斜光線のおかげでタブレットの影が綺麗に車体に出ました。原色機だったらと思いましたが、それは贅沢というものですネ! 12,11,28 塩浜貨物駅 6287レ 07:29頃 Canon EOS7D
実は27〜28日と連休でした。27日に久留里線でキハ30を撮影しながら28日はどうしようか?考えていました。運用も良い事から2日連続で久留里線のキハ30の撮影も良いし、水郡線でC11の試運転も運転されます。被写体はいくつかあるのですが、それ以前に関東地方の28日の天候が芳しくない様です。それならば溜まった洗濯物の整理もありますし、掃除もしなくてはなりません。まだ年賀状の印刷も残っています。また週に1回以上の肝機能回復の注射も今週はまだしていません。”やはり28日は家にこもって家事雑用かなぁ?”と思っているところへリーベン車両K氏より「愛知機関区のDD51が13ヶ月ぶりに原色重連を組んでいます。さらに今回は元厚狭機関区の847号機と852号機でキャブの屋根に扇風機の凹凸が無いタイプで、この組み合わせは二度とないのではしょうか?」と何とも人の心を誘惑するメールが入ってきました。原則、原色のDD51しか撮影しない私ですのでこの情報は何とも心が揺れます。ただ運用を辿るとメイン列車となる5263レは塩浜貨物駅が08:16着で首都圏からの新幹線の下り一番列車である493A”ひかり493号”だとタッチの差でマニアいません。しかし車だと体力的に負担が大きいので迷います。
28日は湘南チサ區様と撮影をご一緒する予定でしたので、湘南チサ區様にこの情報を伝え彼の意向を尋ねたところ、すぐさメールが返ってきて「男は黙ってDD51でしょう!」と断崖絶壁に立っている私の背中を後押しするような答えが返ってきてきました。これで私の意志も四日市へ向かう事で固まりました。後は天候ですが、何とか午前中は青空が広がっていそうな予報です。まぁ〜天候は現地に着くまでわかりません。天を運に任せて出撃準備をして27日の22時過ぎには就寝しました。
湘南チサ區様が”調兵山の朝”と何度も言っていたのを意味が最初、わからなかったのですがこの陸橋をを見て言っているのが後でわかりました。 12,11,28 塩浜貨物駅 5263レ入換 08:57頃 Canon EOS7D
28日は02:30に起床して、身支度を整えて湘南チサ區様宅に向かいます。新幹線ならこんなに早く起きる必要はないのですが車だと単純な速度差以外に現地での通勤帯の渋滞も考慮しなければならず(四日市界隈の道路はかなり早い時刻から渋滞します。)余裕をかなりとることにしました。03:15の約束でしたが少し早く到着し、湘南チサ區様も用意が整っておりすぐに出発する事が出来ましました。
大井松田ICを4時前に通過。これで5割引の早朝・深夜割引になります。私の運転で新東名掛川PAまで、そこからは湘南チサ區様に運転を託し一路、四日市へ向かいます。掛川から私は助手席でジャンパーを頭から被って寝てしまいました。夜は沿線の街路灯が眩しいのもありますが、自宅から天気が悪いままの空が気になってしかたないからでした。うたた寝から起きると車は新東名から再び東名高速に進路を戻し岡崎IC辺りを走っていました。ここまで来ると東の方角の雲が切れて空が明るくなっているのがわかります。再びウトウトしているとすでに伊勢湾岸道路に入り木曽川を渡ろうとする所でした。さすがに上空は雲が消え、東の空は赤く染まりだし、今日の天気に期待が持てそうです。この天気の劇的変化は私達の想いではなく、リーベン車両K氏の熱意だと思えてなりません。彼は九州男児で全てに情熱をそそぎ注ぎます。鉄ちゃんへの情熱は当然として、お姉ちゃんに対しても誰にも負けないくらいに情熱的にマメに声を掛けます。彼は何に関しても熱い九州男児です(残念ながら仕事は一緒にしたことがないのでその積極性はわかりませんが?)。今回の情報も最初にDD51の原色重連の情報をメールで貰ってからも、その後もいろいろと何通かのフロォーのメールをくれるのも彼の情熱を知る一端を垣間見た気がしました。
本来なら伊勢湾岸道路みえ川越ICで降りなくてはならないところ、私も湘南チサ區様も中京地区の地理には疎いので、誤って四日市東ICまで行ってしまい二人で苦笑い。そんな遠回りしたにも関わらす現地となる塩浜貨物駅付近には予定より30分以上早く、7時前に到着する事が出来ました。まずは腹ごしらえと近くのすき家に飛び込んで朝食にありつきます。その後、塩浜貨物駅前に着くと寒い上にまだ時間があるにも関わらず、すでにリーベン車両K氏は肩から愛機Canon EOS−1vを下げて待機中でした。
まずは本命列車(5263レ)の前に6287レが到着します。この列車は不定期列車ですが長野県への燃料輸送と言う特殊性からこの時期は毎日運転されているとのことです。この列車の牽引機は更新機のDD51でしたのでタブレット返却光景を撮影します。その次はいよいよ本命の5263レてす。快晴の下、原色重連のDD51を待っていると、本当に原色重連がやって来るか不安になってきました・・・と言うのも26日〜27日にかけてJR貨物の機関車の一部で防護無線不具合見つかり、その対象に愛知機関区のDD51の一部が対象になっているからです。もし847号機と852号機がその対象になつていたら運用変更されている可能性があるからでした。後述談ではリーベン車両K氏も仲間内に情報を流してはみたものの、果たして順当に廻って原色重連が来るのかプレッシャーを感じていたとの事でした。
定刻に遠くからシールドビームの光が見えてきました。固唾を飲んでいると、どうやらDD51原色重連の様でまずは安心しました。到着後、入換作業を撮影しようと構内と併走する道路を駆け回っていると、情報を聞きつけていても絶ってもいられず、急遽新幹線に飛び乗ってやってきた現場長クラスの方の姿も見掛けましたが、果たして彼は仕事(会社)は大丈夫なんでしょうか?
