昨日は久しぶりに市内の中心に面する大通り公園の中を歩いて帰ってきました。
冬名物のホワイト・イルミネーションを見ながら。
伝え聞いたところだと、ミュンヘン・クリスマス市というのも始まっているよ、という職場の先輩の話で。そちらも覗いてきました。テレビが取材に来ていました。ちょっとした広場の形態になっていて。クリスマスの手作り感覚のアクセサリーなども見ていてなかなか楽しい。心和みます。それから、地下に大通りから地下鉄バスセンター駅というところまで広いコンコースがある。そこが最近ずっとアマチュア・アーティストたちの作品が展示されています。こういう自由度が許容され始めたのはいいことだな、何だかんだ言っても。こちらも長い単調なコンコースを歩くよりはずっと楽しいものです。みんないろいろアイデアがあるし。完成度よりも、その溢れるアイデアや感情が好きだな。デジカメで写真を貼れたらいいのだけど、写す技術が上手い人は山ほどいるから。。。それに携帯でカメラを写すことも出来ないし、携帯で写真を撮るのって、どうも抵抗があるんです。
ところでね。
本当は淋しく広い地下のコンコースなどを素人芸術で溢れかえらせるとか、そういうのが作者と僕ら無料の受容者の心を和ませたり、弾ませたりするんじゃないのかな。
景気対策も重要だし、実体経済を守るための手立ても必要だけど、ただ芸無くお金を個別にばらまくよりも、このような市井の「表現の場」を求める人たちと、うらぶれた街角や淋しい地下コンコースをドッキングさせて、せめて華やかに飾るとかしたりするのがいいと思わない?もちろん無駄な電力は使わずにね。絵を展示するだけでもいい。そういうセンスやアイデアはお金をそんなにかけなくてもあるんじゃないかと思う。2兆円を使うならば、自治体病院の累積赤字を補てんするのが一番、といま僕は思っているんですけど、各自治体の美術館や博物館の常設展示を一挙に半額にするくらいのこともあってもいいんじゃないかとも思う。経済の落ち込みを文化でいっときでも和ませられないか。
昨日は雪も完全に溶けたんで、ゆっくり物思いを楽しみながら帰宅しました。
実は職を10月から変えていまして、何とか今の事務的仕事にやっと慣れ始めたところです。こちらも契約社員ですから、最初の契約では来年は分からないことが気がかりでしたが、先日予想より早く契約延長が決まってほっとしたところ。来年もいつまで就労できるかは仕事の進捗状況や、残務量が分からないから何ともいえないけれども。ただ、どうも見たところなかなか終わりが見えないし、部署変更もありえるので何とも言えない。この職場の全体状況が見えないというのが、契約社員で途中から入ったものの感ずる漠然とした不安ですね。土日祝日が完全休日なのが必要以上の仕事をしたくない怠け者の自分にはありがたいことですが、もちろん給料は薄給です。とても同世代でまともに働いている連中と比較にならない。それでも、これから厳しい立場におかれるであろう人たちのことを思えば、幸いいま仕事があるのは感謝しなければいけません。仕事も客観データを見ながらも自分で判断する余地もあるし、判断に迷う過程で上司に相談し、勉強になるところもある。それが今までと違って少し嬉しいところ。
もちろん経済的に家庭を持つことなど出来ないけれど、これはまぁ、前から自分の中で考えがあっての結果であり、それで満足かといわれると答えは難しいけれど、それでも僕みたいな人間が家族を持ち、家族を路頭に迷わせるような状況は何としても避けたいというのが、もう一つの自分のホンネなのでもあります。
昔のように生命保険会社の人がいうようなライフプランみたいなものが立てられるのが不思議な時代になり、僕みたいなシュールな発想のマイノリティによるやせ我慢が普通のものとなりつつある時代が来るとはさすがに想像できなかった。これは本当です。
僕の心理には二重構造がありまして、どこまで出来るかはわからないけれど、老いた両親を看取るのが自分の仕事になるだろうなぁということが一つで、最近はずっと老いや時によると死のこと、これらはあくまで観念的ですが考える傾向が強まっていることと、逆に先に2回記事にした爆笑問題の太田や、未来ある有名大学の学生たちの未来志向の夢に強く憧れる部分とがその時々の感情により錯綜しています。老いと若さの両面に対する意識化、ですかね。
ある意味宙ぶらりんの自由と社会的役割からの逃走をしている自分がありつつも、社会に対する思いもどっか結構ある。その両面性はしばらくケリが尽きませんが、おそらく僕の志向からして、どこかに落ちつかないと耐えられないんじゃないかという気はしています。まぁ余り生臭い話はブログに似合わないですが、生活洗い直しすることを求められる時は遠くない。そういう気はしてます。そもそも親と暮らしているから、住まいと食は安心していられる。いや、本当に最近はこの住まいがあることがどれだけ有難いことか、としみじみ思います。
でもこんなことを吐き出せるとは良い時代です。読み手が減るであろうことは仕方がないですが。
そんなわけで迷いはいっぱいですが、正直言うと、しばらくの失業期間に比べればまだしもです。総計で50社くらい履歴書を送りましたかね?そのことごとくが返送される日々が続くと、半分くらいは送りつつも仕事出来るかな?という不安があった会社も含め、「本当に自分は社会に必要とされてないんじゃないか?」って真剣に悩みますよ。 最近のペットテロだの秋葉原無差別殺傷だのの論理的飛躍はさっぱり分かりませんが、過程の中における悩みと不安はどこか分かるところがあるものですよ。そして、普通のきちんとした人でも仕事などが不安定な状態にある多くの人にとって共有できる意識なのではないかな。
僕が本当に理想的な社会だと思う政治であれば、使える緊急なお金でまず大々的に社会調査をすることを望みますね。そして社会学者や人文学者を招集して政策の小まめな手当ての方策を政府一体で取り組ませますね。それを野党を含めて協同して情報開示しあって基本的な認識一致を作ります。そこから政策の違いで論争すればいいじゃないですか。