2010/10/16

くだらない新ネタ  
旦氏にはたびたびご足労をたまわり、まことに恐縮であります。今回のコメントは簡潔にして要を得たものであろうと存じます。特に御成敗式目云々は、さすが御書に精通している人だけのことはある、不遜ながらそのように感じました。

大事の政道を破る。

御式目をも破らるゝか。


下山御消息ですが、上掲は同じ意味合いのことを仰せになっていると思われます。いわば一般名詞と固有名詞の違いみたいなものでありましょうか?

一閻浮提に八万の国々があるとすれば、それぞれの国に政道が存する。当時の日本においてはそれが御成敗式目だったわけでありましょう。
悪法もまた法である、というような言葉があります。その意味を勘案するならば、真の政道というか理想とする政道があるけれども、御式目はいまだそのレベルに達していなかったという思いが大聖人には存したかもしれません。すると上掲の後半、御式目をも破らるるか、の意味は、幕府は自分たちで作ったルールすら守れない、どうしようもない連中である、というような意味になるかと思います。
何を言いたいかと申しますと、二つの御文は近接しているわけでありますが、前半が「破る」という断定形になっているにもかかわらず、後半は疑問形であることの理由は何か、ということであります。同じ意味合いでありながら、断定形の後に疑問形が来ることの理由というか、大聖人が何を思われてそのように書かれたか、わたくしはそのことをつらつらと考えているわけです。

こうして、考える機会というか、ヒントを与えて下さった旦氏に対しまして、感謝申し上げるものであります。

さて、書き慣れない文体だと疲れるし、読者も気持ち悪い(?)だろうから、以下はいつものごとく書きたい。

山門手前氏は何を考えておるものか、その真意はまったく読めないけれども、ずいぶん難しい問題を論じておるものだなあ、というのがわたくしの勝手な感想である。
おそらく現代的な表現をすれば、政治と宗教の関係みたいなことがテーマになるかと思う。これは当然、王法と仏法の関係、いわゆる王仏冥合の問題であり、そこには自ずと国立戒壇の問題が含まれるので、ひじょうに厄介だ。
氏のいわく、大聖人は政治に直接介入するのではなく云々、と。直接でないとすると間接的な介入となるのかどうか知らないが、現代であれば政教一致の批判を受けることにも通ずるし、ともかく難しい問題である。

三、一時、本門戒壇を国立戒壇≠ニ呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって国家権力とは無関係である。

ヤブカラボウに引用したが、これは創価学会が昭和四十五年四月二十三日に提出した政府への答弁書である。

顕正会ではこれを、政府への欺瞞回答、と呼んでいるが、それはともかく、わたくしが気になったのは、国家権力という言葉である。なぜにこの言葉が出てきたのか、その理由が知りたいところである。政府の照会内容が具体的にどのような文言だったのか、あるいは共産党の質問主意書の内容がどうだったか、わたくしはそれらをまったく知らないので何とも言えないが、上掲だけを読むと「国家権力とは無関係」という点がひじょうに引っ掛かるのである。

善意に読めば、正本堂は国家権力と無関係に建てられたという、その現実をそのまま正直に語っているように読める。
しかし、共産党らが問題にしたのは、正本堂のことではないのだ。すると、くだんの答弁書は国立戒壇の問題を正本堂にすり替えたことになる。これを顕正会は正本堂の誑惑と称するわけである。
正本堂が国家権力と無関係に建てられたのは事実である。それはそれでいいのだ。問題はそこではない。まさに政治と宗教の関係が問われているのだ。それをくだんの答弁書では、国家権力と無関係と謳ってしまっている点にわたくしは引っ掛かるのである。

イジワルな書き方をすれば、創価学会はこの時点で落第したとも言い得るかもしれない。政治と宗教の問題、ひいては王仏冥合の大理想を放棄してしまったとも受け取れるのだ。さすがに無関係という言い方はどうだったか、他に言い様がなかったのかと、わたくしは思わずにいられないのだ。

ここまで書いてきて、山門手前氏が提起した直接間接云々が重要な視点であることに、改めて気がつかされた。やはり国家権力と無関係というのは言い過ぎであって、必ず何らかの関係があるのだ。ただし今日的には政教一致の批判を免かれない。ゆえに、どのような関係性を持つことが正解なのか、それを大聖人の御指南を根本とした上で、さまざまの角度から考えていくことが求められているのだと思う。

いずれにしても、これは難しい問題であるから、拙速に結論を出すのではなく、時間を掛けて考えていきたいと思う。

そこで、ついでと言ったら語弊があるかもしれないが、今日の話の中で創価学会破折の新ネタ(?)を思いついたので、ご披露したい。

創価学会は、昭和四十五年の四月二十三日に国家権力と無関係であることを表明した。しかし、いわゆる政教分離の表明は翌月の三日である。このタイムロスをどのように解釈するかが問題だ。後年、公明党は政権与党の一角を担うようになる。いわば国家権力を手に入れたのだ。すると四月二十三日から五月三日までのおよそ十日間が意味するところは、国家権力とは無関係という表面的なポーズを取りながらも内心では虎視眈々と権力の座を狙っていたことになるだろう。

もっとも世に数多く存在する創価学会批判者にしてみれば、そんなややこしい説明の仕方をするまでもなく、創価学会の権力志向は明々白々だと思うことだろうし、当の創価学会員にしてみれば、くだらないアゲアシ取りにしか思えないことだろう。

まったく、そのとおりである。

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