母親とその一門。そして名取の方々との記念写真
22日は母親のお付き合いで長唄の演奏会撮影でした。実は母親は長唄の名取で弟子も十数人かいて、稽古で少しばかりの月謝で生活の足しにしています。母親は22歳頃から親からの勧めもあり長唄を習い始めていたそうで…と言うことで私も母親のお腹の中に居る頃から三味線の音色を聞いていた事になります。
実は母親の長唄の趣味があったからこそ、私の鉄ちゃんの趣味を理解してもらえ、学生時代から比較的自由に撮影に出掛ける事が出来たのだと思っています。まぁ、そうは言っても撮影ばかりして学業が疎かになり成績が落ちていく私を見かねて”今回の旅行が最後だからネ!”と言って私を送り出した事もありました。しかし世の中の母親に比べれば趣味にはきわめて寛大だったのは母親自身に趣味があったからだと思います。
幕が開く寸前の舞台裏です。緊張感が伝わってきます。右がで三味線を触っているのは三味線屋さんす。母親とは30数年来の付き合いで、頼りきっている存在だそうです。しかし、こんな場所に遠慮なく入れるのは主催者の息子と言う特権だと思いました。
そんな母親でも学校の成績が撮影回数に反比例して下がっていく状態が続く状態にさすがに頭にきたらしく声を荒げて怒り一時、鉄ちゃん禁止令が出たこともありました。しかし私が高校2年の時、父親(母親にとっては夫)が思いもかけない事で亡ってしまうと言う出来事がありました。母子家庭となり収入源が断たれて食費にも苦労する状態で母親は長唄のお稽古どころではなくなってしまいました。長唄は続けたいが親戚は”そんな道楽を続ける状態ではないはず”と言う冷たい眼に悩んだ様です。そして、長年仕えた師匠に相談した所”今辞めたら、何十年お稽古に通った苦労が無駄になってしまう。ここは歯を食いしばって続けなさい!”と忠告を受けたそうです。しかし現実の生活実態からお稽古どころではない事実に更に悩んだ末にある占い師に将来を占ってもらったそうです。
その占い師に家庭の事情を説明した上で相談するとその占い師が”あなたが長唄に情熱を注ぐと同じくらいにあなたの子供は、何か熱中している趣味がありませんか?そしてその趣味を母親であるあなたが制約していませんか?もし、そうならその趣味は好きなだけやらせてあげなさい。その趣味は30年後、40年後にきっと華が咲くだろうし、人生のプラスとなることは間違いないと思います”と言われたそうです。(実はこの逸話は私が30歳を過ぎた頃に初めて聞かされました。この事を初めて聞かされた時に母親が占いに行ったこと自体、私にはとても信じられませんでした。母親は通常の精神状態なら、けして占い等信じる人ではないのです。まぁそれだけ藁に縋る思いだったのでしょう!…占い師の所に行ったこと自体は当時は知る由もなく、当時は最近お袋は鉄チャンに行っても文句言わないなぁ!くらいにしか思っていませんでした…笑)
↑弦楽器を少しでも触った事のある人ならわかると思いますが、演奏会やコンサート前には良い音色を出すために弦(三味線は糸と言います)を新品に交換するのが常です。しかし、新しい弦は伸びやすく、更には切れる可能性も少なくありません。そのため三味線の演奏会では名取(プロ)またはそれに近い人が演奏する以外は舞台のすぐ後ろで音合わせの助っ人が待機します。写真は音合わせに失敗した瞬間ですが、女性が”もうダメ!”と思った瞬間にはすでに後ろから音の合った三味線が舞台に出されようとしています。
↓また、三味線を交換しないまでも、どうしても音が少しずれたのに直らない、または気がつかないと後ろから助っ人が音合わせをします。他人の弾いている弦楽器をチューニング(音合わせ)することは並大抵の音階能力。判断力がないと出来ません。まさにスゴ腕としか言うしかありません。
そんな事で私の鉄ちゃんと母親の長唄とは切っても切れない関係にある訳です。来年2月で80歳を迎える母親の一世一大の檜舞台に全面協力するのは、永年鉄ちゃんを理解して来てくれた恩返しの思いがあったからでした…とは言うものの12時間拘束の撮影はキツかったぁ
演奏会の後は100人以上が集まって打ち上げがあり私も息子と言うことでご挨拶をさせていただきました。ちなみに左にいるのは勝手に私の兄弟と名乗る人形町高級料亭”酒亭 きく家”の旦那です。