2011/12/12

会長講演の非現実性を斬る  
沖浦氏は顕正会の事情に疎いようだ。五十万ではなく、百五十万。これが名目上の会員数である。そして実数はその一割に満たない。これが顕正会の実態だ。

事情通氏は計算が得意のようだ。

わたくしが三日間、計八回のビデオ放映に驚いているところに、具体的な数字を提示してくれた。参加人数は合計でせいぜい三千人程度とのことだ。

これに関連して、気がついたことを書くと、たとえば日曜勤行などは参加指定時刻を決めておいても守られず、たいてい第一回の勤行に殺到する。同じことが長岡会館にも言えるわけで、昨日の御入仏式にしても、第一回は代表幹部だけなので問題ないが、それ以降は参加時刻を決めておかないと、一般の顕正会員が殺到することになる。寒い時期でもある。会館の収容人数には限界があるので、下手をすると何時間も外で待たされるハメになる。たぶん本部首脳の中にそこまで気の回る人がいて、日程に余裕を持たせたのだろう。これで入場券のことも理解できるはずだ。

さて、本題に入ろう。

戒壇建立には国家意志の表明が不可欠
 順縁広布の時には下から上に及ぶ
 国民投票こそ国立戒壇建立の関所


これが十一月度総幹部会の会長講演の大見出しだ。昨日紹介したように、幹部一同は先生の重大指導を聴いて、衝撃的感動をおぼえたらしい。

どこが衝撃的なのだろうか?

その前にいろいろと書いておこう。まずは恒例の地方会館建設計画についてだ。

新宇都宮会館
南房会館
鯖江会館


これが来年の計画だ。そして再来年の計画も発表された。

会津会館
京都会館
熊本会館


宇都宮にはすでに会館がある。手狭になったので、今よりも大きな物を建てるのだろう。また、現会館は駅から遠いような気がする。よって、新会館は今よりも駅に近いところに建てられるのだろう。

南房会館は勝浦会館のことだ。しかし、その昔は小湊会館と言っていたはずである。今回の講演では勝浦会館の名称をやめて南房会館にすると言っているが、小湊会館については一言も触れていない。千葉の顕正会員は小湊会館建設を目指して頑張っていた。一時期とは言え、そうした時期があったはずであるから、一言くらいは触れるべきだった。

それにしても南房はいかがなものか?

わたくしのパソコンでは変換できない。地名はたいていが変換できるので、南房はほとんど使われていないのだろう。どうせなら会館名を公募にしたらよかったのにと思う。

会館の話題はこれくらいにして、他には教学試験のことや広布御供養のことがこの季節の定番の話題である。とりわけ今回の講演では広布御供養に関連して、いろいろなことが述べられている。宗教法人に対する課税であるとか、実は顕正会にも国税庁の査察が入ったことであるとか、さらには先年の公安警察による会員逮捕の件など、面白い話がたくさんあるのだ。

次は国税庁の担当者の発言だそうである。

 「私たちはいろんな宗教団体を見ているので先入観がありましたが、調べるにしたがって、顕正会さんが本当にまじめな団体であることがよくわかりました」

 「顕正会には交際費などは全くないんですね。会長さんは本を書いても印税を取ってないんですね」


本当かどうか知らないが、これには顕正会がクリーンであることを強調する狙いがある。単に税務署が調べに来たというだけでは、何かヤバイことがあるのだろうと勘繰られてしまう。熱心な活動会員は大丈夫にしても、少々冷めた消極的な会員たちは敏感だ。いわば先生はそこを変毒為薬したわけだ。もっともハナっから疑って掛かっている批判者たちにしてみれば、どんな話も胡散臭く思えてしまうのだが・・・

 数年前、公安調査庁また公安警察が、誰の讒言を信じたのかわからないが、顕正会を誤解して悪意のある行為をしましたね。

さて、ここからはわたくしの得意(?)とするアゲアシ取りである。次の二文は上掲と矛盾しないのだろうか?

