NHKラジオでは”東京は寒い朝で小雨も降ってます!”なんて放送されているなか、会津は寒いのは同じですが素晴らしい朝を迎えました。FORESTERの車載温度計は−4℃を示していました。鉄ちゃんにはこれくらいの気温が身が絞まってちょうど良いのでは??? 13,03,27 会津高田−根岸 423D 06:22頃 Canon EOS7D
28日と29日は連休でした。別に頼んで入れてもらった休みではなく年度末の休日調整の連休です。2月下旬に勤務担当の管理者がやって来て”操配上3月の下旬に連休が入りますので承知置きして置いてください。”と言いに来ました。その場では”3月下旬だとまだ桜も早いし、あまり価値の無い休みだなぁ〜”でも、我がままばかり言えないから!と大人しく”はいそうですか、承知しました。”と言っておきました。そして3月半ばに入ると、どうも今年の桜の開花は異常なまでも早い様だと言う雰囲気になってきました。そうなると最初はどうしようもなく中途半端だった28日と29日の休みは価値がある休日になります。内心、”ラッキー”とクソ微笑んでしまいました。しかしそうは目論見どおり簡単に私の都合通りには動いてくれません。直前の天気予報では28日、29日とも首都圏の天気はとうも芳しくありません。折角桜満開のニュースが届いているのに残念でなりません。
天気図を見ると、27日は弱い北東気流が、28日は逆に南岸の雲が上がってくると言う予報のようです。そうだとすれば日本海側は天気が良いの?と見ると太平洋から離れれば、離れるほど天気は首都圏よりはマシの様です。折角の連休を家で雑用は悲しすぎます。桜満開の首都圏には眼もくれず28日は思い切って春まだ遠い只見線に出撃する事にしました。
鉄橋に陽射しが当たりだしのはほんの数分前でした。 13,03,27 会津桧原−会津西方 424D 07:40頃 Canon EOS7D
28日は深夜2時出発と言う計画を立てました。前日が変則日勤だったために21時過ぎに帰宅後すぐに仮眠し、01:40に起床しました。この時間は一交勤務場合、早寝が21時〜2時まで仮眠なので、早寝の勤務とほぼ同じ時間に起床となります。そのため。目覚まし(時計・・・スマホ)が鳴る前に起きてしまいました。自分は仕事人間で無いと自認する私ですが、どうしても仕事のリズムが身体に染み付いてしまっていて、深夜の2時前に自然に起てしまう性の自分がとても嫌です。
2時少し前に家を出発し首都高を突き抜けて、1時間後の3時には岩槻ICを通過中でした。途中、20分の仮眠をして白河ICに4時過ぎに降り、給油してから甲子道路から下郷を抜けて、会津高田駅付近には6時過ぎに通過しました。一応、地図を眺めてプランニングはしたのですが、只見線の下り初列車の423Dの時刻の20分前に撮影地に到着できたのは自分なりにビックリしてしまいました。
ラジオでは東京は小雨と言っていましたが、会津は筋雲はあるものの快晴の朝です。まだオレンジ色の太陽の中、423Dを会津高田−根岸間撮影出来、これだけで来た甲斐があったと言うものです。その後は新鶴スマート−坂下ICのみ磐越道に乗り、423Dを追い抜いて、会津桧原−会津宮下間の第一只見川橋梁へ向かいました。現地の太陽の方向を確認して来たつもりでしたが、ちょうど東側の山の高い部分がちょうど橋梁にひっかかってしまいせっかく追っ掛けて来た割には423Dはまともに撮影出来ませんでした。ただ会津宮下交換でやって来た424Dは何とかギリギリ撮影出来たので初期の目的は達成出来たことになります。
その後は滝谷駅周辺で425Dと426Dを撮影しましたが、この頃になると南から怪しい雲が北上してきました。とりあえず、睡魔も極限に達したので滝谷駅前で2時間弱程曝睡しました。ほとんど意識無く寝ていて、起きたら12時前でした。なんとか天気も持っている様です。とりあえずここに居ても仕方ないので、会津川口駅に向かいました。会津川口ではいつも見ているブログ(金山町観光情報センターOASISのブログ )の担当者にご挨拶と激励をしてきました。ちょうど担当者もらっしゃて雑談が出来ました。
この天気では撮影意欲も薄れると言うものです。撮らなくて良かったのですが・・・ちなみにかつて古屋敷周辺のレールはカーブの偏位と空転でとんでもない形状に磨耗したレールでしたが、27日の時点では更換(レールは交換と書かずに更換と書きます)され、真新しい50キロレールになっていました。更にボロボロの木のマクラギもPCマクラギに更換されていました。 13,03,27 郷戸−滝谷 427D 14:17頃 Canon EOS7D
昼時でしたが空腹感を感じないので、そのままロケハンをする事にしました。会津水沼駅周辺を俯瞰出来る場所がないかといろいろ廻っていると、なんとうっかりして会津水沼12:43発の423Dを撮り逃がしてしまいました。気がついて慌てて会津柳津まで追っ掛けて423Dを撮影しました。この時間になるとすっかり空は白くなってきました。427Dは郷戸−滝谷間の古屋敷付近で撮影したものの天気は太陽の位置がわかり薄く影が出来程度の露出となり天候の回復も見込めないことから427D撮影後は引き上げる事にしました。裏道(県道)を通って新鶴へ出たので、通り道でもあったのでついでに新鶴温泉に向かい、私の大好きに泡風呂(泡は泡でもおねえさんが泡を立ててくれる風呂ではなく純粋に湯船の底から泡が出る風呂の事です。)で1時間以上身体を癒しました。この歳になるとちょっとの遠征も身体に堪えるので風呂はとても癒されます。風呂から出ると、なんと西の空が明るくなり太陽もしっかり見えるほどに奇跡の回復をしているではありませんかぁ・・・慌てて、今来た道を逆戻りして会津柳津−会津坂下間で430Dをそこそこの太陽のパワーで撮影する事が出来ました。その後は49号経由でもしマニアったら儲け物のノリで430Dを追っ掛けてみましたが、またまた雲が出てきて撮影には適したなかったので”見たまま”でそのまま帰路につくことにしました。会津坂本では晴れていたのに上三寄まで来ると雨が降っていました。そういえば一般道から見えた磐越道の電光掲示板にみ磐梯熱海−いわき雨の表示が出ていたのを思い出しました。雨が降っていないのは会津盆地のごく一部の極地的なのかもしれません。
121号−甲子道路−陸羽街道経由で矢板ICから東北道に乗り、家に着いたら22:30前でした。下郷で美味しい蕎麦屋で夕食し、仮眠を30分したので所要時間はまぁまぁだったと思います。しかし一日で700キロ走行は55歳にはいささかハードな一日でした。
一度諦めた天気がここまで回復すればおんのじと言うものですネ! 13,03,27 会津桧原−会津坂下 430D 16:20頃 Canon EOS7D