28日の朝は予報が大外れの晴天の元、国鉄特急色のPF撮影してテンションが上がります。この列車を撮影後は足早に帰宅して出発の準備に取り掛かりました。 21,06,28 06:49頃 大船―戸塚(横浜羽沢) 5086レ Canon EOS1DX MarkU
27日は23時過ぎに一旦帰宅し、洗濯物を出したりカメラのメンテナンスなどをしていたら01時前になり慌てて就寝しました。
明けて28日は04時間しか寝てないのに05時に自然に目が覚めてしまいました。窓の外を見ると綺麗な青空です。疲れているのなら止めれば良いものの天気が良いとカメラを持って散歩したくなります。28日は月曜日なのでEF65PF牽引の5086レは所定は運休なのですが、何故かここのところ月曜日の朝に5086レの姿を見ます。じゃぁ・・・今日もあるのかな?と散歩がてら自宅マンションからほど近い、おひとり様限定の撮影地に向かいました。幸いにも先に来られている方はいらっしゃらないので撮影体制に入る事が出来ました。
晴れベースで5086レを撮影してかなりの満足感を味わいながら帰宅するとあっという間に雲が出てきました。
09時過ぎに再び出掛けます。今日もJR東日本・大人の休日クラブパスで乗り放題の旅に浸ります。
東京駅10:16発の上越新幹線の自由席に乗車しましたがこの列車は昼過ぎに新潟駅に着く列車でビジネスに適しているのか9割はビジネス客でした。しかし乗車率は5割も行っていない様子です。自由席も空席が目立ちました。
越後湯沢駅に11:34に到着。小走りに改札を出て駅前のお蕎麦屋さんに直行します。約40分の乗換時間で昼食を済ませる魂胆です。あらかじめ決めていたお店に入りお蕎麦とカツ丼のセットと舞茸の天麩羅を急いでいただき(せっかく美味しいのに流し込んでいる様でした)、乗換時間になったので急いで上越線ホームに向かいましたがお腹かいっぱいな状態で走るのは還暦を過ぎたジジイにはなかなか酷でした。
E127系の普通列車は越後湯沢12:15に発車して小出駅に12:57に到着し同駅からはキハ110の只見線に乗り換えます。キハ110系はよく撮影はしますが、あまり乗車する機会はありませんが車内はかなり老朽化が目立つようになって来た印象でした。おりしも小出高校の帰宅時間で只見線も3割くらいの乗車率でガラガラな車内を予想していただけにビックリでした。しかしそれも入広瀬駅で最後のJKが降りてからは乗り鉄のオヤジ4人だけになりました。
只見線小出口の2424Dが只見駅に到着すると代行バスが待っていて、乗換え客(・・・と言っても乗り鉄4名のみ)が乗り終わると会津川口駅に向かい発車します。六十里隧道の大白川側は夕立でしたが隧道を抜けると晴れ間もありました。 21,06,27 14:29頃 只見駅前 iphone7カメラ機能で撮影
只見駅で列車代行バス(と言ってもマイクロパス)には列車から乗換えたオヤジ4人かそのまま乗って出発です。途中、只見線不通区間では補修工事も行われている光景もあり只見線全線開通が近いことを実感します。代行バスとは言え各駅では採時して記録に残しているのには意外でした。また、代行バスの運転手さんは女性でバスが遅いので見通しの良い場所で後続車を先にやったり対向の砂利トラの運転手と必ず手で挨拶していました。
会津川口駅からはキハ120に乗りのんびりと会津若松へ向かいます。只見線小出口は50〜60キロで定尺レールを走るのでとても心地よかったのですが、会津川口からは軌道状態も極めて悪く30〜40キロで定尺レールを走るのだから眠くなってしまい早戸駅は何となく記憶にありますが気がついたら滝谷駅でした。そして何故か会津柳津あたらから軌道状態も良くなり、スピードが自ずと上がり50キロくらいで走る様になりました。
会津坂下駅からは近くの高校の生徒がたくさん乗り込んで来ましたがそのほとんどが会津若松駅まで行かずに途中で下車してしまうのは驚きでした。
会津川口駅から乗車した430Dは会津坂下駅で多くの高校生を乗せて発車しましたが大半の学生は途中駅で下車して行きました。その中でも会津本郷駅は多くの学生が降車して行きました。 21,06,28 17:03頃 会津本郷駅 430D車内から iphone7カメラ機能で撮影
会津若松から郡山に出る乗換え列車は喜多方発でその送り込みの列車に乗換える事が出来たので喜多方まで往復した上に郡山へ向かう事にしましたが、この列車なんと2連なんです。いくらなんでも磐越西線電化区間の2両編成は酷すぎる感じです。過疎化が進んでいるとはいえ旧客時代ならED77の後ろの客車は短くても4連だったことを思えば少しやり過ぎと思われます。だいたい2両だったら只見線の同じ収容能力だよ?そう思いませんか?
