想像するに。想像するにだ。
音楽史について全く無知の僕ですが思いました。
「音楽の始まり」
ちょっとバンドマンぽいでしょう?
太古の昔、米が日本に伝わるよりも以前の話。
そうだな、きっと場所はアフリカっぽいな。
ウホウホから言葉で意思疎通が可能になった頃のお話。
移住生活から定住生活し始めた頃のお話。
そして固体から集団へ世界初の村として共同生活が始まった頃のお話。。。
パチパチパチ。
<紀元前何年かのアフリカのどっかのある猿の家>
親父は食うものを求めて狩りに出かけています。
オカンは親父の帰りを待ちながら竪穴式住居の掃除をしています。
日が暮れ、親父が狩りから帰ってきました。
「今日は獲物獲れへんかったわ〜。」
今日は何も獲れなかったようです。子供はがっかりです。
でもここは村なので隣の猿から少し獲物を分けて貰えました。
「ありがたや〜ありがたや〜!」
このようにして協力して生きていました。
親父「いやーあんさん狩りが上手でいいでんなぁ。ワテは全然あきまへんのや。」
隣猿「でもおんしゃー料理が上手で羨ましいっちゃねー。オイドンには出来んもす。」
親父「それならワテが料理するさかい君は獲物を獲って来てもらえまへんやろか〜?」
隣猿「そりゃいい考えだわさ。エッサホイサッサ〜!」
という訳で得意な事をそれぞれが行う事によってより効率的な社会へと変わっていきました。
狩猿「今日はもそっと獲物獲れたばーい。貯蔵庫作らなばってん。」
料理猿「いつも丸焼きじゃ飽きてまうし。。。そや!今日はスパゲッティーにしよか。」
土木猿「てやんでぇ!道がこんなじゃ歩けやしねーってんでぇ!コンクリート持って来いってんでぇ!」
警察猿「はーい前の原付止まりなさーい。左に寄りなさーい。」
素晴らしく発展してきたこの猿村であります。
しかし社会がある程度機能してくるとある問題が起こります。そうです。
自分で何もしなくても生きられるのでサボる猿が現れたのです。
生きる事に必死ではないので色々な事に目が行きます。
不良猿「俺はなー自由に生きたいんだよ!縛られるのなんてごめんだぜ!この支配からの卒業〜。(尾崎)」
怒猿「働かぬもの食うべからずじゃーボケー!おんどれー!」
不良猿「うるせー!俺なんかよー!俺なんかよー!俺なんだよー!(天才バカボン)」
そんな事はおかまい無しの不良猿は毎日好き放題遊んでいました。
そしてある時、木の枝が落ちていました。手にとって弾いてみました。
びよよよよ〜〜〜〜〜ん♪
不良猿A「あーなんか楽しいぜー。気持ちいいぜー。夜露死苦ー。」
不良猿B「あーこっちの枝は低い音がするぞ。夜露死苦ー。」
不良猿C「色々組み合わせると何か楽しいぜー!夜露死苦ー!」
と、不良猿は石を叩いてみたり、葉っぱを吹いてみたり、はたまた声に出したりして音の出るモノに興味を注いだのです。
怒猿「あんの不良猿どもまた遊んでんだがや!許せんだがや!」
癒猿「でもあの子達の音聞いてると何故か疲れが取れるんどすえ〜。」
共感猿「わしもじゃけえ。あの音を聞くと明日も頑張れる気がしてくるけぇのぉ。」
不良猿「おらー!みんな聞きやがれー!アーイアムアーアナーキースト!♪」
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こ!う!し!て!!
アフリカの猿の色々な村からそれぞれの民族音楽へ発展し、世界各地へ広まって行ったのではないだろうか?さては!そうに違いあるめー。
たぶんあれだ。遊びってのは社会の歯車と噛み合わない奴が生み出すもんなんだ。スポーツにしろ芸術にしろなんだってそうなんだ。それが仕事として受け入れられたらいいよな。幸せだよ。
その時代の環境だからこそ、その時代の音楽はあります。現代は特に訴える事が無い時代なので一昔前の音楽に比べてメッセージ性が無いような気もします。いや間違いなく。ある意味でこの猿達のように何かに不満を強く感じていたならば或いは僕はジョン・レノンのような神になっていた事でしょう。でも感じなかったのでなれませんでした。惜しかったな。
しいて強い不満を言うならば通勤ラッシュ勘弁してくれというブルースを作ろうかと思っているだけです。
「通勤ラッシュブギウギ天国」
作詞/作曲 松本泰信
やめてくれー♪
特に菊名、日吉、自由ヶ丘がごっちゃごちゃー♪
近日ヤミーズライブやるのでチェケラだぜ!(うそうそ)

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