待機中の原色重連のDD51の横を原色DD51の列車が到着します。10年前ならけして珍しい光景ではなかったと思いますが、今となっては奇跡に近いものがあります。 12,11,28 塩浜貨物駅 5271レ到着 09:32頃 Canon EOS7D
実はリーベン車両K氏の追加情報によると5263レの後続で到着する5271レもDD51の原色機かもしれないとのことで、期待して待っているとなんと5271レもDD51の原色機でやって来ました。現在、愛知機関区のDD51で稼動している原色機は5両で、その内の3両が塩浜貨物駅構内にいるという信じられない光景が目の前に繰り広げられ、DD51は北斗星牽引機以外は原色機しか撮影しない私とっては至極のひとときとなりました。
しかし、この光景も5282レが発車していってしまうと撮影は終わりです。まだ原色のDD51が1両いますが、原色が3両いた光景に比べて劣りますし、光線もそろそろ悪くなることから撤収する事にします。リーベン車両K氏はここで切り上げて帰宅との事で、今回の貴重な情報提供にお礼を申し上げて、我々二人は遠路を来たのでこのまま帰るのは忍びがたく天気が崩れるまで撮影を続ける事にしました。ちょうど時間も良い事から南四日市駅に移動する事にしました。南四日市駅では既にスイッチャーによる入換は到着しており、程なくして8085レも到着となんとも効率の良い撮影が出来ました。まぁ〜先ほどまで塩浜貨物駅で3両の原色がいたのですから8085レまで原色機を望むのは贅沢過ぎます。案の定、やってきたDD51は更新機てした。入換作業を撮ると言うより眺めた後、腹の虫も泣き出したので車を四日市の街中へと走らせました。国道1号線沿いには幾らでも飲食店はあるのに、街中には定食屋はおろかラーメン屋さえも見つけられませんでした。仕方なく場末(地域密着型?)の喫茶店を見つけ、そこで昼食を済ませました(桑名で宿泊した時も駅前で同じ様な経験をした記憶があります)。
前回訪れた時と違う機関車が動いていました。専用線で働いている方たちも大変にフレンドリーで先方から話しかけてきてくれる程でした。 12,11,28 太平洋セメント専用線 12:58頃 Canon EOS7D
まだまだ帰るには早すぎるし、天気の崩れも遅れているようでまだ青空も見えていることから四日市港の太平洋セメントの専用線で時間まで撮影する事にしま動きした。専用線の踏切に車を停めて満腹感でウトウトしていると入換作業がはじまり慌て撮影する事2回。13時と15時の入換作業を撮影して、天気も崩れ出したので本日の撮影を修了とします。23号線経由でみえ川越ICを15:50に通過。大井松田ICなり、秦野中井ICを20時以降に通過とならないと早朝・深夜割引(拡大)にならず、必然的に時間的に余裕が出来たおかげで、100k/h以下で走行が出来、さらに休憩もたっぷりとれます。新城PAで30分以上の仮眠が、更にはNEOPASA駿河湾沼津でゆっくり食事をする事が出来て、燃費も良く体力的にもだいぶ助かった気がします。秦野中井ICを20:06に通過し湘南チサ區様宅経由で自宅には21:05に到着する事が出来ました。
四日市日帰り往復とハードなスケジュールでしたが、帰路に余裕があったおかげで思ったより疲れを感じませんでしたが、何と言ってもDD51の原色3台並びが撮れれば多少の疲れも(空腹も)吹っ飛んだのが本音なのかも知れません。
四日市界隈は本当に奥が深い場所です。再訪を願って帰路につきました。 12,11,28 太平洋セメント専用線 13:39頃 Canon EOS7D