京急の撮影と言えば今も昔もこの北品川のカーブでしょう!現在はだいぶ様相が変わってしまいましたが撮影は可能です。この時代は冷房車はほとんどなく、都営乗入の列車も夏はエアーファンをぶん回していました。もちろん京急1000系も初期型ですのでコイルバネ車です。後ろに見える共同石油のロゴも懐かしく見えます。 78,10,30 京急品川−北品川 1000系 スキャナー : Nikon COOLSCAN WED
先日、退院後に母親と逢っていないので、久々に顔を見せようと人形町の実家に行って昼飯を一緒に食べてきました。食事が済んで帰宅しようと都営1号線人形町駅について、改札を通過しホームに降りて、すぐにやってきたのは京急新600型の三崎口行の快特でした。今までは定期券の券面区間をフルに利用するために新橋か品川で横須賀線(あるいは東海道線)に乗換えていたのですが、転勤後は定期券が区間外となってしまったためにその制約がなく(逆な言い方をすれば全区間マジ払いと言うことなんですが…泣)、たまたまやっ来た列車が京急直通だったので、そのまま京急で横浜駅まで乗っていく事にしました。この日はカメラも持たず丸腰状態で鉄気なしで車窓を眺めていると品川で地上に出ると予想していなかった光景が繰り広げられていました。それは京急線の各駅のホーム端に鉄ちゃんが鈴なりなのいるではありませんか…?
そういえば永年活躍した京急1000系もいよいよ引退と言う事を聞いていたので、それを撮るために、ホームにたむろしている鉄ちゃんだと言う事はすぐにわかりました。特に京浜川崎駅や京浜鶴見駅には溢れんばかりの鉄ちゃんがいたので、その時間帯に1000系の列車があったのでしょう。
私にとって京急と言えば窓が大きいのが魅力的だった230型とか気品溢れた600型の印象が強いように思えますが、実際に乗車したのは1000系が断トツだと思います。
実は人形町へは物心ついた頃から往復していました。現在の人形町には母が居住していますが、母方の祖父母が元気だった時代には祖父母が人形町に住んでいて祖父母に逢うたため、その往復には主に都営1号線を利用していました。その際には都営5000型や京成3000型がやって来る泉岳寺行や西馬込行を外して三崎口行を待つ程に京急1000系はお気に入りの”電車”だったのです。(ちなみに30年前の都営1号線の運用はかなり単純で子供でも行先を見れば、形式が予想できました…現在みたいに泉岳寺行に京急の車両が来るなんてあり得ませんでした。)
ただ、子供心であっても京急1000系を地下鉄区間だけで語る事は出来ない知っていました。京急1000系を乗り、語るなら京急区間に入ってからの”走り”と言う事は小学生でも充分に理解出来ました。現在みたいに高架化された区間などほとんどなく品川−平和島あたりや京浜川崎−横浜間での110キロ運転は関東では数少ない高速私鉄の名に恥じない走りでした。踏切で渡り切れない歩行者を目前に非常汽笛を連打して通過してみたり、トラックのお尻が踏切内に残って100キロからの非常制動を経験したりして、それは走りを楽しむと言うよりスリルを楽しみと言っても差し支え無いくらいのものでした。また、京急の拘りでもあった片開きのドアでありながら両開きとほぼ同じ幅を開閉するためのドアエンジンの速さも興味津々でした。
ラッシュ真っ只中に京急品川駅到着する京急1000系列車。この当時はラッシュ時といえども品川駅まで12連運転されてくる列車は限定され、他の列車は金沢文庫−神奈川新町間のみ12連でした。プリンスホテルイーストタワーがまだ建設中の姿に時代を感じます。 77,12,** 京急品川 京急1000系8連 スキャナー : Nikon COOLSCAN WED
永年、京浜急行の主力車種として活躍してきた京急1000系がいよいよ今月いっぱいで引退すると言う情報が入ってきます。明日(27日)には本線で臨時快特と特急が運転されるとの事ですが、やはり京急1000系と言えば凡用形式でありながらも、実は優等列車が似合う形式でもあっただけに品川側でま運転がないのは不満が残るものの、京急1000系にふさわしい臨時列車運転だと思われます。さらに派手なセレモニーやイベントヘッドマークを装着せずにかつて京急1000系が付けて走った種別板を掲げて走ると言うのはなんとも心憎い粋な計らいです。
1000形ありがとう運転
■運転日:2010(平成22年)6月27日(日)
■運転区間
金沢文庫11:49(2番線ホーム)→三浦海岸12:20 ※快特
三浦海岸14:04→京急久里浜14:13 ※特急
※出発式や特別なイベントは行なわない予定
※過去に使用していた種別(快特・特急)ヘッドマークを装着して運転
なお、京急1000系の定期運用は28日で終了との事です。最後の最後まで与えられた運用を黙々とこなす事が鉄道車両の使命です。最終運用の入区の時まで無事に運用をこなして欲しいものです。
最後に当たり前の言葉ですが京急1000系に”おつかれさま”と言う言葉を贈りたいと思います。
30年前だと弘明寺付近でもこんな写真が撮れました。快特は主に600型で運用され、旧特急車の500型が急行に充当されていた時代です。 78,04,09 京急弘明寺 1000系特急(非冷房) スキャナー : Nikon COOLSCAN WED