2013/4/28

自堕落なブログ  
難解なコメントが寄せられた。以下、全文を紹介しよう。

2013/4/27 20:21
投稿者:旦
本尊を信じれば本尊が宿るなら
戒壇も当然五体に宿るんでしょう
ただ本迹でいうなら
五体は迹に当たるんじゃないでしょうか

本迹一致したらいけないという御文があったような…


説明を端折って結論だけを書いたような文章だが、より厳密に言えば、結論すら濁しているようなアンバイだ。

本尊が宿るなら戒壇も宿る・・・

まず、これがわからない。単に戒が宿ると表現するのであればわからなくもないが、戒壇が宿ると表現するのは違和感がある。

五体は迹に当たる・・・

これもよくわからない。文脈から推理すると、この場合は本尊が本で五体が迹であるとおっしゃりたいのだと思われるが、そうするとこれは沖浦氏への反論なのだろう。ならば、もう少し丁寧に論ずる必要があると思う。なぜに五体が迹なのかを説明しないといけないのだ。

本迹一致したらいけない・・・

これは論理的にどうかという感じだ。いちおう、本尊が本で五体が迹であるとしても、それを本迹一致の話に当てはめるのは的外れであろう。まったく次元の異なる話なのだ。

以上、率直な感想を書かせていただいた。

 人の命が本門の題目と本尊で、五体が戒壇であって、戒壇とは生命活動の場であるとは、創価学会では常識となっています。

沖浦氏から大量のコメントを頂戴した。ぜんぶを掲げるのは大変なので、大事なところに絞って引用させていただくが、まずは上掲が問題である。

創価学会では常識となっている・・・

であるならば、五体=戒壇の文証をお願いしたいところだ。もちろん、ここでの文証は御書のことではなく、創価学会の出版物全般のことである。すでに御書での論証は失敗に終わった。しかし、沖浦氏によれば五体=戒壇は創価学会における常識なのだそうだ。ならば、ぜひとも文証をお願いしたいと思う。

 本尊に対する私どもの思想を次に貼って置きましょう。

いちおう、一通り拝見した。その感想を申し上げれば、もしかしたら沖浦氏の主張は創価学会の見解から外れているかもしれない、ということである。

あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては、『人間の生命をもって本尊とせよ』 ということであります

煩瑣になるので必要最小限の引用にとどめた。これは新・人間革命の記述なのだそうだが、あえて誤解を恐れず云々のくだりがひじょうに意味深である。つまり、ここは誤解が生じやすい部分であることを承知しつつも、あえて誤解を恐れずに書いているわけだ。

その誤解とは何かが問題であるが、そのヒントは総じて云々にあるのだろう。たぶん一般人の言語感覚であれば、「総じて」に何も疑問を懐かないだろう。そのまま素通りしてしまうところだ。しかし、我々は違うのだ。いわゆる総別の二義ということがある。ゆえに、上掲は続きの文章において、「別して」が論じられていなければいけないのだ。

はたして原文はどうなっているのだろうか?

もし「別して」が論じられていないとすれば、この本に問題がある。誤解を恐れずに言うのはけっこうだが、わざわざ誤解を招くような発言をして、そのままにしておくのは大問題である。会員を意図的に操作・誘導していることにもなりかねないからだ。

さて、もう一つの可能性は沖浦氏による切り文である。

あるいは本人にその自覚がない可能性もある。もしそうだとすると、まさに沖浦氏一人が勝手に誤解してしまって、創価学会の公式見解から外れてしまっていることになるだろう。

つまり、あえて誤解を恐れずに申し上げる、ということは、決して誤解をしてほしくはないのだが、という意味にも受け取れるわけで、まさにこれこそが文章表現の妙なのである。よって、もし新・人間革命の当該記述がこの意味であるならば、沖浦氏の誤解はなんとも皮肉な話である。

 私共の命が本尊で、それを映し出し湧現させる手段として、大聖人が明鏡として御本尊をご図顕なされた。

この部分は沖浦氏の文章そのものであるが、新・人間革命の記述を要約したものなのでさしたる相違はない。しかし、続きの文章が問題だ。

 音楽に喩えるなら、楽器が手段で曼荼羅本尊。
 弾き手がメロディーを創りだす本体。
 双方が境智冥合するなら、素晴らしい音楽が生まれます。


創価学会では自身の生命を本尊として、大聖人があらわされた曼荼羅を御本尊としている。本尊と御本尊、この違いが重要なのだ。

これでおわかりだろう。

沖浦氏は曼荼羅御本尊と書くべきところを曼荼羅本尊と書いてしまっている。

つまり、沖浦氏は新・人間革命の原文が御本尊となっていることを承知しつつも、最後に自説の結論を述べる段においては本尊と書いてしまっているのだ。

これは御本尊を迹であると言わんがための作為に他ならないだろう。

以上、創価学会の公式見解と沖浦氏の主張には差異があることが、今回、図らずも露呈したごとくである。

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