2011/7/7

諸天についての雑感  
沖浦氏の精力的な投稿は驚異的であるが、それはたぶん正信掲示板の閉鎖と関連することなのだろう。氏はかの掲示板において精力的な投稿を続けていたので、そこが閉鎖となれば自ずと余力が生じる。その余力のいくらかが拙ブログのコメント欄に注がれているのだろうと推測する。

さて、本題である。

 先日、婦人部の幹部から面白いことを聞いた。集会で、東北の顕正会員がみな不思議の御守護を頂いたことを聞いた一婦人が、その幹部に
 「諸天には、この人が顕正会員だということが、わかるんですかね」(大笑)と。
 顕正会員のおでこにマル顕のシールでも貼ってあれば分かるんでしょうがねー(大爆笑)。


顕正新聞第1210号の一面から引用させてもらったが、五月二十九日の日曜勤行における指導である。マル顕のところ、正式には○の中に顕が入っているが、入力の方法がわからない。ともかくマル顕印というか、そういうマークのようなものがオデコに貼ってあれば・・・というジョークなのだろう。聴衆一同が大爆笑をしたものらしい。もっとも、顕正会員はマル顕印の代わりに鶴丸バッジを付けているので、すぐにわかるが・・・

震災以降、顕正会ではたくさんの体験発表があった。しかし、わたくしは震災関連の体験発表について、ほとんど取り上げてこなかった。その理由は二つある。

彼ら顕正会員たちも被災者である。ゆえに、わたくしのような被災していない立場の者が、彼ら彼女らの体験にケチをつけるようなことは厳に慎まなくてはいけない、と思ったからである。つい先日も某大臣があっという間に辞任に追い込まれてしまったが、それは被災者の感情を逆撫でするような言動をしたからに他ならない。いわば空気が読めていないのだろう。拙ブログは顕正会批判が主ではあるが、何でもかんでもケチをつけてやろうというような考えは元々なかったし、今回のような激甚災害においては顕正会員といえども多かれ少なかれ被災しているわけだから、その点を配慮するのは当然のことなのだ。

しかし同時に、一見して矛盾するようであるが、わたくしが震災関連の体験発表を取り上げなかったのは論評に値しないからでもある。

大沢氏と沖浦氏のコメントにも諸天の守護を云々するものがあって、ひじょうに考えさせられた。顕正会員は諸天の働きというものを純粋に信じている。解釈そのものには温度差があるものの、おそらくは大沢氏にしても沖浦氏にしても諸天の働きを信じているのだろう。もちろん、その温度差が大き過ぎて意見が一致することはないわけだが、たぶん多摩準急氏やおおひがし氏たちから見れば、日蓮正宗も創価学会もそして顕正会も似たり寄ったりに映るのだろうと思う。

さて、そこで必然的に問われるのは、わたくしの考えはどうなのか、だと思う。

顕正会の体験発表は論評に値しないと書いた。すると、巌虎は諸天の働きを軽視しているのではないか、と思う人がいてもおかしくないだろう。どちらかと言うと、おおひがし氏など一般人の思考に近いのではないか、と感じる人もいることだろう。もっと言えば、巌虎は信心のないヤツだ、という感想を懐く人がいても不思議ではないと思う。

この辺を詳細に論じたらキリがないので、ここで結論を述べてしまうことにする。わたくしの現時点での考えを言えば、諸天善神のことはよくわからない、積極的に肯定することもできないが、さりとて否定もできない、こんなところである。

すると、なぜに顕正会の体験発表は論評に値しないなどと言うのか、というツッコミがあるはずだ。肯定も否定もできないのならば、偉そうなことは言えないはずだからである。

この答えは案外に簡単だ。

顕正会は大聖人の仰せのままを信じているという。もしそれが本当ならば、もっと凄い体験発表がなければおかしい。よく読んでみれば、大したことがないのだ。正直なところ、ショボイ話ばかりなのだ。

火も焼くこと能はず水も漂はすこと能はず

何が言いたいか、もうおわかりだろうと思う。

今回の震災では大津波で町全体が消滅してしまったような地域もある。鉄筋コンクリートの頑丈な建物は辛うじて残ったものの、木造家屋は根こそぎ流されてしまって跡形もない有様だ。海から相当離れているとか高台は例外である。もし顕正会員宅が海べりの低地にあったとしよう。周囲の家々がすべて流されてしまっているにもかかわらず、顕正会員宅だけ一滴の水も被らなかったとしたら、これこそ経文そのままである。火災でも同様だ。一角すべてが全焼にもかかわらず、その中に一軒だけ無傷の家屋があったとしたら凄いことである。

これらが現実に起こればニュースになるだろう。しかも、そうした家々を調べたところ、実はすべてが顕正会員宅だった・・・とすれば凄いことだ。それこそ入信勤行の行列ができるに違いない。

繰り返しになるが、顕正会員の体験発表はよく読んでみると大したことがない、それどころかショボイ場合もあるのだ。すると、どうなるか考えてほしい。彼らが諸天の働きを論ずれば論ずるほど、かえって諸天の働きがショボイものに思えてきてしまうのだ。

こういうのを摧尊入卑と呼ぶ。

以上、具体例を挙げなかったのは、顕正会員といえども被災者であり、やはり心情的には気の毒に思わざるを得ないからである。

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