2008/10/14

三者のコメントを拝して  
将来は、学会員の内実に大御本尊は描けなくなる。
しかし心配はいらない。すでに手は打たれている。


これは前々回の拙稿に対する、のび太氏からのコメントの一部である。

わたくしは、創価学会も顕正会もすでに破門になっているので、いずれは御内拝の経験を有する会員がいなくなる・・・だから五十歩百歩なのではないか、と書いた。いわば上掲は、これに対する、のび太氏からの回答みたいなものである。

コメント全体を読むと、それなりに鋭いものを感じるけれども、上掲の部分はいかがなものかと思った。
なぜならば、心配はいらない、手は打たれている、ということの具体的な内容が見当たらないからである。どのような手を打ってあるのか、その具体的な記述がない以上は、単なる希望的観測でしかないと思う。ようは手前味噌の気味が感じられるところなのである。
まあ、しかし、おそらくはこれ以上、詳しく書くことはないだろう。それはいわば企業秘密みたいなものであって、やすやすとは明かさないものに違いないからだ。

前回分の拙稿に対する、山門入り口氏のコメントを拝見して思うことは、相変わらず意見が一致しないものだ・・・ということである。わたくしもけっこう顕正会を批判しているつもりでいるのだが、氏に比べるとカワイイものに思えてくるのだから、不思議な気分である。

熊本での、いわゆる折伏の対象者が創価学会員だったかどうかは、あくまで当て推量に過ぎないので、これ以上は論じても仕方がないことである。

わたくしの思うに、前回の繰り返しになるけれども、わざわざ熊本県警が顕正会本部に家宅捜索を入れたことが、異常だということなのだ。
報道を素直に受け取ると、顕正会の折伏の勢いは、いまだに衰えが見られない。創価学会系の謀略情報紙においても、顕正会の魔の手(?)が九州に及んでいることを驚いているわけだから、相当である。
つまり、今の状況は全国津々浦々で逮捕があり得ることを指し示しているわけであり、逮捕者を輩出する意味での全国都道府県制覇もあり得ることである。

問題はその先である。

逮捕されて然るべき人物は逮捕すべきであり、それは各都道府県警のなすべき仕事であると思う。
だが、一々その都度、本部会館の捜索を行なっていたら異常だと思う。たとえば、熊本の次は宮崎あたりで逮捕があったとしよう、宮崎県警が大挙して埼玉に行くのだろうか? 次は鹿児島あたりで逮捕があったとしよう、今度は鹿児島県警が行くのだろうか? 沖縄県警とか、逆に青森県警とか、北海道警とか・・・これらが同じ日にぶつかってしまったらどうするのだろうか?
家宅捜索のために全国の都道府県警が埼玉に集結するとなると、いったい、なんなんだ、これは・・・ということになる。ひじょうにセンセーショナルな光景が想像されるところである。

謀略情報紙によれば、警察は浅井先生の逮捕を目論んでいるという。

わたくしはそれも大いにけっこうだと思う。もし本当に実行するのであれば、総幹部会だとか重要な行事の直前に逮捕・勾留すれば効果的だろう。しかし、断わっておくが、それで顕正会を壊滅できるかどうか、五分五分だということだ。逆効果の可能性もあるだろう。

さて、沖浦氏からもコメントを頂戴しているわけだが、おおむね話が見えてきたような気がする。

氏に対する風当たりの強さというのは、さまざまの要素が絡み合っていて複雑きわまる。よって、一言で片付けることは難しい。必ず逆の立場からの反論があって、なかなか収拾がつかないのである。
ゆえに、あくまで一つの視点として、書くことにしよう。早い話が氏に対するヤッカミがさまざまな批判となってあらわれている。そんなところだ。

世間の言葉で、出る杭は打たれる、というのがある。誰もがよく知る言葉だろう。この教訓するところは、だから目立つな、慎ましく生きなさい、という意味があると思う。
ところが沖浦氏は、この逆を行くのである。打たれるのを承知してどんどん前進していくのだ。しかも氏は、これこそが大聖人の仏法を実践する者の本来の姿である、と確信しているわけである。
なるほど、過日の大阪での質問会において、冒頭に好きな御書として佐渡御書をあげておられたところからしても、さもありなん、といったところだ。

ここまでを読むと、ずいぶん沖浦氏に対して好意的に感じられることだろう。正直なところ、わたくしはこれまでずっと氏に好意的であったし、それは今も変わらない。当然、百点満点の人間などいないわけだから、氏にも欠点はたくさんあることだろう。けれども、わたくしにとってはいわゆる憎めないタイプ・・・それが沖浦氏なのである。いや、もちろん、実際には会ったことがないので、会えば違った評価に変わるかもしれないが・・・

いずれにしても、一点だけクギをさしておこう。御書を拝していると、たとえば四条金吾殿に対して隠忍自重を促がすような御指南も存するのだ。これなどは出る杭のことわざに通ずるところである。沖浦氏ほどの人物がこれを知らないはずはないが、ようはこの辺のバランスをどのように保つか、それが氏の課題なのかもしれない。

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