2011/7/16

堕落のきわみ  
本尊抄の題号については、なるほど、どのように読めばいいのか悩むところである。もし一般人にクイズを出せば、ほとんどの人が不正解になるだろう。

わたくしの思うに、今の顕正会員も相当にアヤシイところである。大雑把に言うと、平成以前からの幹部たちは押しなべて読めるが、最近の人たちは幹部であっても読めない可能性がある。なぜならば、本尊抄は二級教学試験の出題範囲であり、以前はほぼ毎年コンスタントに試験が行なわれていたからだ。しかし、平成以降はいわゆる一念信解路線に入ってしまい、久しく試験が行なわれていない。本年の三級試験実施にしても、久しぶりのことであって、前回がいつだったかすら思い出せないくらいなのだ。

 三大秘法は簡単です。

 南無妙法蓮華経と言う命が私共の命の呼び名で、それが本門の本尊で、私共が唱えて化他をすると本門の題目。
 その本尊と題目を保つ身体が本門の戒壇。

 建物じゃないのです。


さて、話は変わって、今度は戒壇のことである。沖浦氏によれば、戒壇は本尊と題目を保つ身体のことであって、建物ではないのだそうだ。これは何か斬新なことを言っているように聞こえるかもしれないが、実は言い古されてきたことなのである。

己心戒壇

興味のある人はこのキーワードで拙ブログを検索されるとよいだろう。この問題はずいぶん前から議論してきたことであって、その途中には沖浦氏も登場するくらいである。いわば話の蒸し返しであり、堂々巡りをしているだけなのだ。今、略して言えば、己心戒壇を全否定するつもりはないけれども、さりとて本門寺の戒壇を建立すべしとの御遺命がある以上、築壇の必要性を否定はできないだろう。それにもかかわらず、建物じゃない、などと主張するのはまさに御遺命違背である。

前回のコメント欄には日顕上人の御指南が掲載されている。おそらくわたくしは当該部分を初めて拝見したのだと思う。今、略して感想を申し上げれば、上人は事相についてかなりの時間を掛けて説明あそばしているごとくである。ただ、恐れながら申し上げれば、やや冗長にも感じられるところである。しかし、それは事相の重要性を強調するためだ。

かく見れば、国立戒壇の名称を度外視すれば、現状では宗門と顕正会はほぼ同じ、創価学会だけ完全に逸脱、という結論になるだろう。もっとも沖浦氏の持論と創価学会の公式見解が一致するかどうかは議論の余地がある。

皆さんは節電と言う修行は行っておりますか?

最近のおおひがし氏は準レギュラーのような存在である。以前は特定の人物だけを狙って、それがために拙ブログに出入りしていたような印象を拭えなかったが、今はちょっと事情が違ってきたような感じがする。

そこでエネルギー問題についての私見というか、わたくしなりの知見を書いておきたいと思う。まずは六月度総幹部会の会長講演をご覧に入れよう。

 「原発を廃止すると電力不足になる」などと言われているが、これはウソですよ。電力会社や原発推進派が為にする宣伝であります。
 京大の小出裕章助教によれば
 「実は原発の設備利用率を上げるため、従来の火力発電所の稼働率は現在四八%まで下げられている。この火力発電所を復旧させて稼働率を七〇%まで上げれば、原発をぜんぶ止めても充分間に合う」とのことです。
 その上で、太陽熱・地熱・風力・水力・海水流等を利用した自然エネルギーを開発すればいいのです。


 小出裕章助教は今や有名人であるから、彼がどのようなことを言っているかはネットで調べれば一目瞭然だ。その他、反原発ないし脱原発を唱えている人たちの意見を平均化すれば、浅井先生の言っていることになるのだろう。すなわち現時点での自然エネルギーの普及率からすれば、今すぐに大転換することは難しい。そこで短期的には火力発電を活用し、中長期的には自然エネルギーにシフトして行くことが望ましいとの考え方である。

浅井先生の記述で興味深いのは、太陽熱である。実は前回の総幹部会でも太陽熱と書いている。わたくしは太陽光の誤記ではないかと思っていたが、どうやら太陽熱にこだわりがあるらしい。

原子力も火力も発電の原理は同じなのだそうだ。ようするにお湯を沸かして蒸気を発生させ、その蒸気の力でタービンを回して発電する。いわゆる蒸気機関である。
すると風力や水力なども動力が異なるだけで発電の原理自体は同じだとわかる。なるほど太陽熱・地熱も同様だ。
ところが太陽光となると、いったいどのような仕組みで電気が生まれるのか、よくわからない。この点ではたぶん浅井先生とわたくしは似たり寄ったりなのだろう。

純粋にエネルギーとして考えるのならば、必ずしも電気は万能ではない。電気は便利であるが、万能ではないのだ。

オール電化という考え方が間違いだったのだ。

今、拙ブログの読者で統計を取ったらどうなるだろう。たとえば炊事であるとか、風呂であるとか、これを電気でまかなっている人がどれだけいるのか気になるところだ。
いや、もちろん、これは個人の選択の自由であるから、オール電化を全否定するつもりはない。しかし、煮炊きや風呂焚きにはガスが向いている。熱効率がベラボウにいいのだ。
たぶん、電気が活躍するのは照明や冷蔵庫などであろう。そして夏は冷房だ。

電力会社は文字通り会社であるから、建て前では省エネだとか言うものの、実際には電気をたくさん使ってもらったほうがいいのだ。だからオール電化を推進してきた。ゆえに、ここに来てユーザーに節電をお願いするのは、筋違いの話なのだ。

俗に言う殿様商売なのだろう。もし純粋な意味での民間企業であれば、節電を呼び掛けること自体が矛盾である。競合他社が存在すれば一発でオシマイである。つまり、本来ならば万難を排して電力の供給に全力を尽くすべきなのだ。震災よりすでに四ヶ月が経過する。最初の頃の計画停電が何だったのかと思わずにいられないが、電力不足が本当だとすれば少なくともあの時点でわかっていたことなのだ。だったら四ヶ月の間に手を打つべきことはたくさんあったはずだろう。これが競争の激しい民間企業であれば、手をこまねいているわけがない。迅速に対応するはずである。

たまたま前回、今年も猛暑か? と題して書いた。

わたくしの思うに、人間が贅沢になってしまっている。しかもそれはかなりの意味で不可逆性である。
たとえば江戸時代であれば、東京大阪間を徒歩で移動した。乗り物は一部の人が利用していただけで、大半の人が自分の足で歩いていたのだ。しかし、現代人が東京大阪間を歩くことはない。
たぶんクーラーにも同様の意味があるだろう。クーラーに依存する生活に慣れてしまえば、そこから抜け出せなくなる。そうして現代人は暑さに対する耐性が失われてしまったのだ。

エネルギーを消費するということは、人間が楽をすることである。しかし、それがために人間が堕落してしまったという意味もなくはないだろう。なるほど、おおひがし氏が節電を修行と位置付けたのもムベナルカナである。

最後に白状しておこう。今日は偉そうにいろいろと書いたわけだが、わたくしの部屋はクーラーを二十四時間付けっ放しにしてある。まさに堕落のきわみだ。

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