル
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