2013/4/4

第1269号拾い読み  
どうやら沖浦氏との議論も結末を迎えたようである。

 阿仏房の五体がそのまま宝塔と仰せです。

 虚空会で虚空に湧現した宝塔がそのまま阿仏房なのです。
 ですから、阿仏房がいる所が宝塔の住所ですね。
 宝塔の住所を戒壇と言うのです。

 阿仏房がいる場所がそのまま戒壇です。
 そして、大聖人のお題目は先代とは異なって、自行化他の本門の題目です。
 当然阿仏房は自行化他の行者ですから、その住所がそのままで本門の戒壇です。


残念ながら宿題としては失格である。ぜんぜん説明になっていない。それどころか、またしても言っていることが変わってしまっている。

三大秘法は、衆生己心の妙法である、南無妙法蓮華経が本門の題目と本尊。それを収める五体が、本門の戒壇。

こう言っていたはずである。すなわち五体が戒壇であると。ところが今度は五体が戒壇なのではなく、その住所が戒壇だと言っているわけだ。よくもまあ、コロコロ変わる人である。

いずれにしても説明がまるで出来ていない。これは読者の誰もが同感のはずだ。

さて、そういうわけで、今日は顕正新聞第1269号の話題を取り上げよう。一面の記事は日曜勤行の指導であるが、これについては特に申し上げることはない。強いて言えば、前の国家主席が来日した時、国会議員が一人十秒ずつの割り当てで握手してもらって感激していた中、池田氏だけが特別室での面会の栄に浴したという話が印象的だった。わたくしの知る限り、浅井先生は先般の公明党訪中についてまったく言及していない。その一方で今頃になって何年も前の話をしている。この辺のチグハグさが気になるところだが、まあ、どうでもいいことだ。

二面以降は班長会特集だ。

わたくしは総男子部長の記事が気になった。彼は四十九院申状の「国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」を挙げて、次のように言っているのだ。

まさしく事実上の国立戒壇の意義を示す御文

より正確に言えば、彼が言っているのではなく、浅井先生が言っているわけだが、そこに「意義を示す」と付け加えたのは彼自身である。

「事実上の国立戒壇」はひじょうにアイマイな表現である。そこにあえて被せるように意義という語彙を持ってきたところがなんともイヤラシイところだ。

正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。

絵里奈氏との議論の蒸し返しになりかねないが、わたくしには似ているように思えて仕方がないのだ。

義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処、即ちこれ義理・事の戒壇に当るなり。

わたくしが事実上の国立戒壇は義の戒壇であるはずだと主張したのは、まさに日寛上人の御指南に基づいてのことである。総男子部長が意義などという言葉を使うものだから、余計にそう思えて仕方ない。前もって建ててしまった正本堂とは正反対ではあるものの、建ってもいない戒壇を事実上の国立戒壇など言うのはおかしなことである。これはもう二度と言わないほうがいいだろうと忠告しておきたい。

さて、この件に関しては、また次号の時に取り上げることになるので、これくらいにしておこう。

染色体異常の奇形児が急増!
 大病院勤務の組長の話に衝撃


これは茨城県在住の婦人部支区長補の活動報告であるが、物凄くセンセーショナルな見出しだ。

本文を読むとかなり専門的なことが書かれている。他人のの話を紹介しているにしてはやたらと詳しいのでそこが不審だが、ともかく次の一節が凄まじい。

 ところが、このところ入院してくる出生児の染色体異常は若い番号のもので、一人の赤ちゃんにおいて心臓の奇形、両眼が離れている、耳の位置が低い、鼻が低く平面的である等の異常が一度に現われていたり、また指が六本ある、肛門がない、気管支が通常よりも狭い等の異常が複合して出ているとも話していました。

凄まじい内容である。染色体の番号がどうのこうのと書かれているが、そこは素人には難し過ぎる。しかし、それ以降の記述は誰が読んでもわかるだろう。

これらがすべて本当ならば大変なことだ。原発事故から二年、この先どうなるのだろうと暗澹たる気持ちにさせる記事である。

学会では池田大作を「御本仏」と
 宗門末寺では住職がカネに執着

ついに正師のもと本物の信心が・・・


婦人部班長会における「正義にめざめて」の登壇である。昭和十一年生まれで、昭和三十四年に創価学会に入り、五十五年に宗門末寺に移籍、そして顕正会へは平成二十年に入ったらしい。かれこれ五年も経つのに、いまだに平会員なのが不審な点かもしれない。もっとも年齢的にはそれが相当かもしれないが・・・

それはともかく、次の文章が気になった。

学会では恐れ気もなく「池田大作先生は御本仏、香峯子夫人は千日尼」などと言い放ち・・・

いわゆる会長本仏論問題であるが、さすがにそこまでの露骨な表現はなかったのではないかと思う。それとも活字化されなかっただけで、クチコミではそのようなことが言われていたのだろうか?

ちなみに、池田夫人が千日尼というのは、まったくの初耳だ。池田氏が大聖人で夫人が千日尼。ややもすれば大聖人と千日尼が夫婦関係のように錯覚しかねないところだ。まったくケシカラン話である。

正師・・・

以前にも書いたが、この表現は疑問である。わたくしは思うのだ、顕正会員に池田本仏論を云々する資格はないと、自分たちだって同じじゃないかと。

今となっては浅井先生の神格化が著しい。神格化が謗法チックだと思うならば、文字どおりの仏格化、すなわち本仏化である。顕正会員の熱心さを見るならば、今は池田本仏論よりも浅井本仏論のほうが遥かに深刻であろう。

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