2011/12/17

函蓋相応  
前回の拙稿において、顕正会の実数を一割と書いた。これについて、認識が甘い、という意味の批判を頂戴した。おそらく拙ブログの愛読者ならば説明するまでもないだろうが、わたくしは計算が苦手であり、頭もそれほどよくない。そこで物事を単純化して考えることにしているのだ。

名目会員数に対し、実数が何割であるか、今度の場合はそれが二割でも三割でもわたくしの論旨に不都合はない。もちろん一割以下であればなおさらだ。
入信報告書の累計を総会員数とする現在の顕正会の数え方で行けば、やがては一億二千万会員を達成する日が来るだろう。そこで国民投票をやっても戒壇建立は実現しない。六千万票を集められないからだ。
つまり、くだんの会長講演は会員の実数を五割に引き上げない限り、絵に描いた餅に過ぎない。

以上、幹部会員ならば組織の現状をよく知っているはずなのに、上述のような画餅講演を聴いて感動しているのはまったくおかしな話だ、というのが前回の拙稿である。

順縁広布は下から上へ

さて、今日も十一月度総幹部会の会長講演を中心に話を進めるが、上掲は先般の目師会での講演とも絡む話である。

 そして今、つらつら順縁広布における流布の次第を思うに
 それは上から下ではなく、下から上に及ぶものと思われる。


目師会における講演である。そして次が総幹部会。

専制政治・独裁政治の時代においては、国家意志を決定する権能を持つのは国主であった。一人の国主が帰依すれば、万民がこれに随ったのです。ゆえにこの時代の国家諫暁は国主に対し為されたのです。

この後、しかしいま日本国は「主なき国」になってしまった、として、その論証のためであろう、憲法の条文を事細かに引用している。この辺はややこしいので省略するが、結論として今は上から下ではなく下から上の時代であると言うのだ。

ちなみに前回の話に出てくる「国民の総意」云々は、この話の延長線上にあるわけだ。

おそらくは誰もが思うだろう、創価学会の広宣流布観に似ているのではないかと。

たぶん顕正会側の模範的な反論は次のごとくだろう、創価学会はたかだか国民の一割程度の段階で正本堂を事の戒壇であると意義付けようとした、顕正会は国民投票による過半数の獲得によって戒壇を建立するのだ、と。

しかし、前回の拙稿で明らかにしたように、それは画餅に過ぎない。それにもかかわらず、顕正会ではあたかもゴールが近いかのごとく言っている。これはウソを言っているにも等しいだろう。顕正会は正本堂を批判するが、もしかしたら今の顕正会の主張は正本堂を凌駕するほどの大誑惑かもしれないのだ。

ここで私見を書いておこう。

わたくしのいわく、順縁広布の時は上から下である、と。

ヘソマガリではあるが、これが正しいのではないかと思う。その根拠を一つ示しておこう。実は目師会講演の中に重大なヒントがある。

 当時の朝廷は「承久の変」の後遺症で、威光勢力を失って衰微の極にあった。しかし日本国の真の国主は天皇である。やがて時いたれば、本化国主も必ず出現する。

大聖人は衰微の極にあった朝廷に対し諫暁をあそばしているのだ。いわゆる園城寺申状だ。すると浅井先生の言う主なき国は、現代も鎌倉時代も同じことになる。先生は自分で言っていて矛盾を感じないのか、そこが不思議なところだ。専制政治だろうが民主政治だろうが何も変わらない、それが仏法の本質的な部分であろう。戒壇建立はそうした範疇に属することではないのだろうかとわたくしは思う。つまり、日本国の真の国主を天皇であると規定するのであれば、今の時代においても天皇一人が帰依すれば戒壇建立は可能となるはずなのだ。

皮肉を言うと、本化国主とは国民一人ひとりである、という創価学会バリ(?)の解釈も成り立つことになる。

おわかりだろう。浅井流の法門の整合性からすれば、国主は一人であって、それは天皇なのだ。もし現代を下から上の時代だとすると、天皇の存在は単なる形式に過ぎないことになって、この上なく軽い存在とならざるを得ない。どうやら浅井先生は無意識のうちに時流におもねるような発想に毒されてしまったようである。

実は整理が下手なのだと思う。本化国主の御存在を重くすることと、下から上の動きを整合させる発想が必要なのだ。結論的には上と下が函蓋相応すればいいのだ。

念仏者追放宣旨御教書事

ヤブカラボウで驚いたかもしれないが、ここにも重要なヒントがある。
実は鎌倉時代にも下から上の動きがあったのだ。上掲を端折って言えば、念仏禁止令の資料集みたなものである。念仏禁止令は無駄だった。ガン細胞のごとく増殖していったのだ。そして半世紀ほどの間に市民権を得た。ご存知のごとく、大聖人の時代においてはすでに幕府の要人たちが念仏を熱心に信仰していたほどである。
また、大聖人の門下のことを言えば、熱原の人々が絶好の事例であろう。まさに下から上への胎動である。そもそも下種仏法の本質というか、地涌の菩薩そのものが下から上という方向性の象徴的存在とも言えるわけである。

今回の浅井先生の間違いは憲法を論じてしまったところにある。上述のごとく、現在の国家体制だとか政治形態にかかわらず、下から上の動きは説明できるのだ。
先生としては現実性を持たせるために論じたのだろうが、前回の拙稿で明らかにしたように顕正会の現状を踏まえればまるでリアリティーがない。つまりは非現実的である。
しかも御法門の上から考えてもチグハグさが目立つ。本化国主の出現を確信しているのだろう。ゴールは近いとも言うわけだ。ならば今はすでに本化国主に相当する人物がどこかにいらっしゃるはずなのだ。

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」はよく書けていると思う。

現在の民主政治においても、やはり国民一人ひとりはあくまで投票するだけの存在に過ぎない。実際に政治を行なうのは一部の人間である。今の国政は混沌としているが、大阪の橋下徹氏のように強力なリーダーシップを発揮できる人物が求められていることは間違いない。総理で言えば小泉純一郎氏がそうだった。つまり、今の政治形態においても上に立つ人物の存在は否定できない。ただ今流に言えば、上の人間があまりにも上から目線になってしまうと下の反発を食らうことになる。この微妙なサジ加減が難しいのだ。その結論をわたくしは函蓋相応という言葉に集約したわけである。

わたくしの思うに、天皇が真の国主であるならば、いずれ天皇の存在が集中的に脚光を浴びる瞬間が訪れるに違いない。

それは下から上への動きに突き動かされてではなく、自主的なものであろう。なぜならば下から上へ云々は突き上げを食らうという意味に他ならないからであり、それでは本化国主の面目が立たないからである。むしろ函蓋相応の本義からすれば、上一人がリーダーシップを発揮するのに応じて下万民が一斉に動き出す、あるいは上と下とどちらが先ということなく同時に動き出す、それが日本国一時に信ずるの姿ではないかと思う。

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