 調べに来もしないで、公安調査庁は年次報告書で三回も顕正会を誹謗した。内容は学会提供のデマ。

 公安警察もそうです。人を救わんと折伏を行ずるまじめな顕正会員を、理不尽にも逮捕し勾留する。私はそのたびに強い憤りをおぼえる。学会本部の指示で虚偽の訴えが大規模になされていることを、なぜ見ようとしないのかといつも思う。

まあ、これは典型的なアゲアシ取りであって、別にどうでもよいことだ。しかし、この段の途中には、ひじょうに興味深い発言がある。

 私は思う。もし疑問があるのなら、「顕正会はどのような団体なのか」と本部に来て「料調」のごとく徹底して調べたらいいではないか。
 そのときは私が会います。そして顕正会の大精神を説明する。わからんことは絶対ない。


料調というのは国税庁の専門部署の一つの略称らしい。どうやら顕正会は本年の二月から五月にかけて徹底的に調べられたらしい。その時は理事長と会計担当と税理士が対応したそうだ。そして先生はもし公安調査庁が調べに来たら自分が会うと言っているわけだ。

いちおう筋が通っているとは思う。会長はお金にタッチしない。よって担当者に任せる。しかし、顕正会の精神を説くとなれば、会長の出番である。

ここで疑問を呈しておこう。

すでに本部には逮捕事件の折に警察の家宅捜索が入っている。あるいは会長にも任意の取調べが求められたかもしれない。またマスコミの取材もあったはずだが、担当者不在を理由にコメントを拒否したとされている。

なぜ先生はこの絶好のタイミングを逃したのか?

顕正会の大精神を説く絶好の機会ではなかったのか?

次は講演の前半に出てくる文章を踏まえた上で、最後の結論部分をご覧に入れたい。ちなみに、わたくしの結論をあらかじめ言っておくと、顕正会がゴールを遂げるためには関所破りをするしかない、ということになる。

日本一同が南無妙法蓮華経と唱え奉るその先序・幕開けとして、いま一五〇万の地涌の流類が召し出だされているのであります。

これが前半の文章だ。そして以下が本講演の肝要部分である。

 では、国民の総意とは、具体的にはどのように表わされるのかと言えば
 国民投票による多数決で決せられる。すなわち、日本国民の過半数の六千万人が戒壇建立を熱願するとき、大事は決せられるのです。
 まさにこの国民投票こそ国立戒壇建立の関所であります。


国民の総意云々のくだりはもう少し前の部分から読まないとわからないが、ともかく戒壇建立には国民の総意が必要だということだ。そしてその具体的方法論として国民投票を云々しているわけだ。それが戒壇建立の関所であると。

ここでどのような批判が可能であろうか?

イチャモンをつけるだけならばどうにでもなるだろう。わたくしは真面目に考えたい。おそらく数字の上から考えるならば次のごとくなるはずだ。

顕正会の百五十万はウソである。ここでは実数を一割として十五万にしておこう。つまり、浅井流の数字上の概念で言えば、日本一同とは一億二千万人の一割すなわち一千二百万人なのだ。つまり、こう考えると関所の遥か手前にゴールがある。しかし、現実にはそこがゴールのはずはない。なぜ、このような非現実的結論が出るかと言えば、百五十万がウソだからだ。

別の言い方をしよう。

国民投票による多数決はきわめて現実的思考である。しかし、顕正会の現状と考え合わせないといけない。いずれは入信報告書が六千万枚集まる日が来ることだろう。いつになるか知らないが、いちおうはその日が来ると仮定しよう。そしてその時に国民投票が行なわれたとしよう。その結果は六百万票に過ぎず、戒壇建立は否決される。なぜならば顕正会の実数は一割だからである。

これが現実的思考だ。

ゆえに残された道は関所破りだけなのだ。馬鹿にしているようだが、これが現実を踏まえた結論なのである。

しかるに顕正新聞では、幹部会員たちは先生の重大指導に衝撃的感動をおぼえ、いよいよハッキリと見えてきたゴールに胸を躍らせた、などと書いているのである。

どちらが現実的であるか、一目瞭然だろう。

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