JR東日本・大人の休日クラブパスを使うといつも思うのですが時間が経つのがすごく速い事に気づきます。会津若松ー郡山間を普通列車に乗ると80分程度ですが、これがまた飽きないんです。特にかつて撮影した区間だとあの撮影地は今!と言うノリで車窓を眺めてしまいます。磐越西線電化区間は蒸気機関車も走らなくなったし、485系なども無いので撮影地は荒れ放題でした。唯一、猪苗代ー川桁間の磐梯山パックの撮影地だけは綺麗に草が刈られていて救われる思いでした。
郡山駅のニューデイズで軽い夕食とビールを買い込んで19:49発のやまびこに乗り込みました。かつてJR東日本・大人の休日パス利用期間にはジジババで車内は溢れて自由席なと触れませんでしたが新型コロナウイルス禍のこの時期、ほとんどが感染リスクの高い高齢者なので自粛しているようで混んだ列車は皆無でした。
東京駅に21:12に到着。そのまますぐに東海道線に乗換て自宅マンションには22:10前に着きました。
29日の最大のお目当てはJR西日本から購入した455系の株主様への招待列車を撮影する事でした。いままで試運転はありましたが初めてお客さん、それも会社にとっては一番大切にしなくてはならない株主様招待なのでこの日が455系のデビュー日と言って過言ではないと思います。社長も株主様のご招待と言う事で普段のラフなスタイルではなくノーネクタイながらもスーツ姿だったのが印象的でした。 21,06,29 10:28頃 えちごトキめき鉄道直江津 Canon EOS1DX MarkU
29日の朝はさすがに03日間、歩き回っていたので自ら起きる事は出来ずタイマーで合わせておいたAKBの会いたかった!会いたかった!イェい!の音楽で目覚めました。手早く身支度をして当初は07:20前出発予定が、早く支度出来たので06:45に自宅マンションを出て東京駅に向かいました。今日も昨日も遊びに行くので朝はグリーン車には乗らず、我慢我慢と言ったところでしょうか?
東京駅07:48ー(とき305号)ー09:07越後湯沢に乗車し越後湯沢からは北越急行超快速(すごいネーミング?!)で直江津に10:15に到着しました。まぁ〜超が頭に付くだけ凄い列車です。極めて恵まれた軌道を110キロを超えて安定して走るのですから感心してしまいました。常識的に首都圏から直江津へは上越妙高駅経由が便利かと思いきや北越急行がガンバって、このルートも健在なのを再認識した次第です。
ただ金銭面で言うと越後湯沢ー直江津間が1,510円と言うのは少し微妙かもしれません。
直江津駅に到着して、まず本日お目当ての455系+413系(以後455系と略します)の姿を探します。実はこの車両は鳥塚社長がえちごトキめき鉄道に社長として就任して国鉄車両をなんとか購入したいと執念を燃やしてJR西日本から購入した車両なのですが残念ながら時すでに遅く急行型455系3輌の調達は出来ず、わずかに大阪方の先頭車のみ455系で青森方の2両は近郊型両開きの2ドア電車の413系になってしまいました。しかし国鉄急行型交直流電車塗装のなったその姿は国鉄の風格を漂わせ私たちを酔わせてくれます。鳥塚社長がもっと早くえちごトキめき鉄道社長に就任していれば急行型455系どころか、特急型の485系さえも調達可能だった鴨しれませんがそうなるといすみ鉄道にキハ52が来なかったと言う事かもしれないので、これで幸せと解釈するのがよろしいのではないでしょうか?
その455系はこの日、株主様へのお披露目ご招待列車が走る事になっており、これを目当てに直江津までやって来た訳です。程なく大阪方の留置線に455系が留置されているのを見つけました。招待列車は直江津発が11:05ですので、列車の性格上、直前入線はあり得ないのですぐにでもホームに入って来ると予想して待っていると、程なくして455系が動き出し直江津駅2番に入線して来ました。発車時刻直前に直江津駅に到着しても後の祭りになっているのでは?と朝に早めに家を出たのか大正解でした。
株主様ご招待列車は直江津駅を11:05に発車して行きました。さて、どうするか?まずは鳥塚社長がこの455系の試運転や株主様ご招待列車の時刻を我々鉄ちゃんに告知した理由のひとつに、来て撮れたら地元にお金を落として欲しいと言う戦略があります。その期待を叶うために駅前にある駅弁販売店に向かいました。ここでかつてホームで駅弁を立売したこともあると言う方と話す機会がありましたが千葉を全国区にした実績をこの直江津でも発揮していただきたいとおっしゃってました。そのひとつがこの455系の購入とエアー駆動のD51の展示だと思います。
駅の待合室でお弁当をいただいてのんびりしていたら急に身体が怠くなって来ました。別に病気ではなく疲れだと思います。朝の予定ではこの後、飯山線経由で飯山駅から北陸新幹線で帰宅予定でしたが、めんどくさくなり長岡まで出て上越新幹線で帰ることにしました。長岡駅まで来るとちょうど長岡14:33発の大宮まて無停車のとき324号がやって来たので、これは帰れ!と言うことだな?と察し帰路につきました。自由席は半分以下の乗車率で東京駅16:00着。東海道線に乗換て自宅マンションには17時前に帰着出来ました。
ちなみに04日間の軌跡をここに残しておきたいと思います。
26日
東京ー北上ー盛岡
27日
盛岡ー北上ー横手ー新庄ー山形ー寒河江ー山形ー仙台ー品川
28日
東京ー越後湯沢ー小出ー只見ー会津川口ー会津若松ー喜多方ー郡山ー東京
29日
東京ー越後湯沢ー犀潟ー直江津ー長岡ー東京
株主様ご招待列車には駅弁売りの姿も駆り出されていて、その雰囲気を引き立てていました。この駅弁売りのスタイルをしている方とこの後、お話する機会がありましたが、鉄道に関連する人たちはみなさん、鳥塚社長の事をよく知っているのには驚きです。千葉のけして目立たない地域を全国区に仕立てた現社長には直江津駅に携わっている人、全員が期待を持って見守っている様な趣旨の事をおっしゃっていました。 21,06,29 11:05頃 えちごトキめき鉄道直江津 Canon EOS1DX MarkU